無機質な表情で視界が埋まり、同時に手にする釘が迫る。
反応は早く。
俺にその釘が突き刺さる直前に、右手にした莫耶で侵攻を止める。
衝撃が身体を貫き、強く押される。
完全に力負けはしているが、こちらの体制は崩れる事なく、余りは大地を引きずって受け流した。

間隙は無い。

開いた片手から、密着が故に生まれた死角を縫うように釘が再び迫る。
ただ受けて、力比べをするつもりは毛頭ない。

まるでビデオの一時停止かのような、急停止。
彼女の釘は干将と火花を散らす事なく、空に固定されたが如く止められた。
それは本人の意思であり、そうではない。
釘が迫る軌道の先に置かれた、左手の干将。
彼女があのまま振り切ってしまえば、釘を持つその指先を切り裂いていただろう。

迷いなく、鬩ぎ合う右手を押し出す。
そしてその反動に乗るように、俺はその場から大きく間合いを離した。

何かが目の前を通り過ぎ、鼻先を掠る。
一直線に伸び上がった、ライダーの足だ。
当たっていれば、俺の頭など容易く砕けていた。

強襲は、終わってはくれない。

鎖をじゃらつかせ、投擲される神速の釘。
如何に視界に収まっていようが、俺の分を超えた速度であるが為に視認する事さえできない。
だが、俺には見えなくとも手にした剣は別だ。

風を切る静かな音に続き、劈くような硬質音。
人の手から生み出されたとは思えない程の音は、投擲された釘を見事に弾き返していた。

「っ・・・」

聞き逃してしまいそうな、小さな舌打ち。
紫の雷は、再び視界の中から容易く消えうる。

それは闇に溶け込んでいるのでも、遮蔽物を利用して姿を隠しているわけでもない。
ライダーはただ、高速で俺の周りを旋回しているだけに過ぎない。
ただそれだけで、こちらの眼は彼女の姿を捉えられなくなる。

かまいたちの様な風の中から、殺意の塊が放たれた。










喉が熱い。
心臓が痛い。
酸素が足りない。

「っく!」

――――ギン!

投擲された釘を、手にした干将で叩き落す。

血が足りない。
肉体が軋む。
骨が砕ける。

だが、それでもまだ、生きている。

ヒュ、と縫いこまれる空気の音。
視界の中にライダーの姿はなく、そして投擲されたであろう釘も姿を視認できない。
後ろに目でも付いていれば別かもしれないが、俺では受けるどころか、確認すらできないのだ。

しかし、俺にできない事も、この双剣には不可能ではない。

自分の体とは思えないほど軽やかに体を反転させ、迫り来た釘を弾く。
無論のこと、剣に目が付いている訳ではない。

陰陽剣、干将莫耶。
戦い方は、こいつが全て識っている。
正確には、その持ち主である男の戦いを。

脳裏によぎるのは、数々の戦いを切り抜いた赤き外套の英霊。
黒と白の短剣は、いかなる凶刃の侵攻も防ぎきっていた。

・・・目の前にし、そして短い時間ながらも打ち合わせた鋼。
その全てを再現し、その全てを投影する。

これならば、俺にも戦う事ができる。

「っ―――!」

筋肉が嫌な音を上げて、ぶちぶちと断線していく。
だが、この戦いを諦める訳にはいかない。



例えその先に、避けようも無い崩壊があったとしても。









――――ビギィィィン!

鋼の砕ける音が響き渡る。
それは俺が手にした双剣ではなく、ライダーの釘を繋ぐ鎖だ。
投擲されたそれを避けた直後、振り下ろした一撃で鎖を断った。
切り離された釘は持ち主に戻る事無く、暗闇の中へと消えていく。

そして初めて、ライダーは足を止めた。

「・・・ハッ、ハッ・・・ハッ」

犬の様に荒い呼吸をしながら、何とかして肺の活動を鎮める。
アーチャーの動きをトレースする事はできても、肉体そのものを変更できている訳ではない。
無理な活動は激しい消耗を強いり、身体は短時間で限界を訴えていた。
対して、彼女は服装どころか、呼吸一つ乱れてはいない。

妙だ、何故手を休める必要がある。
武器を失ったとはいえ、彼女ならば無手で十分に今の俺と渡り合える。
いや、それすらも間違いだ。
如何に俺がアーチャーの動きをトレースしているとはいえ、サーヴァント相手に渡り合える程ではない。
その筈が、未だに俺は五体満足なばかりか、掠り傷くらいしか怪我と言えるものがないのだ。
彼女がその気になれば、俺はとっくにボロボロになっていても可笑しくはない筈だ。

さらに、今の彼女はあきらかに慎二がマスターだった時とは違う。
芳醇な魔力供給を受けているが故か、感じる魔力の巨大さも、動き一つ一つの俊敏さもかけ離れている。
条件付ならば、きっとセイバーとも渡り合う事すら可能ではないのかと思うほどに。

妙な事はそれだけではない。

この戦いの最中、何度か危ない目にあったが切り抜ける事ができた。
何故か、ここ一番という時に限り攻撃の手が緩むのだ。
それが故に、俺は生き残れているのだが・・・

「ライダー」

無音が故か、俺の声が驚くほど大きく響き渡る。

「どういうつもりだ」

言葉は単純だ。
だが、それだけで十分に伝わっている。

何故、手を抜いているのか。

「・・・・・・・」

無機質な彼女の顔から、さらに表情が消える。
冷たい殺気だけを尖らせて、睨むだけで呪いがかかると言わんばかりだ。

・・・勘違いでなければ、俺が生きている理由は彼女にある。
俺を舐めきって手を抜いているのか、別の目的があるのか。
答えは分からないが、止めとなる筈の一撃となると必ず手が緩むのは確かだ。

本来ならば、この事を口に出す必要はない。
むしろ、彼女が手を抜いているならば好都合だ。
逆にヘタにつついて本気を出させては、それこそ俺の死が確定する。

だが、問わなくてはならない。
もし彼女が桜の味方をしてくれているのならば、話し合い次第でなんとかなるかもしれないのだから。

「私が手を抜いている訳ではありません。
 事実、貴方の力は予想の外にあった事は確かです」

淡々と、抑揚の無い声でライダーは口を開いた。
そこで気づく。
感情など感じさせなかった彼女から、小さな・・・焦り?

「ですが、私が制限を受けているのも事実です」

その言葉を残して、再び彼女の姿がかき消えた。

それに驚く暇もくれずに、後方から投擲音が響く。
振り向いて確認するまでもない。
先程断った、ライダーの釘だ。

「―――――!」

声を上げる暇さえない。
咄嗟に干将で反応するが、間に合わない事は分かっていた。

ドスリ、と俺の心臓を貫く音。
・・・それはいつまで経っても訪れる事はなく、ただ離れた場所で鉄の乾いた音が響き鳴った。

外れた、いや、外したのか。
弾き返そうと振り向いた体は、再びライダーの姿を捉えている。
投擲したままの格好で、伸ばされた右腕。
―――その腕に、赤い『ナニカ』が束縛するように蠢いていた。

「サクラは、私にこう言いました。
 『先輩を近寄らせないで』、と。
 ・・・・・・知っていますか。
 今、町中から精力を吸い上げているのが誰であるかを。
 聖杯の力ではありません。
 あれは聖杯に組み込まれた彼女の身体が、本人の意思に反し行っている『吸収』の魔術です」

ここに辿り着くまでに見た、町中の風景を思い出す。
だれもかれもが息絶えたかのように、どの家もひっそりと明かりを落としていた。
そして、気づかぬ程に小さい、一点へと向かっていた魔力の流れ。
あれを、桜がやっているというのか。

「吸収はその中心、サクラに近づく程に顕著になります。
 今では大聖杯を覆う様に影の触手は伸び、我々サーヴァントですら近づく事は危険です」

語りながら、伸ばしていた腕をゆっくりを降ろしていくライダー。
その腕にまとわり付いていたモノは、いつのまにか姿を消していた。

「ですが、そうして集めた魔力もサクラを満たすことは無い。
 大聖杯に組み込まれ、部品と化してしまっている今では、いくら吸収しようと吸い上げられてしまう。
 サクラは、そんな自分の姿を貴方に見られたくはない。
 そして、自らの力で貴方を傷つける事を恐れているのです」

ライダーが鎖のもう片側に付いていた輪を捨てる。
これで彼女は完全に無手になった。

「それ程まで深く食い込んでいるせいか、今の彼女は聖杯そのものと言えます。
 口に出した言葉は、令呪以上の強制力を持ってサーヴァントを縛り付ける。
 ・・・今の私には、『エミヤシロウをサクラに近づけない』以外の行動は、一切できません。
 貴方を殺して足を止めようにも、サクラが望まない限りその自由は奪われています」

それが悔しいのか。
初めて表情らしき表情を彼女は浮かべた。

「そうです、貴方を殺せるのならばすぐさまそうしていたでしょう。
 その後、戻ってトオサカリンも抹殺する。
 マスターを殺せば、自動的に上のサーヴァント達の処理も済む。
 そうすればサクラに危害を加える者は減るでしょうから」

物騒な事を、当然の事のように淡々と語ってくれた。
内容そのものは歓迎できたものではないが、反面少しの安堵を感じていた。
少なくとも、桜はまだ意識を残している。
そして、ライダーは桜の味方だと言うことに。

「待ってくれ。
 そもそも俺達は桜に危害を加えに来た訳じゃない。
 俺も、遠坂も、桜を助けにここに来たんだ」

武器を下ろして、できるだけ友好的に話しかける。
そもそも、俺達は相手を倒す事が目的ではない。
桜を救う事が一番の目的なのだから、無駄な戦いは避けるにこしたことはないのだから。

「貴方の言葉を信用する理由がありません」

「桜は俺の家族だ。
 血が繋がっている訳じゃないが、うちで飯を作って、食べて。
 笑い合っている大切な家族だ。
 少なくとも俺は、そう思っている」

嘘偽り無く、正直な気持ちで独白する。
確かに通常の家族と比べれば密度は少ないかもしれない。
だが、桜を大切に思っている事は、決して他に負けてはいない筈だ。

「・・・・・・」

相変わらず無表情ではあるが、ライダーの姿勢が少し緩む。
殺気が消えた訳ではないが、すぐさま襲い掛かるような事はしないようだ。

「少なくとも、貴方がサクラを助けようとしている事は認めましょう」

ですが、と彼女は続ける。

―――そう、俺にとって桜は大切な家族だ。
  藤ねえやセイバー、それに遠坂やイリヤ、アーチャーやジャグラーやランサーを入れてもいい。
  皆、困っているなら助けたいと思える人々だ。
  それに命を賭ける必要があったとしても・・・その価値があると思っている。
  これは正義の味方を志しているからでもなんでもなく、俺の個人的な思いだ。

だからこそ、

「サクラが世界を滅ぼすしてしまうとしても」

その質問は、

「貴方は、味方でいられますか?」

衛宮士郎にとって、してはいけないものだった。













答えられなかった。

味方でいられる、と言うのは簡単だ。
だが、それを実際にできるかどうかは別の話だ。

世界を滅ぼすという事は、そこに住む全ての人々を殺すという事。
正義の味方にとって、それは許容できない悪である。
悪は、正義の味方が倒さなければならないのだから。

「俺は・・・」

言葉が詰まる。
語ろうとした言葉が、嘘になってしまうからだ。

俺の中の常識が語る。
皆を救う為には、悪を倒さなければならない。
100を救うならば、悪という1の犠牲を認めなければならない。
正義の味方は、皆を救う為にいるのだから。










例えその一が、大切な誰かだったとしても。










ふざけるな。

そんな事はできない。
誰かを殺して誰かを助けるだなんて、ただの交換と何処が違う。
俺が目指している正義の味方は、全員を助けてこそのものだ。

だが、ソレこそが不可能な理想であると、俺に語ったのは誰だったか――――

「サクラが聖杯に触れた時、六騎のサーヴァントが現れました。
 貴方も見たでしょう。
 騎乗兵を抜いた、黒き彼等の姿を。
 ・・・彼等が現れた『門』がなんであるか、私が分からずともこのサーヴァントの身体が理解しています。
 あの深遠な闇の奥にあるものは、無限に広がる別世界です」

例えどんな力を手に入れようとも、しょせん一人の力でできる事は限られている。
誰も悲しませないで全ての人を救うだなんて、小さい時にだけ許される理想、いや、妄想にすら劣る。
それは、俺に理想を見せた人が、既に語った事ではなかったのか。

「放って置けば、アレは完全に此方と繋がるでしょう。
 異世界から新たな何者かが現れるか、それともこの世界を異なる世界が塗りつぶすか。
 それを止めたいのならば、聖杯を壊すしかありません。
 そして、あるいは聖杯の部品となっているサクラを殺すか・・・」

気づいていた。
大人になるにつれて、そんな事は夢であるとしっかりと理解していた。
現実は厳しく、理想はただ美しいだけだと、分かっていた。

そう、ただ美しいと思ったのだ。

「サクラをあの場から引き離せば、救う事はできるかもしれません。
 ですが、それは彼女の祖父が許さないでしょう。
 体を乗っ取られるか、腹いせに殺されるか。
 どの道、もう彼女の意志でこの世に残る事はできない」

正義の味方が助けられるのは、味方をした人間だけ。
全てを救おうとして全てを無くしてしまうのなら、せめて。
一つを犠牲にして、より多くのモノを助け出す事こそ正しい、と。

その言葉が認められなくて、その言葉を口にした人が許せなくて。
ならば自分がその夢を実現してみせると、約束した。

その願いが綺麗だから、憧れた。
あの笑顔が忘れられないから、自分もそうでありたいと願った。
例えその果てに、どうしようもない現実があると分かっていても。

そう、たった一人の力では、俺の力だけでは、限界があるのだと。











「何の考えも無しに答えるだけではない分、貴方の人柄は信用に値します。
 ですが、そのような中途半端な信頼ではサクラは救えません。
 あなたがどうあれ、私はマスターに危害を成す可能性を排除します」

無手となったライダーが、ゆっくりと手を上げていく。
それは緩やかな動きで体を上がり、静かに首へと添えられた。

「貴方が倒しがたいという事は確かです。
 無手では、いえ、武器があったとしても今の私では時間を必要とするでしょう。
 ・・・それでは余りにも遅い」

宛がった手をそのまま首に突き立てると―――あろう事かライダーは首の肉を抉り取った。

「なっ!?」

朦朧としていた頭が一瞬で真っ白になる。
ライダーの首からは血液がスプリンクラーの様に吹き出ていて、大地を赤く染めていく。

余りにもその勢いが強いせいか、まるで目の前を血煙の様なモノが覆って――――

いや、

「接近戦では、貴方を殺すには時間がかかる。
 ですがその時間も惜しい。
 ならば、避けようのない力をもって、一瞬にして貴方を塵と返しましょう」

アレはなんだ。

血液が幾何学的な線を宙に描き、循環して一つの魔法陣を作り上げる。
莫大な魔力の流れが、それを中心に流れ込んでいく。
体中が感じる、圧迫感と恐怖感。
それが究極にまで高まった時、ギョロリと、目が――――













「っああああああああ!!」

危険だ、と感じていた瞬間に体は伏せていた。

轟音と爆音。
とんでもない熱量を持った何かがすぐ近くを通り過ぎていき、痛みと混乱で絶叫を上げた。

伏せたのは間違いだったかもしれない。
俺はまるで台風に煽られた紙くずの様に、軽々と空に放り出されていた。

背中から思い切り着地し、ゴロゴロと地面を転がっていく。

回転が止まり、立ち上がろうと手を床に着くと、乾いた音が鳴り響いた。
干将・・・の柄の部分。
刀身は、まるで削り取られたかのように消えうせている。
投影品である故の末路か、それは大気へと溶けていくと、まるで初めからなかったかのように存在を消した。

投影品とはいえ、ランサーやセイバーとの戦いでも砕けなかった短刀が、あっさりと壊された。

風を感じ、顔を上に上げる。





―――そこにはライダーと、白き幻想的な姿をした天馬が羽ばたいていた。





絶句する。

幻想は、より強い幻想に敗れるのが常だ。
そして、目の前にあるそれは、紛れも無く最強の幻想種。

アレを前にすれば、如何なる幻想ですら霞んで消えるだろう。

「やはり、長く持ちそうもありませんね。
 この一瞬で終わりにさせてもらいます」

ライダーの体を、赤い影が拘束していく。
同時に、彼女の体からは多大な魔力が失われていった。
如何にサーヴァントであれど、いや、サーヴァントであるからこそ、あれには逆らえない。
まるで存在を否定されているかのように、急激に彼女は希薄になっていく。

「さようなら、エミヤシロウ。
 後でサクラが悲しまないよう、塵一つ残さずに蒸発なさい」

黄金の手綱が、天馬を縛る。

上昇する代わりに弧を描き、旋回して空中で速度を上げていく。
白き流星は此方に狙いを定めると、さらに勢いと輝きを増した。







「―――――騎英のベルレ







光の中心にあった姿が霞んでいく。
言葉は世界を否定して、ありえない変質を許容する。







手綱フォーン―――――!!!」







一本の矢と化した光が、駆けた。






















それはまさに神の鉄槌。
古来の人々は雷を神々の争いと幻想したが、これこそがまさにソレにあたる。

人の手に余る、奇跡と言う名の猛威。

人間の知恵ですら防げぬ天災は、まさしくここに振るわれた。
それを前に、死は確定である。

「冗談じゃねえ」

約束した。
俺は死なないと、遠坂に言った。
それにここで俺が死ねば、次に殺されるのはその遠坂だ。
桜だって、そうなってしまえば助ける事なんでできない。
そんな事を許容できる訳がない。

―――頭をよぎるのは、金の髪をした少女の姿。
アレだけ勇猛な戦いを見せられたというのに、思い浮かんだのは戦士の姿ではない。
俺が傷つく度に泣きそうな表情をした、美しくも弱い少女の顔。

あんな顔を、俺は見たくはない。
今だって彼女は戦っている筈だ。
絶望的な自分自身を前にして、決して怯まずに立っている筈だ。

この左手の痛みがある限り、この胸のうちにある熱がある限り、俺はこんな所で死ぬ訳には行かない―――!

『倒す事ができぬなら、倒せる物を用意しろ』

アーチャーは言った。
自分に出来ないならできる剣を投影しろと。

探す。
数々のサーヴァントが見せた武器。
アーチャーの双剣、ランサーの槍、ライダーの短剣、バーサーカーの斧剣。
そして、ギルガメッシュの『矢』。
どれだ、どれならばライダーを打倒できる。
それは考えるまでも無く、あった。

俺のサーヴァントにして、剣の英霊、騎士の中の王。
アーサー王が持つ唯一無二の精霊剣。
エクスカリバー。
あれならば、天馬ごとライダーを切り裂く事すら可能だ。

だが、それは担い手がいて初めて可能な事だ。
俺ではエクスカリバーの本来の力を引き出せない。
そもそも、あれ程の剣を投影しきれるか、そしてできたとしても俺が耐えれるのか。
それ以前の問題だ。

・・・ならば、他にあるのか。
一瞬で数々の宝具を頭に浮かべるが―――該当するものはない。

俺ではライダーに勝てない。
勝てるものを投影したとしても、俺ではそれを扱いきれない。

いや、もっと単純な事だ。
そもそも俺ではサーヴァントに勝つ事などできない。
そんな事は始めから分かっていたのだから。




そう、初めから理解していた。





片腕を前へと掲げる。

脳裏に浮かぶのは、七枚の重層を身にした無敗の盾。
赤き外套をはためかせた、その遠き背中を思い描いた。

・・・これから投影するのは、アイアスの楯だ。
かのトロイアの英雄が放った槍を、七枚目で止めて見せた堅固な盾。

アーチャーが森の中での戦いで開放した姿を、俺は僅かながら垣間見ていた。

本来ならば、槍、もしくは投擲武器に対しての守り。
だが、こと頑強さにおいては他の宝具の追随を許さない力を持つ。

迷う暇はない。
秒すら超えろ。コンマ何ミリという時間で、最強の盾を作り出す!


創造の理念を鑑定し、
基本となる骨子を想定し、
構成された材質を複製し、
制作に及ぶ技術を模倣し、
成長に至る経験に共感し、
蓄積された年月を再現し、
あらゆる工程を凌駕し尽くし―――



製作者の理念、技術。素材の骨子、材質。長き年月の経験、再現。
全ての工程を下ろし、全ての工程を叩き込む。
今、ここに幻想を忘れた現実が、形を成そうとしている。
俺の中にある全てをかき集めて、姿を現そうとしている。

―――だが、それでもまだ足りない。

情報が足りない、想像力が足りない、魔力が足りない。
このままでは、盾は幻想のままで堕ちる。

なにをしている。
体機能に廻している回路など、切ってしまえ。
それが心臓でも、一瞬であるなら止めてしまって構わない。
だから目の前の盾に、全ての魔力を廻せ。

―――廻せ、
    廻せ廻せ廻せ廻せ!!

体中の魔力をかき集め、目の前に盾を展開しない限り命はない。

・・・だというのに、燃え尽きる事を覚悟にしても、届かない。

後一つ。
後一歩先に進む事ができれば、きっと幻想は裏返る。

足りない何かを埋めてしまえば、全ての工程は完了する。

―――その一つは、探すまでも無く内にあった。
















I am the bone of my sword.




















「―――熾天覆う七つの円環ロー・アイアス―――!!!」






その真なる名と共に、たった一枚の花弁が現れた。



















その疾走は一瞬で終わりを告げた。

宝具の使用と令呪への反抗で、体中の魔力を奪われた。
体から力が失われ、天馬さえもその姿を消した。

突進の慣性だけが消える事無く、体は地へ、壁へと叩きつけられた。

「っぐ!」

肺の中から空気が漏れる。

かなりの衝撃ではあったが、それは大した問題ではない。
なぜなら、それ以上の痛みと消耗が体を襲っているからだ。

「あ―――あああ、あ―――」

ギリギリと体を縛りつけ、じりじりと体を灼き焦がす赤い影。
サーヴァントの体である以上、それは耐えようのない苦痛。
令呪に逆らうという事は、それ程までの代償を必要とした。

そして思っていた以上に、速度も力も得られなかった。

宝具を開放するだけならばそう大きな拘束はなかっただろう。
だが、エミヤシロウを殺すという目的をもったその行為は、大罪であるとこの身を襲った。

結果、放った一撃は全開時の半分以下。
反動を受けた今は、こうして立ち上がる事すら困難になっている。

・・・本当に思った以上の消費をしていた。
体の感覚が希薄。
消える事はなさそうだが、後10分程は満足に歩く事もできそうになかった。

だが、そんな時間は残されていない。
一刻も早く、サクラの元へと戻らなければならない。

地に手をつけて、引き剥がすように体を持ち上げる。
自然に視界が前を向き、宝具によって抉られた大地を確認し、

―――その中心で、一人の少年が背を見せて立っていた。

「な、」

驚愕で間抜けな声を上げる。

塵すら残らない筈だった。
いかに制限をかけられていたと言えど、宝具を前にただの人間が立っていられる道理は無い筈だ。
確かに、何かの抵抗をしていたようではあったが、そんなものは“騎英の手綱”で蹴散らした。
ならば、何故?

「・・・・・」

微動だにせず仁王立ちしていた姿が、ぐらりと崩れ落ちる。
仰向けに倒れた彼は、胸を大きく動かして荒い呼吸をしていた。
本当に―――本当に驚くべき事に、彼は生き残ったのだ。

「何者ですか―――貴方は」

気づけば、問いかけていた。

「アーチャーの剣を操り、サーヴァントである私と切り結び・・・
 こうして“騎英の手綱”の一撃からさえも生き残った。
 この世界の、一体誰がそんな事をしうると言うのですか」

あまりの事に、声からは怒りも殺意も失われている。
あるのはただの疑問。
ただ何故であるかを疑問に思う、驚愕の声に過ぎなかった。

「俺は・・・」

か細い声で、彼の口が答えを返す。
それは決して驚くような事でも、ありえない奇跡でもなかった。

「俺は、桜の家族だ。
 魔術師でも、魔術使いでも―――ましてや正義の味方でも、まだ、ない。
 ただ桜を助けに来た、それだけの人間だ」

その言葉に、感慨を覚えなかった訳ではない。
だがそれ以上に、彼の愚かさを呪った。

「その為に貴方は無謀な戦いをしたのですか。
 確かに、私の宝具を前にして生き残ったのは驚愕に値する。
 ですが、こうして貴方も満身創痍になって倒れている。
 それでは何もできていないのと同意ではないのですか」

「いや、十分にやれる事はやった」

私の声とは対照的に、彼は穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
体中の傷から血液を流しながらも、彼は決して敗北感などに犯されてはいなかった。

「サーヴァントを相手にする時点で、勝てない何て事は分かってた。
 そう、最初っから分かってたんだ」
 
だから、倒す事は目的ではない。
だが、敗北だけは決してしない。

「俺には、桜をどうやって助け出していいか分からない。
 魔術の知識なんて無いも同然だし、力だって足りない。
 だけど、遠坂なら・・・俺にできない事だってできる。
 遠坂が桜を助けたいって言ったんだから、それは絶対にできる筈だ」

自分にはできないことも、彼女にはできる。
一人では手に入らなかった奇跡も、誰かがいれば得られる。

「俺ができる事は少ない。
 だから俺ができる事は、遠坂が――――
 とおさかが、自分のしたいように、できる、よう、に」

他からの襲撃者の、足を止める事。

少年は、それだけを言って気を失った。

















「全く。つまりは足止めをしていたのは、私ではなく貴方だったというわけだ」

エミヤシロウを見下ろしながら、呟く。
本人といえば、気を失ったまま、まるで死んだように眠りこけていた。

――――今ならば、彼を殺す事は容易である。

「いえ」

まだ、この体は令呪で縛られている。
消耗した今の状態では、それに逆らう事は不可能だった。
そして、彼がいつ目覚めるか分からない以上、この場を離れる訳にはいかない。

それ以上に、自身が敗北を感じていたのだからしょうがない。

「貴方の勝利です、エミヤシロウ。
 私の意図は成らずに、貴方の目的は確かに達せられたのですから」

ため息をついて、主がいる方向へと顔を向ける。

大地が揺れて、天井から砂埃が落ちてきた。
今の宝具の影響か、もしくは聖杯の自己崩壊が始まったのか。
どちらにせよ、この地下もそう長くはない事は確かだ。








立ち止まる事を決意する。

例え遠坂凛を信じられなくとも、彼女を信じたこの少年を信じよう。

主を想い逸る気持ちを抑え、ただ時が過ぎるのを待った。






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