それは厳かに地に下りた。
星の光を降ろし、輝く真なる聖剣。
鞘なる風が暗雲とした気を押し流し、その威風を周囲に知らしめる。
輝きはとどまる事を知らず強さを増し、大地を白く染め上げた。
闇すら押し返し広がるそれを例えるならば、偽りの白夜。
漆黒の夜をしても引けを取らず、明日が来たと、指し示すが様に。
「―――宝具」
色あせた黄の瞳が、細められる。
眩い黄金の輝きの奥。
そこでは、瞳を閉じた少女により、星を降ろす儀式が行われている。
エクスカリバー。
人々の想念によって生まれ、星によって鍛えられた最強の幻想。
その尊き思いは、空想にありながら聖剣におき頂点とされる。
放たれる“斬撃”はあらゆるものを切断し、地上をなぎ払う神造兵器。
そう、それは最早人が起こせるものではなく、天災と言える程の究極の宝具。
それを目の前にした者は、嵐の前の波打ち際を想像するだろう。
何か、絶大でどうしようもないモノが、目の前に迫っていると。
まさに、究極の一撃。
それを前にして人がどうこうできるものではない、人知を超えた事象。
―――だが、
「それで私を倒せると、本気で思っているわけではないだろうな」
音が、消える。
黒き剣が光を放ち、周囲の全てを飲み込んでいく。
漆黒の極光。
禍々しい輝きは、生まれた白い光を食い尽くすが如く圧力を増す。
白と黒の光。
全く逆の性質でありながらも、その輝きは酷く相似している。
語るべくもない。
これもまた、星に鍛えられた究極の幻想。
エクスカリバーに他ならないのだから。
だが、その輝きは明らかに黒き極光が強い。
「先程の小細工があってか、確かにそれならば一度限りの宝具は発動できるだろう。
しかし、お前がどう魔力を手に入れようが、私には無限に近い供給がある。
その差は語るまでもなく、歴然な事実であろう」
それは既に、何度か剣を合わせた時点で互いに理解している事。
同じ性能ならば、量の差が結果を生み出す。
故に、もはやどう足掻いても勝敗は決まっているのだ。
「これでは余りにもあっさりと終わってしまう。
消耗を抑え、一秒でも長く生きる選択が正しいのではないのか?」
そうでなければ、つまらない。
求めているのは勝利ではなく、ただの憂さ晴らし。
彼女を絶望の淵に落とし、惨たらしくも無残に死に至らしめなくては、意味がないのだから。
だが、その言葉にもセイバーは揺らがない。
ただ剣を前へと掲げ、編み上げるが如く正確に光を束ねている。
そもそも、エクスカリバーの起動にこれ程の時間はかからない。
数え切れないほどの戦場を共にしてきたこの剣は、我が身が如く扱える。
魔力さえあれば、たった一呼吸で発動することすら可能な程だ。
「・・・そうか」
心底、残念な声が口から流れ出た。
つまりは、この一撃に全てを賭けるという事。
緻密な構築も、毛先の穴さえ見せない収束も、その全てがこれを最後にするという意思表示であった。
それは、酷く残念な事だ。
復讐にもならない、自らのエゴで押し潰す楽しみが、これで終わってしまう。
この地、この時に呼び出され、それだけを自身の存在意義としたというのに。
ならばせめて、一抹の希望すら叩き伏せ、最後の喜悦を感じよう。
―――――黒き極光は、その臨界を迎えつつあった。
一つ、一つ。
毛糸を編み上げるかのように繊細に、魔力を束ね、剣を制御し、宝具の真なる姿を開放する。
これ程までに、宝具の起動準備に時間を費やした事はない。
通常の戦闘においては、相手はそのような時間を与えてはくれないだろう。
戦争においても、迅速な行動にこそ勝利の結果が訪れる。
だが、これは戦闘ではなく私闘。
そして戦争ではなく、ただの暴力に過ぎないのだ。
尊厳の鬩ぎ合いではなく、名誉の証明ではなく、栄光は得られない。
だからこそ、この一撃に不足や余分はない。
魔力の通わぬ場所など微塵の余地すら残さず、繊細に極限を作り上げる。
勝利の確信や、決定的な危機でもないのに、全精力を篭めた一撃を放つ。
そんな事は後先を考えていない、愚者のする事だろう。
いや、彼女から借り受けた宝石は一つ。
サーヴァント同士の決着に、宝具が使われない戦いなどありえないのだ。
どの道、遅いか早いかだけで、後はなどない。
ならば、この一瞬に全てを賭ける。
「最後だ」
白い閃光と、黒き極光が、一際強い輝きを放つ。
互いに、臨界点を超えた。
「その身が蒸発する前に、彼に残す言葉はあるか」
淀んだ瞳が、冷徹に問いかける。
それは慈悲ではない。
私の死をシロウに伝え、その悲しみを悦ぶ為のスパイス。
ここで私が死ねば、止まらない狂気が襲う先は彼という事か。
「ない」
だがそれを、真っ向から切り落とす。
「ほう、それは勝利の確信があっての故か」
もちろん、彼女には必ず打ち勝つ。
「いや、そうではない」
なにしろ相手は彼なのだ。
あの鈍感で唐変木に、伝言などしても意味がない。
「シロウに心から伝えたい事など、口では言っても伝わりはしない」
信頼と、親愛の情を篭めて、胸を張って言い放った。
それは己が身を呪うが故の嫉妬か。
魔力以上に殺気は膨れ上がり、その黒き光を掲げた。
「―――――約束された(」
狂気も、怒りもただ受け流し、白き光を掲げる。
我が心のうちは、止水が如く静かに澄み切っていた。
たとえ終末の風が訪れようとも、決して揺らぐことのない湖の様に。
たとえ絶望の嵐が訪れようとも、決して犯すことのできない尊き島の様に。
「―――――約束された(」
負けられない。
いや、負けようがないではないか。
・・・私が、彼のサーヴァントとなり、信頼を受けているのに、勝利を得られない筈がない!
『勝利の剣(―――――!!!』
二つの声が真名を紡ぎ、目の前が真っ白に染まる。
空を切りさかん程の極大な斬撃。
それは互いに進行し、互いに襲い掛かり、
――――数秒と待たず、視界が黒き光に埋まった。
戦場から白が消えていき、黒い極光が世界を覆い潰していく。
未だ剣から流れ出る光の奔流は大地を削り、災害を際限なく広げていく。
剣を降ろすまでもなく、もはや決着はついた。
あの白い光も、拮抗はしても数秒と言わずに消えうせるだろう。
同じ聖剣である以上、扱う者の魔力量がものを言う。
この結果は、やらずとも最初から分かっていた事なのだ。
――――だが、この剣は降ろすにはまだ速い。
自分自身の事だ、セイバーの性格は理解している。
アレは騎士であるが故、戦いには全力を尽くす。
だが、勝てないと分かっている相手に自ら攻め込むような馬鹿ではない。
戦う時は、常に勝利を見て。
宝具を放つということは、それを放つ必要性を冷静に考察して。
アレは、宝具同士の打ち合いで負けるという事を知りながら、自らそれを引き起こした。
現実、黒き斬撃は白を押し戻していき、消滅しかけている。
ならば、この一撃は次の攻撃への目くらまし。
そして正面から受ける事などはできないのだから、回避してからとなる筈。
通常、対城宝具であるエクスカリバーの余波を躱しきるなど不可能ではある。
しかし、それは私の知らない“回避方法”があると考えた方がよい。
だとしたら、追撃はすぐに来る。
未だ光を放つ剣はその余波で腕を揺らす。
宝具という最大の一撃を放っている今は、そうが故に最大の隙を見せているのだ。
破壊衝動で鈍る直感を研ぎ澄まし、死角の全てに神経を廻す。
例え、超高速で背後から迫ろうとも、今の自身ならば目もくれず切り捨てることができる。
悦びが体を満たしていく。
完璧なまでの勝利の獲得と、どうにもならないという絶望を与えられるという事実に。
・・・白き光が消えていく。
左右、そして背後からも現れない襲撃者に、実はもう倒してしまったのではないかという虚無感が過ぎる。
――――ぁぁぁ!
いや、来ている。
確かに、相手はこちらへと攻め込んでいる。
隙を突く筈の一撃だと言うのに、愚かにも声を張り上げて駆け抜けている。
だが、どこにいるかは未だ掴めない。
左方ではない、右方ではない、背後でもなければ、上空でもない。
もしやと思って地の底すら探るが、そこにすら彼女の気配は感じられない。
「―――ぁぁぁああああ!」
声が、直ぐ傍までに響く。
それは、最初に否定したありえない方向からの(突進。
「ああああああああああっ!!」
前方に広がる、黒き極光の輝き。
その中に一点、白き輝きをまとう、眩い閃光が視界に移りこんだ。
宝具を放ち、それが黒い極光に飲まれるのを確認した直後、地を蹴って前へと駆け出した(。
風は荒れ狂い、光は地を削り、熱は大気を浸食していく。
その災害の様な一撃の中へ、身を投じる。
それは余りにも愚かしく、救いようのない行為。
風は身を刻み、光は目を焼き、熱は意識をも溶かしていく。
もはや助からない、これを前にして、生き残る法など存在しない。
――― 一つの例外を除いて。
腕を、前へと掲げる。
藁をつかむ愚者の様に、神に助けを請う様に。
だが、それは縋り付きでもなければ、祈りでもない。
絶対の信頼と、揺れぬ心の証明。
その決意を覇気へと変えて、絶対にして不可侵の鞘を開放する!
「―――全て遠き理想郷(―――!!!」
現れた鞘は数百のパーツへと分解され、外界の全ての干渉を遮断する。
それはエクスカリバーの斬撃であれ、例外ではない。
否、その剣の鞘であるアヴァロンが、剣を収める事ができない筈がないのだから。
黒き極光を潜り抜け、白の光が迫り来る。
動揺は、隠しきれようがなかった。
何故、失った鞘がここにあるのか。
何故、それをセイバーが手に入れているのか。
それを答えてくれる者などおらず、時間は止まる事無く、過ぎていく。
「ああああああああああ!」
光が溢れ出る。
それは頭上から舞い降りるかのように振り落とされ、私を両断しようと迫り来た。
動揺は消えず、だが体だけは抜かりなく動く。
――――ギィン!
防いだ。
防げて、しまった。
魔力の差がある、相手の消耗があるといっても、防ぐことができた。
ならば、勝利はこちらのものだ。
過程に意外性があったとはいえ、結局は相手に追撃をする力はなかったのだ。
セイバーに剣を握る力すら残されていなかったのか、弾かれたそれは闇の中へと飛んでいく。
もはや剣もなく、鞘があろうともそれを維持する力すらないだろう。
・・・・ここに勝敗は決した。
視線を下ろし、未だ剣を振り下ろしたままに固まっているセイバーの姿を見やると、
――――その手には、黄金の剣が。
「―――勝利すべき黄金の剣(―――!!!」
視界を埋め尽くす黄金の光。
黒き剣士は、驚愕することも出来ず、ただ惚けたようにその身を断たれた。
嵐が過ぎ去ったが如く、場からは全ての音が消え去っていた。
ぼろぼろになった身体、抉り断層を描く大地。
先程に起こった事が幻影だったかのように、その静寂は場を満たす。
「・・・何故・・・」
搾り出すような、それでいながら決して聞き逃せぬ怒りの声が、足元から流れ出た。
「・・・何故・・・だ。
何故、失った鞘がここにある。
何故、失った剣を持っている。
―――何故っ、不滅たるそれが崩れていく!」
黒き剣士の言葉の通りに、私が手にしている剣と鞘は幻の様に崩れ去っていく。
そう時間を待つ事はなく、それらは初めから無かったかのように、大気へと溶けていった。
「・・・これはシロウが作り出した、投影品。
彼等はその役を果たし、消えていったに過ぎない」
ほんの数時間前の光景が蘇る。
話せる限りの事情を口にした。
エクスカリバーという宝具、アーサーという真名。
第四回の聖杯によって引き起こされた事実に、衛宮切継という当時のマスター。
それを彼は驚き、傷つきながらも、静かに聞き、受け入れてくれた。
そして、たった一つの我侭。
アヴァロンの投影という願いを、彼は受けてくれた。
彼がその存在をしらなくとも、それ自体は彼の体の中にある。
私が魔力を送り、活性を促し、その姿を思い描けば、彼は“形にする”だけで投影は完成する。
そしてその思惑通りに、鞘は幻想を形に成した。
彼は自分の鞘に気づく事はあっても、事実は知らない。
この先も、誰かが口にしない限りは、その存在に気づくことはないだろう。
消耗し、汗を大量に流しながら荒い息を繰り返す彼は、何も無い手をただ静かに見つめていた。
『セイバー。もう一つだけ、投影してみたいものがある』
そうして私に手渡したのは、黄金の剣。
王を選定した剣にして、永遠に失われた筈の聖なる剣。
受け取る時に、躊躇が無かった訳ではない。
これを失った時とは、すなわちアーサー王が騎士道に反した時に他ならない。
だが、私はそれを受け取った。
選定の剣が、果たしてどちらを選ぶのか。
その問いを、今こうしてカリバーンは答えてくれた。
「シロウの・・・投影・・・?」
黒き剣士は、不思議そうに消えていったそれらを見つめる。
しばらくそうしていたかと思うと、力を抜き、長いため息をついた。
「・・・ならば私はまた・・・シロウに、殺されたと・・・いうわけか」
「・・・シロウに、だと? どういう意味だ」
聞き逃せない言葉に、強く問い詰める。
だが、もはや聴覚は働いていないのか、黒き剣士は消え行くような小さい声で、一人呟き続ける。
「・・・全く。・・・何もできない・・・かと、思えば・・・貴方はまた・・・否定、するのですね。
本当に・・・本当に、厳しいマスター・・・で・・・
もう一度・・・貴方の―――――」
消えていく。
体は薄れ、言葉は空に溶けていく。
結局、最後の言葉すら残せる事無く、黒き剣士は大気へと消失していった。
「・・・・・・・」
彼女の世界で、何があったかなど私には分からない。
それがどんな悲しみで、苦しみであったとしても、理解することはもはやできない。
どの道、否定し、破壊する事しかできない体へと堕ちてしまったのだから。
シロウの元へ、行かなければならない。
頼りない足を動かして、鈍足ながらも歩みを進める。
・・・最後に、濡らされた小さな黒い点を、瞳に残して。
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