深遠を手探りで進み、奈落へと下る。
あの眼に映える赤でさえ、この闇の中では姿を見せることはない。

目指すは聖杯の核。

この戦争と杯を生み出す、原点となる地へ。

















湿った足音が、断続的に鳴る。
薄暗い洞穴の中を、俺達は可能な限りに急ぎ、進行している。

「――――遠坂」

ここに入ってからは、どちらも口を開くことはなかった。
だが、俺には聞かなければならない事がある。

「・・・・」

遠坂は答えない。
が、顔だけはこちらに向け、反応を返してくれた。

「聞きたい事がある。
 ・・・・桜を、どうするつもりだ?」

それまで規則正しく鳴り響いていた足音が、僅かにズレる。
それも一瞬に過ぎず、遠坂は再び同じ速度で歩き始める。

「どうするもこうも、助けるに決まってるじゃない。
 敵対してる家柄の子とは言えど、一応は後輩だし・・・もう関係なくても、妹なんだから」

何でもない事の様に、さらりといいのける。
だが、その中にある緊張と迷いが隠しきれていない。

「ま、それも状況によるわね。
 助けるのが困難だと思ったら見捨てるわよ、わたしも自分を守るので精一杯だし。
 それにもう、桜は桜じゃないかもしれない。
 もしあの子が、明確な敵として現れたら・・・・」

遠坂が立ち止まる。
そしてもう一度こちらを振り向いた時には、逡巡など何処にもない。

「殺すわ」

冷酷で、俺には一切感情など読み取れない魔術師の顔で、そう言った。

「―――そうか」

「・・・意外ね。
 衛宮くんは反対すると思ってたわ」

「あたりまえじゃないか。
 俺は桜を助けに来たんだから、もし遠坂がそんな事をするなら止めるに決まってる」

「何よそれ・・・にしちゃあ冷静だったじゃない。
 わたしがどうするか想像ついてたって事?」

想像がついていた? そんな訳は無い。
本物の魔術師であり、その家計で生まれそだった遠坂の決意など、俺なんかが理解できる筈がないのだから。

「そうじゃない。
 ただ、それが魔術師としての遠坂が判断した、正しい選択なんだと思っただけだ。
 別に納得した訳じゃないし、認めてる訳じゃない」

だから驚かなかった。
遠坂は普通の女の子だが、それ以上に魔術師でありすぎる。
そうである事に弱音を聞くた事はないし、むしろそうである事を許容し、誇りとしている。
ならばこそ、正しく、道理が通った答えを導き出すのは、当然の事であるのだろう。

だが、

「でも遠坂、それは魔術師として出した、“優良な答え”なんだろう?
 俺が聞きたいのはそんなんじゃない。
 ・・・俺が聞きたいのは、遠坂自身がどうしたいかって事だけだ」

魔術師の自分に押しつぶされている、彼女自身の望み。
ただ少女個人の中にある、純粋に想う願い。

それこそが、俺が今必要としている事だ。

「・・・・・・・」

遠坂は答えない。
それは決して、口に出してはならないと言わんばかりに。

厳しい視線からは、何を考えているか読み取ることはできない。
だが、はっきりと、明確に、彼女の中に迷いがある事は確かだった。

「・・・行くわよ。
 上じゃもう戦いは始まってるし、決着がついててもおかしくないわ」

やはり答えず、遠坂は再び歩を進める。
俺もそれ以上は追及する事なく、その後姿を見失わないよう、足を動かした。



















目の前に、大きな空間が広がった。

思わず、俺達は足を止める。
何かあるわけではないが、それだけに警戒心が働く。

「・・・ここじゃないわね。先に進むわよ」

遠坂の声が闇に広がり、返らずに消えていく。
それほどまでにこの場は広く、障害物などない事が示されていた。

――――?

「待て、遠坂」

歩き出していた遠坂の足を止める。
今、足音が二つ聞こえたような気がした。
俺達は二人なのだから当然なのだが、あいにく俺はまだ脚を動かしていなかった。

・・・足音は続く。

まだ見えぬ奥から、確かにだれかが此方へと来ている。
断続的に、ゆっくりと鳴り続ける足音。
その主はかろうじて空洞にある光に身をさらすと、黒き姿を俺達の前に現した。

「・・・お前」

見覚えがある。
いや、忘れようがない。
何しろ、俺は何度と無く彼女に殺されかかったのだから。

「―――ふん、もしかしたらとは思ってたけど、やっぱり生きてたのね」

遠坂の視線が、現れた女を睨み付ける。

地に届かんばかりの髪を背に流す、黒き衣の女。
拘束具のようなマスクで目を覆い、顔から表情というものすら隠されている。
姿だけでも十分異質だが、その身に流れる魔力は明らかな人外。
それは俺達では及ばぬ化け物の証明であり、サーヴァントという英雄の姿。

その者のクラスは、騎兵。
     ―――――――ライダー。






「知ってたのか、ライダーが生きてるって」

「知ってたわけじゃないわよ、ただの推測。
 慎二には魔力がないんだから、少なくとも正規のマスターじゃあない。
 最初は間桐臓硯あたりが召還したんだと思っていたけど・・・
 正当の跡取りが桜である以上、そっちが呼び出したと考える方が自然でしょう」

アーチャーの言葉を思い出す。
ライダーには、死に至る傷を与えたが、優秀な契約者でもいれば別だと。

桜がライダーのマスターであるというのならば、慎二との契約が切れたと同時に、それが元に戻る。
つまりこの場合、アーチャーの言う優秀な契約者が桜という事か。

「それにしても・・・まずいわね」

遠坂の頬に、冷や汗が流れる。

数で言えば、二対一。
だがサーヴァント相手では、俺達人間はものの数に入らない。
大した抵抗はできず、蹂躙されるのがオチだ。

「まあ、こうなるのも予測の内だったし。
 やるしかないわね」

そう強がりを見せ、懐から宝石が取り出す遠坂。
それがサーヴァント相手に通じるとは思えないが、何もしない訳にはいかない。
何としてでも、俺達は先に進まねばならないのだから。

「トオサカリン」

唐突に、ライダーが声を上げた。
俺は何度か彼女の声を聞いたわけだが、それでも驚愕した。
まさかこの場で、しかも遠坂を名指しで呼ぶなど、思いもしなかったからだ。

「一つ言っておきますが、私に手を出さない事です。
 貴方をどうこうする事はできませんが、攻撃には反撃を持って返しますので」

そしてその内容も、驚くに値した。
どういう事かは分からないが、彼女は遠坂に危害を加える気はないらしい。

「・・・どういう事かしら。
 桜が、わたしを呼んでるとでもいうの?」

遠坂の声に緊張が篭る。
それは桜が助けを呼んでいるような事態を期待しているのではなく、誘い込まれるのを警戒しているの様だ。
もしそうであれば、きっと桜が戻れない所に行ってしまったという証拠になってしまう。

「いえ、命令には貴方を対象にするものが無いだけです。
 私に課せられたのは、ただ一つ」

じゃらじゃらと、どこかで蛇の声が聞こえた。
見れば、彼女の手にはいつのまにかあの武器が持たれている。

ドス。

杭が刺さる、鈍い音が響いた。
それは地を貫き、深々と突き刺さっている。
ほんの一瞬前、俺が立ちずさんでいた場所だ。

「エミヤシロウ、貴方の足を止める事です」

「・・・・・・」

疑問は無かった。
どうしてなのかは全く分からないが、その事に動揺はしない。
ただ、やるべき事が見えたと、漠然とした思いだけがあった。

「だ、そうだ。
 遠坂、先に行ってくれ」

「馬鹿言うんじゃないわよ。
 わたしも戦うわ、アンタ一人じゃ勝ち目ないでしょう」

「遠坂こそ馬鹿言うな。
 俺等が二人で戦ったからって、勝ち目がある訳ないじゃないか」

例え遠坂が加わったからといって、勝率が上がる訳じゃない。
大方どちらかが互いの死体を見て、逆に足を引っ張る程度の問題だ。
サーヴァントを相手にすると言う事は、そういう事だ。
それを遠坂が分からない筈はない。

「だからって、一人じゃすぐに死ぬわよ。
 今は何とかして生き残って、」

「誰かが来るのを待つ、か。
 確かにそれは正しいんだろうな。
 だけど、俺達の目的はなんだ?」

時間が経てば経つ程、桜は壊れてしまう。
助けるのならば、一刻も早く行かなくてはならない。

「もう一度聞く。
 桜をどうするつもりだ?
 いや、『遠坂』は桜をどうしたいんだ?」

「―――――――」

問われた少女は、硬直して押し黙った。

完璧な魔術師であるという事は、その人間自身を押しつぶす事になる。
そして完璧すぎる遠坂凛という少女は、自身を押し隠す事を容易にできる人間だ。
今まで、何度もそうやって人間である事を捨ててきただろう。
子供の頃から、少女の心を。

そして今も、自分を殺して魔術師であろうとしている。
だがそれは、彼女の本意では絶対にない筈だ。
短い付き合いではあるが、遠坂の事を身近で知り、助けられて。
まだ彼女の中に残っているものを、何度も見たのだから。

「・・・けたいわよ」

搾り出すように、言葉が彼女の口から発せられる。

「助けたいわよ!
 だってわたしの妹なんだから!
 ずっと・・・ずっと見てた大事な妹なんだから」

それが彼女の、遠坂凛自身が想う、本当の言葉。

ああ、そうだ。
それが聞きたかった。
もうコレで、迷う事も恐れる事もない。

「じゃあ先に行ってくれ。
 俺は俺でなんとかするから」

「・・・ふざけないで。
 だからってアンタに死なれちゃ後味が悪いじゃない。
 戦う前から諦めるのは止めた。
 なんとしてでも、二人でここを切り抜けるわよ」

少し涙声になりならがも、頼もしいことを言ってくれる。
だけど、少し間違っている。

「大丈夫だって。俺は死なないから」

そう、勝つことはできなくとも、死ぬつもりはない。
生き残るだけならば、きっとできる筈だ。

・・・スイッチを降ろす。

「―――――投影トレース開始オン

空間が凝結する様な音と共に、手に硬質感が宿る。
それは冷たさをもって、俺に存在を示してくれた。

「・・・! 士郎、アンタそれ」

右手には、白き短刀の陰剣莫耶。
左手には、黒き短刀の陽剣干将。

対にして一つの夫婦剣であり、アーチャーが使用する二つの短剣。

「俺一人なら、たぶんなんとかなる。
 だから遠坂は先に行って、桜を助けてやってくれ」

「・・・・・・」

遠坂は驚いた表情のまま動かない。
それは投影そのものよりも、何か別の事を注視している様にも見える。

「遠坂?」

「あ、うん。わかった。
 ・・・じゃあ、先に行くわよ」

意識を戻し、再び冷静な表情を取り戻してくれる。
ライダーを警戒しながらその脇を駆け抜け、遠坂は奥と進んでいく。

「士郎!」

そして深い闇に見えなくなる寸前、遠坂は振り返って声を張り上げた。

「まだアンタには魔術の『ま』も教えてないわ!
 これが終わったら、パンクするまで叩き込んであげるから覚えておきなさいよ!」

「ああ、お手柔らかに頼む!」

そうして、最後に遠坂らしい微笑を見せてくれると、その姿は消えていった。












黒きサーヴァントは、何も言わずにただ佇んでいた。

此方が話していた間、手を出してこなかったのが意外だった。
前に戦った時のイメージだと、戦いに感情を持ち込まず、ただ機械的に動く人物だと思っていたからだ。

「私の役目はエミヤシロウの足止めです。
 少なくとも、貴方が進もうとしない限り私から手を出すことはない」

俺の疑問を読み取ったのか、ライダーは親切な事に説明してくれた。
だが、今こうして武器を持って立ちはだかった以上、もはや猶予はくれないだろうが。

ここからが、俺の戦いだ。

もはや、危機に陥っても助けは来ない。
地に伏しれば、そのまま俺の命が無くなる死地に足を踏み入れている。

ガチリ。

撃鉄を降ろし、体中に魔力を流し込む。
双剣を構え、体を深く沈め、

「ふっ!」

爆ぜるが如く、迎えうる死へと踏み込んだ。






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