その世界は、崩れ始めていた。



異界の空気に満ちていたそれは、だんだんと薄れていく。
激しい魔力とエーテルの猛りは、密やかに静まり始める。
そして、振動と共に大地には亀裂が走り、崩れた壁や天井が砂となり地に落ちてゆく。

誰にも知られず、誰もを巻き込んだものが、崩壊し、終わろうとしていた。



―――――その片隅に、一人の蟲を残して。














「ぐ・・・・ぬ、ぅ」

それは、醜悪な存在だった。
矮小でありながら、見るものに嫌悪を与えるその姿。
体液を撒き散らし、尚も地を這いずる生き汚さ。
紛う事なき、それは虫だ。

違いを上げるならば、ただの虫であるのならばそこまでの執念は持ち得なかっただろうという事。

「お・・・・ぉ、おお!」

搾り出されるような声は、悔恨には染まってはいなかった。

それは、もはや単体で生きれるような体ではない。
何者かに寄生し、巣くって始めて生を為せる―――いや、死なないで済むだけのものだ。
例え外因的な死から奇跡的に逃れられたとしても、いずれ訪れるものを遠ざけただけに過ぎない。
だからそう、その蟲は、もはやどうあろうと生きる事は不可能なのだ。

だがそれでも、マキリゾウケンは死にたくなかった。

「ぉぉお、お・・・おお!」

這いずり、数分かけてようやっと1センチを進む。
広大な地下にある、巨大なクレーター。
その片隅で、蟲は蠢き進む。
例え何時間、何日間と掛けたとしても、その速度では決して辿り着けないと知りながら。

諦めきれない。
いや、諦めてはならない。
何故なら死にたくないのだ。
そう、自分は死んではならない。

――――例え、初心の崇高なる想いを忘れてしまったとしても。

「・・・・・・?」

盲した目に、濃い影が映った。
それは忽然とそこに現れて、だというのに存在感などなく、そこにいる。

「お、ぉお!おぬしは!」

苦しみさえ忘れさせた、歓喜の声。
その老魔術師の目の前に現れたのは、確かにあの黒い門から落ちた六騎のうちの一つだった。

「アサシン!よくぞ舞い戻った!」

笑う骸骨を面にした暗殺者。
あの森で消息を絶っていた一人が、確かにそこにいた。

「よし、おぬしがいるのであればまだ話は終わっておらん!
 アサシン、ワシを連れ、今一度桜とイリヤスフィールを回収するのだ・・・!」

間桐臓硯は歓喜にまかせ、サーヴァントであるアサシンへと命を下す。
だが、そんなものはもはや叶う筈もない。
老人の体は既に死に体。
例え誰かに再び寄生しようと、遠坂凛の魔術で破壊された体は戻らない。
そして、耄碌した目には映ってはいないが、既にアサシンの体も重症であった。
自らの力だけでは傷を治すことすらできない彼では、本職である暗殺すら間々ならない。

だが、例え叶わぬと判ろうがサーヴァントが命に逆らう事はない。
それがマスターとの契約であり、アサシンは間桐臓硯に忠を立てたのだから。

「・・・・・・」

「・・・どうした、アサシン?
 時間がない、早々に事を行わなければならん」

だというのに、忠義のサーヴァントは返答をしない。
まるで何か別のものを見つめているように、主である間桐臓硯を見つめている。

「何をしておる・・・!アサシン、時間がないと、」

「真に申し訳ないが、魔術師殿の命は受託できん」

冷たく乾いた、第一声。
それはありえない筈の言葉であり、拒絶の意思だった。

「な、・・・何を言っておるか」

歓喜の声が、困惑に染まる。
いや、そもそもマスターとサーヴァントというのであれば、彼等には契約があってしかりである。
考えてみれば、このアサシンを含めた六騎は令呪で結ばれた関係ではない。
ただ目的が違わなかったから共にいただけなのだから、間桐臓硯に力が無くなればこうなるのは必然である。

ならば、彼の忠義は一体何処へと消えたのか。

「この異例なる召喚に際して、私は何度かの忠告をした。
 真なる聖杯の奪取。
 そして、あのお孫殿の破棄。
 それに耳を貸さず、驕り油断した結果がこれだ」

事実を淡々と語る口と同時に、深い黒色の布の中から腕が伸びる。

「二度だ。魔術師殿は、私の前で二度の失敗をした。
 そのような主に、仕える気になると御思いか?
 いや、元を正せば、貴殿は私のマスターなどではなかった(、、、、、、、、、、、、、、)のだから」

蝙蝠の翼にも似た布が、バサリと翻る。

・・・彼は、一度として間桐臓硯をマスターとは呼ばなかった。
その微細な違和感は、誰にも気づかれるものではない。
気づけたのは、それを口にする本人。

――――そして、一度目の失敗をした別世界の間桐臓硯に他ならないのだから。



ドフ。



振り下ろされる腕。
それは、最後の断末魔を上げる間もなく、この世界から消えうせた。
















「―――――?」

不思議なことに、痛みはなかった。
いや、体中が腐り続けている間桐臓硯には、未だその苦しみから解放されていない。
死を経てまで辿り着く煉獄は、現世と変わらぬ罰を与えるのか。

その証拠とでも言うのか。
目の前には、黒き死の天使ではなく、赤き悪鬼が映る。

「対象を狙うべきは、それが獲物を狩る時というのが定石だが・・・・・・
 暗殺者と言えど、そこが隙である事は変わらんようだな」

何の感慨も無く、乾いた感想を漏らす悪鬼。
それは、間違いなく此の世の者ではないのに、確かな現実を理解させた。

「アーチャー・・・」

「ほう、生きていたか間桐臓硯。
 彼女の詰めの甘さがここに響いたようだが・・・どの道その様では同じ事か」

嘲りも無く、男はただ酷薄に答える。
数秒前に、アサシンを殺したとは思えぬ無感動さだ。

「ああ、一つ言うが助けられたなど思わぬ事だ。
 嘘だろうが勘違いだろうが、的外れな期待は非常に不愉快極まる。
 ただ消すべき相手に消すべき者がいた、それだけの話なのだからな」

「・・・・・・何故じゃ、何故誰もがワシを裏切る。
 ワシ等は同士ではなかったのか!
 共に聖杯を願う、究極の一を誓いし同士ではなかったのか!」

絶叫が耳を揺らす。
そこで始めて、アーチャーの顔に感情が浮かぶ。
意外にも、それは哀れみや同情に似たものであった。

「やはり思考にまで腐敗が進んでいたようだな。
 いいだろう、我々は所詮同じ穴の狢。
 老い先短い裸の王に、一つ教授をくれてやろう」

一人分離れていた距離を、ゆっくりと進む。

「サーヴァントは、それぞれの目的と願いを持って召喚に応じる。
 何事にも例外はあるが、あの黒き門から現れた我々も同じことだ」

ほんの数歩。
それだけで老人の息の根を絶つ準備を終える。
残すは、手にした短剣を落とすだけでいい。

「元が呪われた聖杯だ。
 あれに招かれた者が、まともな願いなど持ちようが無い。
 自身の不遇を呪い、果たせぬ願いを渇望し・・・・・・元が英雄とは思えん滑稽さだな」

足を止めたアーチャーが、突き放す言い方で自嘲気味に笑う。
まるで自分自身に突きつけているかのように。

「そう、誰もが何かを願い、暗き念を抱いてはいたが、聖杯などに興味など持っていなかった」

そして、その腕が上がる。

「だからな、間桐臓硯。
 誰もがお前に忠など捧げてはいなかったし、同士などと考えてはいなかった。
 ただ一人一人、自分の思うがままに動き、使える者を利用していただけに過ぎん」

その手には、先程一人のサーヴァントを切り捨てた、黒刀。

「――――ま、待て!」

「最後に一つ言っておくとな、私はこの結末を予想していたし・・・・・・
 お前の始末は、オレが着けると決めていたよ」

「止めろ・・・っ!
 ワシは未だ、死ぬ訳にはいかん!
 そうだ、死ねない!この様な所で!
 死ぬ訳には、死にたくな――――――」

悲鳴と絶叫が、プツリと切れる。

小さな音すら立てる事なく、大地に落ちた短剣が、ただ突き刺さっていた。


















一人、息をついた。



コレで終わり。
何百年と続いた妄執も、敗北者の矮小なこだわりも、全てが終わった。
元より、望みを叶えるのは生者の領分。
それを地に伏した者、ただ死なないだけの者が手に入れて良い筈がない。
できてこの程度。
そう、この程度の後始末を担うのが相応しい。
どの道、これは生前から自分のの領分だった。
それを誰に譲る気もないし、きっと変わらずこれからも続けていく。

ふと、未だ生きる者の戦いを見やる。

疲弊した彼等に、ギルガメッシュの力に耐えられないだろう。
未熟な衛宮士郎に、言峰綺礼は打倒できないだろう。

だが、それでもきっと乗り越える。

できないものはできないと、諦めずに乗り越えた者を知っている。
その誤りながらも間違っていないと信じた輝きを、目に焼き付けている。

答えは得た、答えを見た、そして、答えに満たされた。

ならば、最早オレにできる事は無い。
帰るべき場所へと帰り、自らがやるべき事をやろう。



「・・・いや」


もう少しだけ、見ていこう。

願いも、憎しみも、欲求もなく。
一度背を向けたその光景に振り向く。



もう少しだけ、ここに居よう。

ただ、そう思った。






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