遠雷が鳴っている。








――― インッ








それは断続的に鳴り響く。

赤き空を震わせ、地を静かに揺らし。








――― ギインッ








その静けさは、恐怖を煽る様な自然の猛威というには程遠い。

例えるならば、丘の上にある教会の鐘。

寂しさと、悲哀さえ誘うような、静かな音色。








――― ヅギインッ








・・・酷く、酷く小さい音に過ぎない。

力強さ等なく、過激さは感じられず、苛烈さは皆無。

ただ小さく、細く、囁くかの様に空を揺らす。
















だが、その音を前にして―――この世の一体誰が耳を伏せる事ができるというのか。

















――― ヅギィンッ!


鋼と鋼が叫びを上げる。
それは手に振動を伝え、鼓膜を震わせ、赤き空へと静かに吸い込まれていく。
音が消え行くその最後を待たずに、再び鋼は疾駆する。


――― ギャリンッ!


打ち付けられた鋼は、対する鋼を削り、我が身をも削り、一瞬の出会いに別れを告げる。

それは、一本の剣。

名など彼等の前に意味を成さない。
ただ剣としての存在意義を果たす為に、相手の存在を否定せんと振るわれる。

それ以外の意義など与えぬ。
剣を手に持つ主は、そう証明するかのようにただ振り下ろす。


――― ッィィィン!


火花を散らし、鋼を散らして、再び剣は互いを弾きあった。


















その剣戟で、意識が戻った。

「く・・・うっ!」


――― ヅギィンッ!


振り下ろした剣が、再び火花を上げる。

握り締めた鋼から、衝撃が突き抜ける。
その度に、朦朧とした意識が飛びそうになった。
いや、事実今の一瞬は気を失っていたのだろう。
記憶に多数の欠落がある。
もはや、次の一撃が何合目かすら正確には判らない。

硬質音と共に、目玉が揺れる。

ピシリ、と手にした剣にヒビが現れた。
そうなってしまえば、後はもう脆いものだ。


――― ガシャァアン!


小気味いい音と共に、ガラスが如く幻想が崩れていく。
それは地に落ちるまでも無く、乾いた空へと飲み込まれていった。

砕けたガラスは二つ。
互いに手にしていた剣は、主の消耗を表すかのように、同時に消失する。

「っ――――投影トレース、」

開始オン―――――!」

吼える言葉に寸分違いもない。
そして投影されたものも、また同じ姿を持った剣である。

間隙は無い。
振り切ったままの体を引き絞り、相手を両断せんと叩きつける。


――― ギャンッ!


そして、再び身を削る衝撃が体を貫いた。











もはや幾つの剣戟を合わせたかは判らない。
ただ相手より速く作り上げ、相手よりも強く打ち付ける。
ただそれだけの戦いを、どれ程の長い間繰り返したのか。

何時間と戦い続けているとも思えるが、結界の消耗から考えるにそれもない。
実際は数十分というところだろうが、極度に意識を集中させた感覚は、一瞬を無限にまで引き伸ばす。

そして度重なる投影の消耗。
壊れる度に投影し、投影するたびに壊れている様では、限界がくるのも早かろう。

いや、剣の投影だけであればこれ程に消耗することもなかったであろう。
原因は、固有結界にこそある。



固有結界。
魔術師が求め続ける、命題に対する一つの“答え”。
心象風景を具現、形成し、世界を侵食して塗り替える。
その世界の“常識”すら分解し、新たな世界のルールを書き換える最秘奥にして禁忌。
そして、最も魔法に近いとされる魔術。

それが、俺に唯一許された魔術。
投影すらその派生に過ぎず、魔術回路はその為に体を流れる。

名を、無限の剣製アンリミテッドブレイドワークス
目にした、否、登録した数々の名剣・魔剣をその内に保有し、乾いた大地にそれらを突き立てる。
それが俺の心象風景。
そして、衛宮士郎とはただそれだけに特化した、魔術使いである。



―――その世界が、目の前に広がっている。



空に無機質な歯車を廻し、灰燼が舞う砂の大地に突き立つは、墓標が如く居並ぶ剣の群れ。
静謐さすら兼ね備えたその世界は、生命の兆し等無く、ただただ荒涼とした風景が広がるのみ。
果てなく広がる砂の大地、空は砂塵と暗雲に覆われている。

それは俺であり、俺ではない男が導き出した一つの答え。
正義の味方を突き通し、助けた相手に裏切られ、そして最後に理想にすら裏切られた男の世界だ。



―――そして背後には、俺が掲げて見せる一つの答え。



空は炎の様な夕暮れに染まり、剥き出しになった大地には、無数の剣が乱立する。
草も、道も、何もかもが存在しない小さな丘。
突き立つ剣は、まるで生まれたばかりと言う様に刀身に炎を宿す。


空も、大地も、全てが砂塵で霞み覆う、朧な世界。
乾きながらも、ひび割れる事も砂と崩れる事もない、堅固なる世界。


理想を追い続けて磨耗した男と、理想を歪めなかった俺の、その差異がそこにはあった。





しかし、差異はあろうともその世界に大きな違い無い。
目にした剣を、その内に内包し、ただ思うだけでこの手にすることができる、錬鉄の世界。
そう、この世界には、無限の剣が存在する。
世界の構築と同時に、既に剣は存在している筈なのだ。

・・・ならば、何故俺達は“投影”などしているのか。

答えは、炎にある。








アーチャーと、俺。
その間を分かつように、一本の火線が伸びている。
それは荒野の果てまで続き、空すらも二つに切り裂いていた。

幻想の炎が描く、世界を分かつ一本の輪。




固有結界とは、既存の世界を塗り替えてその姿を現す。
ならば、違う二人の世界を同時に展開したのならば、どうなるのか?




答えが、これだ。
炎は、その存在の通りに世界を侵食する火種。
前に開かれるアーチャーの世界と、後ろに開かれる俺の世界。
互いが互いの世界を作ろうと、『食らいあって』いる。

故に、如何に丘を作ろうが、突き立つ剣の群れはそれこそ幻。

固有結界に剣が入っているのではなく、剣すらも世界の一つなのだ。
結界とは、閉じて初めてその機能を発揮する。
完成を見ない今では、剣には触れることすらできない。






故に、造っている。

剣が無ければ話にならない。
固有結界を完成できないのであれば、投影するしかない。

投影だけに力を注げば、相手の固有結界は開ききる。
固有結界のみに力を注げば、投影された剣が相手を切り捨てる。

ならばこそ、それを同時に行う必要があった。

消耗が激しいのはあたりまえ。
固有結界の展開をしながらの投影など、数多の戦いに身を投じた生前にすら経験は無いのだから。


――― パシャアアン!


再び砕ける二本の魔剣。

間隙は無い。
新たな投影の呪を唱え、俺達は次なる剣戟を生み出した。


















その姿は、余りにも無様だった。




砂と泥で薄汚れ、鎧は既に機能を無くし、外套は切り刻まれて見る影もない。
体中至る所から汗を垂れ流し、切り傷だらけで身体は血まみれ。
だらしなく開けられた口からは、ひきつけのような呼吸が繰り返される。
洗練された剣術は見る影を失い、ただ力のみで叩きつけられる剣戟。
ああ、そもそも、その存在すらも希薄に消失しかけている。

・・・その姿を、オレ自身も同じく見せている。




目の前の男は、あの頃の少年ではない。

鍛えられた肉体は鋼が如く。
伸びた手足は、長刀でさえ容易に扱う。
魔力は高められ、投影を緻密に構築し、固有結界ですら制御するに至っている。
そして、このオレをここまで追い詰めている。

強くなった。
もはや過去と比べるべくも無い。
互角、いや、既にオレを超える程の力を、身につけている。





だが、それでも少年は、全く変わっていなかった。






破綻した理想を追い、挫折と裏切りを味わい、何度も傷ついてきただろう。
自分が如何に壊れているか、その理想が如何に不可能であるか、何度も見せ付けられただろう。

誰かを救いたければ、誰かを見捨てなければならない。
十を救いたければ、一を殺せ。
百を救いたければ、十を。千ならば百を。

それが最も賢く、確かで、正しい方法であると考え続けた筈だ。

理想は、理想でしかない。
不可能を可能にするのならば、そのツケが廻ってくる。
理想を追い求めているものには、それ以上の現実に押しつぶされるのだから。

だが、それを美しいと思った。
だが、間違ってはいないと信じた。

あの時、あの場所で死に物狂いで叫んだその言葉を、目の前の男は忘れていなかった。

男は、少年の時と変わってはいない。
現実という“正解”を、決して認めてはいなかった。
あの時、無数の剣戟の中にみた、揺るがない瞳をした少年のまま。

















『ああああああああああっ!』

互いに振り落とされる、名も無き一刀。
それが何度も繰り返したように砕け、儚く消えた後に、

理想を追い続けた二人の世界は、音も無くその姿を消した。



















そして、戦いは終わった。

最早、立つ事が困難。
気を抜けば、自らの存在の維持すらままならない。

互いの身体は満身創痍。
傷ついていない場所などなく、魔力など欠片も残っていない。

ここに、戦いは決した。
どちらも生き残り、どちらも勝者ではない戦い結末だ。

そもそも、勝敗など求めていないのだから、勝敗という決着はいらない。
俺の、その全てを見せる事ができたのだ。
これ以上の闘争に意味はない。

もう十分。
語るべき事は、剣戟に全て刻み付けた。
これ以上戦っても、何も得るものなどはない。
否、もともと形の残るモノなど得る為に戦っていたのではないのだから。


―――しかし、まだ。
まだ、終わりではない。


「―――― 投影トレース開始オン


アーチャーの手に、一本の剣が現れる。

もはや戦う必要などないのに、それは最後の一撃を求めていた。
勝敗の無い筈の戦いに、決着を付ける。
それに、如何なる意味を求めているのか。


それは、証明だ。


理想を体現していた男を、超えたという証明。
あの時、自分を殺そうとする男に倒した時点で、俺にはそれを見せる義務がある。
同じ丘に辿り着いても、アイツには得られなかった、俺だけのモノを。



「っ―――― 投影トレース開始オン



自己に働きかける呪を唱え、この手にある剣を作り出す。
それを見て、アーチャーの表情が訝しげに歪んだ。

目の前の男の手には、選定の剣、カリバーンが投影されている。
使い慣れ、そして作り慣れた莫耶干将ではなく、なぜセイバーの剣なのかは、俺にはわからない。
だが、この場で作ったという事は、アイツにとっての特別な一振りという事になる。

対して、俺が作り出した剣は魔剣・名剣の類ではない。
神が作り出したものでもなければ、希代の名工が鍛えた業物でもない。
蔑まれる程ではないが、俺達にとって余りに平凡な短剣。
それを、俺は何の迷いもなく、この場に作り出した。

「・・・・・」

互いに、語る言葉はない。
既に何度も何度も、剣戟によって交わしたのだから。




ザッ、と草を踏む音が、小さく響く。

読み合いなどなく、咆哮を上げる力さえ廻して、剣を掲げる。

踏み出す足は、頼りなく震えながらも前へと駆ける。

肺は、とうに呼吸をやめている。

存在は、既に否定に晒されている。


だが、視線だけは互いを逸らさずに。





引き寄せられるように、剣は一直線に交差し、


硬質音と共に、破片を宙に四散させ、


――――横から割って入った宝石が、視界を真っ白に染めて爆発した。


















「アンタ等は・・・わたしの許可なしに何を殺しあってるのよ!」

「凛、貴方も消耗しているのですからあまり叫ばないほうが」

「うるさいわね! こいつ等がこんな馬鹿じゃなけりゃ、わたしだって叫ばないわよ!」

かなりコゲた俺らの上から、遠坂が怒鳴りつける。
こうコゲさせられると、俺らの区別がつかないんじゃないか、というくらいコゲている。

セイバーがなんとか遠坂をあやしているが、効果は余りない。
怒りのボルテージは、限界など知らぬとばかりに上がりっぱなしだ。
危ないから宝石剣をそうブンブンと振り回さないで欲しい。

「いや、言い訳を聞いてくれ。
 なんていうかこれは避けようにも避けられない事で、」

「聞く耳無しっ!
 喧嘩だろうが殺し合いだろうが、終わってからやればやればいいでしょうが!
 サーヴァントだろうが守護者だろうが、いくらだってわたしが肉体を用意してあげるわよ!!!」

勢いでものすごい事を言い放つ遠坂。
テンションは天井知らずで上がり、もはや後ろにゆらゆらと赤い悪魔が現れ始めている。
効果音で言うとドロドロドロ、というよりはゴゴゴゴゴ。

散々罵倒やら罵声やら叱咤を言い続けた後、遠坂は地下空洞への入り口を指差す。

「とにかく、士郎とセイバーは先に行きなさい!
 こんな所で燻ってる暇があったら、さっさと自分のマスターの所へ行く!」

こっちの消耗など気にしてはいない。
結局、勢いは変わらず怒りっぱなしでそう言い放った。

「・・・凛、貴方はどうするのですか?」

そうだ。
どう見ても弱った人間には見えない剣幕で忘れていたが、遠坂は聖杯の影響で立っているのも辛い筈だ。
そもそも、ここに来れた理由も、根性としか言いようが無い。

その勢いで怒り続けた遠坂の表情が、セイバーの一言で収まった。

「わたしはちょっとコイツに話があるから。
 終わってから後ろについてくわよ」

そう言って、押し黙っていたアーチャーを見る。

「ほら、早く行きなさい。
 一刻だって無駄に出来ないのは分かってるでしょう」

セイバーと顔を合わせ、言うとおりに地下への道へと歩み寄る。
その途中、最後にもう一度だけ立ち止まる。

「アーチャー」

声に反応し、此方を向いた赤い英霊に、手にしていたものを放り投げる。

爆発の直前、交差した衝撃でアーチャーの剣は崩れ去り、この剣はその姿を残した。
それは、魔剣でも名剣でもない、探せば何処にでもある短剣。
魔術協会ではもっともポピュラーである、アゾット剣だ。

それの本当の持ち主が誰であるか、そして何故それが砕けなかったのか。
語るまでもない。

アーチャーがそれを受け取るのを見て、俺は再び歩を進めた。


















「剣の質はどうあれ、極限時に置いて私と衛宮士郎のイメージ力に差が生じた。
 故に、綻びがあった私の剣は崩れ、ヤツの剣が残った。
 ・・・いや、それも無粋だな。
 私の剣は折れて、ヤツの、君の剣は折れなかった。
 その事実だけで、私にとっては十分だ」

アーチャーは、既に消失しかかっていながらも、変わらぬ調子で苦笑する。
思えば、彼がわたしの前で衛宮士郎であった時など、最後の一瞬だけかもしれない。

「久しいな、凛」

「ええ、本当に久しぶりよ、アーチャー」

「くっ、君がその姿で現れるとはな・・・少し驚いたよ」

本当に変わらぬ調子で、彼は嬉しそうに笑う。
アーチャーの中では、わたしはあの少女の遠坂凛のままなのだろうか。

「礼を言おう。
 よくもあそこまで、あの頑固者を支えてくれた」

「アンタに言われたからじゃないわ。
 わたしがそうしたかったから、士郎を幸せにしてやっただけ。
 なにしろ、誰かみたいに捻くれさせたくなかったからね」

「ああ、なんとも君らしい――――」

口の端が、ひきつったように歪んでいる。
笑いをこらえられないのか、本当に、楽しそうに笑ってくれた。

「・・・さて、見たいもの見れた。
 限界も近いことだ、私は帰る事にしよう」

黒ずんだ肌が、薄れ始める。
今生の別れをした相手と、再び一生の別れをする。

「ではな、凛。
 君の酔狂ぶり、楽しませてもらった」

「言っておくけどね、わたしに頼んだからにはこれで終わりだと思わない事ね。
 なんたって、わたしは完璧主義者なんだから」

「ああ、そうだな。
 全く、怖い女だよ、遠坂は」

そう言って、彼は最後まで笑顔で消えていった。




涙は、流れない。

これでやっと、一つ約束を果たせただけなのだから。






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