脇目も振らず、駆ける。
暗闇の中では颯爽という訳にもいかず、所々ぶつけたり擦り傷をつけてしまう。
だが、もはやそれに構うべくもない。
立ち止まり、振り返るような迷いは、もうないのだから。
「――――っ」
だが、その足が止まる。
強く振っていた腕に痛みが走り、バランスが崩れかけたからだ。
酷使しすぎた、というわけでもない。
それなりに鍛えている体が、この程度で痛む筈はなかった。
原因は別にある。
「・・・アーチャー」
服の上からでも分かる程に、令呪が輝きを放っている。
それは契約で繋がっているサーヴァントとの共鳴。
これ程の強い反応。
それを引き起こすには、生半可な事態では済まない。
例えば、死に至るような危機。
生死を賭けるような魔力の使用。
そして、切り札である宝具の発動―――――
だが、彼は宝具を持たないと語った。
そして同時に、伝説を語る剣や盾が無くとも、シンボルとなるものがあると。
・・・意識を外へと向ける。
遥か頭上で、信じられないほどの魔力の胎動を感じる。
これはセイバーか、ランサーか。
そして後方、今迄通ってきた道の始まり。
この地下と外界を繋ぐ入り口の辺りに、違和感がある。
まるでそこだけ刳り貫かれ、空間にぽっかりと穴が開いているように。
「固有結界、ね。
まさか本当にそんなもんの術者だなんて・・・」
宝具を持たない英霊が、弓兵として呼ばれて剣を扱い、魔法にもっとも近しい魔術を使う。
なにもかもがデタラメで、驚かされてばかりいる。
そして、その真名も―――――
「いえ」
頭を振る。
それは今考えるべき事ではない。
事態は一刻ですら無駄に出来ないのだから。
前方へと向きなおし、再び足を進めようとして、止まる。
・・・おかしい。
なくてはならない事が起こっていない。
いや、減らなくてはならない物が減っていない。
「魔力が・・・減ってない?」
思わず自分の体を見回す。
固有結界程の大魔術ならば、魔力の消費も激しいものであってしかるべきだ。
だというのに、この身の魔力は少量の減少すらみせない。
もちろん、ラインは切れていない。
いや、むしろコレは・・・
「っ、あの馬鹿」
令呪を一度睨み付けてから、走り出す。
ラインが繋がっている以上、魔力は常時送られていく。
固有結界程の大魔術を使用しているのならば、それも顕著に現れるのが当然だ。
ならば何故魔力は送られていないのか?
―――アーチャーが、自ら供給を絶っている。
それはサーヴァントにとって、自殺行為に等しい。
人間は血が足りなくなれば死ぬように、サーヴァントにとって魔力がそれに値する。
エーテル体である彼等は、現代兵器でさえ御する事は出来ない反面、その影響を強く受ける。
彼等程の強力な英霊となると、ただ存在するだけでその消費は莫大なものとなるのだ。
それが魔力供給を絶つなど、愚かを通り越して自殺行為に他ならない。
そんな事を、サーヴァントであるアーチャーが分からない筈はないのだ。
ならば何故、彼はこんな真似をしているのか。
・・・分かっている。
アーチャーは鋭い。
わたしのしようとしている事を、相談もしていないのにさとったのだろう。
桜を助ける為には、魔力の欠片も無駄に出来ない。
彼のことだ、それに気づいた瞬間、迷う間もなく供給を絶つという思考に至ったのだろう。
たとえそれで、自身の存在が消えるとしても。
「――――馬鹿!」
ああもう、腹がたってしょうがない!
アーチャーといい、士郎といい。
なんだって勝手に色々と決めるのか!
「ほんとに・・・わたしの許可無く、勝手に消えるんじゃないわよっ!」
速度を上げる。
一人であり、二人である男の信頼を背に受けて、駆け抜けた。
そして、その異界へと足を踏み入れた。
先程の場所など比較にならないほどの広大な空間。
上を見上げても天井は見えず、横を見回しても限りはない。
ここが地下であるという事すら忘れそうになる。
そしてその中心であろう場所に、圧倒的な魔力を有した、小山の様な丘がある。
「・・・・・・・」
吐き気がこみ上げる。
そこは、既に聖杯を降ろす場ではなくなっていた。
ジャグラーの第二魔法の影響か、所々に『門』が姿を見せ、その中から千差万別の力が流れ出している。
小源、大源、悪魔の様な瘴気、天使の様な精気。
流れ出す魔力は捻れ、混沌とした世界を作り上げる。
それが、どうしようもなく気分を害してゆく。
逆に全てが瘴気であるのならば、まだ耐えられたであろう。
その中にある、一点の清涼感。
それが違和感を呼び、酔いを引き起こしている。
言うなれば、ここは『可能性』に繋がっている平行世界への入り口。
それが制御されずに駄々漏れになっているのだから、恐ろしい話しだ。
――――余り意味の無い推測が思いつく。
もしやあの新たに呼び出されたサーヴァント達は、別の世界で聖杯戦争に召還された人物達なのではないかと。
懐から幾つかの宝石とアゾットを取り出し、襲撃を警戒する。
ここには桜だけではなく、マキリの祖である臓硯がいる筈だ。
それだけならばまだよいが、セイバー達と同様に、ライダーとアサシンがもう一人づつ現れてもおかしくはない。
二騎のサーヴァントに囲まれれば勝算は全くと言っていいほどないが・・・
もはや後に引くことはできない。
最悪、聖杯である桜さえこの場から引き離せば、大聖杯は機能を停止する筈だ。
「・・・?」
丘に足をかける。
予想された襲撃は、いくら近づいてもなかった。
考えてみれば、通常の聖杯戦争のように相手も7騎呼び出しているとは考えにくい。
大聖杯がそう何人も英霊を呼び出せるというのなら、そもそも7つとクラスを絞る必要性もないのだから。
いや、だとしても間桐臓硯本人がここまでの進入を許すとは・・・
解の出ない問題に思考をついやしながら、歩を進める。
そしてついに、何事も起こることなく足が丘の上へと着いてしまった。
最深部に、その防衛がない理由。
答えは、悩むまでも無く、目の前に溢れていた。
「これ、は」
一目で言葉にしたならば、そこは腐った池だ。
黒くおどろおどろしい液体が並々と張られた、大きな池。
その正体は、虚数の海。
実際に液体である訳ではなく、そのまま魔力が形を持ったと言ってもいい。
いや、だからと言って触れる訳でもなく、それは影が如く存在はしても物体であるわけではない。
通常の人間の営みにある、五大元素。
その現世を統べる属性の裏にある、架空要素。
それが、溢れるほどに大聖杯の上を漂っていた。
生身の人間であれば、加工された魔術ではない限り大した影響は受けない。
だが、エーテルの塊であるサーヴァントであれば、これに触れるだけで肉体が溶けてしまう。
この場は、もはや掘りに囲まれた城砦同然。
味方であろうとも、サーヴァントである限り近づくことができない絶海の孤島だ。
ここに守りが無い理由が分かった。
ただ、必要ないだけなのだ。
「まあ、こちとら生身だから関係ない筈なんだけど・・・」
泥の海に目をやる。
その中に、老人らしき手が突き出されているのが見えた。
この場にいる人物である以上、アレが誰であるかは考えるまでも無い。
そして、
「桜・・・」
その中心。
まるで囚人が如く座に縛られている少女の姿があった。
歯を噛み締めて、今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑える。
震えそうになる喉に力を入れて、この空間全てに届かせる気勢で声を張り上げた。
「間桐臓硯! そこでコソコソと隠れてれば、わたしが気づかないとでも思ってるのかしら!
一度も姿を見せずに・・・正直ウンザリしてるのよね。
この地に住を下ろす魔術師ならば、遠坂の当主に断りを入れるのが礼儀じゃないかしら!?」
木霊せず、ただ暗闇に吸い込まれていく声。
それが跡形も無く消えると、搾り出されるように、乾いた音が鳴り始めた。
「カ、カカカカカカ!
よう吼えおるわ小娘が!
両家の交友など、不可侵と決めたときから無いものと同様であろうに!」
耳障りな、老人の声。
それはそこで流れている死体からなんかではなく、囚われている少女の口から発せられていた。
「ふん、なら桜を返してもらおうかしら。
元々は遠坂の家に生まれたわけだし、里子に出したのも旧知の縁があってこそよ。
それに、アンタ達の育んできた魔術程度じゃ、桜の能力は生かしきれないわ」
「何を言うと思えば。
もはや桜はワシの愛おしい孫よ。
惜しくなったからといってそうそうに返せるものか。
これ程の適正、これ程の逸材、これ程の道具を何故に手放せようか!」
翁の高笑いが響き渡る。
そこに正気はない。
ただあるのは、狂いきった歓喜の色だけ。
もはや、言葉は通じない。
否、あれはわたしが生まれる前から、妄執に囚われて聞く耳など持たない化け物だったのだろう。
「・・・もう一度言うわよ、桜を返しなさい。
その体を出て行けば、その後アンタがどうしようがわたしは干渉しない」
「しつこいのう。
貴様も魔術師であろう、小事に拘らず大事を見よ。
聖杯は降りる、そして“孔”は開く! これこそが全世界の魔術師の悲願、根源への入り口よ!」
狂気に染まった老魔術師は、生まれ出でる我が子を迎えるように叫ぶ。
だが、その願いは決して叶うことは無いのだ。
確かに入り口は開く。
いや、開くだけであればとうに開き始めている。
だが、そこから流れるのは、根源の渦から出でる知識の極みではない。
何がでるかは分からない、違う世界からの訪問者だ。
いや、そもそもそれすらも起こりえない。
余分なサーヴァントを呼び出した代償に、既に大聖杯は壊れかけている。
放って置けば、どの道破滅は訪れるだろう。
・・・そう、一人の少女を道連れにして。
「最後の通告よ。
その体から、出ろ」
懐から取り出した短剣、アゾットを突き出す。
それをどこから確認しているのか、老魔術師は一笑に付した。
「それでどうするつもりじゃ、小娘。
桜の体ごと、ワシを突き殺すつもりか。
よかろう! ならば心臓を貫け!
ワシはここにおるぞ!」
嘲りを含んだ、明らかな挑発。
愛しい妹を傷つけることなどできないだろうと、高をくくっている。
だからこそ自分の居場所を、蟲か擬似神経となって寄生する心臓という場所を語ったのだろう。
桜を取り戻そうとしている以上、わたしはこれ以上手を出す事はできないのだから。
「ぬ・・・?」
だが、剣は下ろさない。
じわり、じわりと足を進めて、影の海へと足を踏み入れる。
「小娘、おぬし実の妹を切り捨てるか。
遠坂の家から切り捨て、そしてここで命すらも切り捨てるか!
まだ間桐に来て間もない頃、“訓練”に耐えかねた桜はおぬしの名を呼んでおったぞ!
助けてくれと、痛いと、叫んでおった妹を切り殺すか!」
視界が、一瞬真っ赤に染まる。
口の中に鉄の味が染み込み、手にしたアゾットが軋む。
桜をこんな目にあわせた臓硯、そして今迄彼女を助けられなかった自分に、どす黒い殺意が沸く。
だが、心だけは、決して、乱さない。
「・・・ほう、あくまでも本気か」
臓硯の声は意識の外へと移せ。
ここから桜の体まで、50メートル程度。
なだらかな下り坂でもあるから、全力で走りきれば10秒とかからない。
影の海は・・・問題はない、術として稼動しない限り実害はない。
いける。
「そうか、真に残念よのう。
ワシが不老不死を得る盛期の瞬間、その感動を縁深い遠坂にも垣間見せようと思っていたのじゃが」
体を前へ傾け、地を踏みしめる。
臓硯が何か手を出す前に、一瞬で駆け抜けて、
「仕方あるまい。
ならばこの場で糧となるがよい」
―――影の海の奥に、蠢く何かを見た。
前へ /
戻る /
次へ