小さい振動と、静かに鳴り響く重低音。

柳洞寺の地下に在るこの世界で、大聖杯は崩壊を迎えようとしている。



その下で、赤き騎士はただ立ち尽くしていた。



「―――――――」



眼下には聖杯戦争を維持する、奇跡を行う機構。

広く浅い窪みの中心には、一人の少女が祭り上げられていた。



「・・・・・・ぁ・・・っ」




腕は吊り上げられ、貼り付けにされている囚人。

彼女はこの異常を補正するべく、崩壊停止の処理を強いられる。

放って置けば数日と経たずに『壊れる』のは言うまでもないだろう。

それを、彼は表情を変える事無くただ見下ろしていた。



「どうした、アーチャー。
 心配せずとも聖杯は成る。
 御主等は懸念などせず、己が怨念を晴らせばよかろうに」



姿の見えぬ老人の声が、どこからともなく響いてくる。

その声はあくまでも愉快に笑い、崩壊の前兆にすら気づいてすらいない。

目の前に現れた宿願に、耄碌した思考は判断力を失っているようだ。



「焦らずとも、奴等はここへと来るだろう。
 急いてキャスターの様に無駄死にするのでは敵わん。
 ―――いや、アレは元より死体であったか」

「ふむ、それもそうじゃな」



笑い声が響く。

現状、全てが自らにとって良い方へと向かっているからだろう。

故に――――自らの願いだけは決して叶わないという事に気づかない。



醜悪な愚者に背を向ける。

未だ響く哄笑を片隅に聞きながら、赤き英霊は姿を消した。























――――――――<行くは白雪の森>――――――――





























ごうごうと、風が耳元で鳴り響く。
視界から流れていく木々は互いを擦りながらざわめき、駆け抜けていく者を見守る。

「・・・はあ・・・はあ」

少女はそれらを虚ろな瞳で見流す。

呼吸は荒く、雪のように白い肌は熱で紅潮している。
吐く息は熱く、足りない酸素を吸うべく精一杯に呼吸を繰り返す。

少女は消耗していた、いや、し続けている。
聖杯戦争で呼び出される英霊は7人。
そしてそれがシステムの限界数値である。
現在の異常な召喚数は、それだけで聖杯である彼女の体を蝕む。

メーターを振り切れたエンジンの末路は、停止ではなく崩壊である故に。

「――――っあ」

激痛が襲い、反射的に体を抱きしめる。
崩壊が続く以上、彼女の痛みは終わることはない。
定期的に続いていたそれは、時間が経つにつれ短くなり始めていた。

痛みを飲み干し、びっしりと額にかいた汗を拭う事すらできずに、視線を上げた。
そこには彼女を抱いて走り続ける男の顔がある。

「・・・まだ大丈夫よ、バーサーカー。
 あともうちょっとで城に着くから」

無理やりに口を開く。
忠実なる騎士は唸る風の中でそれを聞き取り、自身の限界まで速度を上げた。





  ――― ミツケタ





速度を上げ続けていた足が、急静止する。
もちろん、イリヤはそのような命を下していない。
訝ってバーサーカーの顔を見るが、ただ一点を見つめるだけで動く事はなかった。
その視線の先を、自らの瞳で追う。
その先には木々によって生み出された、濃い闇があるに過ぎない。
いや、その中心に一つだけ違いがあった。

まるで切り取ったかのように、白い髑髏が闇に点を作っている。

「―――貴方、暗殺者アサシンね」

「如何にも」

ヌルリ、と闇の中から肉体が這い出る。
肉と皮しかないような細身の身体に、拘束されている右腕。
異様としか言えない風貌だが、召喚されるアサシンとしては柳洞寺の男よりも正しいといえる。

だが一つの違和感が残った。
発せられた声は、最近身近で聞いたものの様な気がしたからだ。

「時間がない、端的に答えるとしよう。
 正しき門を開くべく、共に来て貰おう」
 
思考を捨て、切り替える。
思いついたことはあったが、まずは目の前の邪魔者を除去しなければならない。

「お断りよ」

「ほう。一つ聞くが、何故か」

「簡単な話よ。
 私の身体はね、認めた人間以外に触れさせるつもりはないわ」

結果、同じ場所に同じ条件で行くことになったとしても、意思は変わる事はない。
これはただの自尊心に過ぎない。
しかし、それを守り続けるのは譲れない意地である。

アサシンの体が揺らぐ。
影の衣を纏った体は、行動を開始すべく深く沈みこんだ。

「予想できた結末であったが、やはりこうするしかあるまいか」

「なんのつもりかしら?
 マスターを不意打ちで殺す程度しかできないサーヴァントが、私のバーサーカーと闘うつもり?」

声に嘲りすら含め、アサシンを見下ろす。
弱ったイリヤを抱いていても、その戦力差は埋まる事はない。
戦いになどならず、結果は火を見るよりも明らかだ。

「いや、私はもちろん、他のサーヴァントであれソレに対抗できる者はおらんだろう。
 高名な英霊であれば可能性もあろうが、私如き無名の霊では話にならん」

「分かっているなら、去りなさい。
 早くしないと虫けらのように踏み潰すわよ」

荒い呼吸を抑えて睨み付ける。
それだけで、黒き巨人は敵へと殺気を開放した。

しかし、矮小である筈のアサシンは怯む事すらしない。
むしろ時間制限付のこちらの方が焦っているくらいだ。
暗殺者では狂戦士に対抗できない。
それは変わらぬ事実であるのに、どうしてこの相手は余裕を見せられるのか。

「勘違いしているようだが―――貴様の相手は私ではない」

髑髏の仮面が嗤う。

 ―■■ ■ ■―

何かの音が聞こえた。
それはまるで獣の咆哮の様で、そう遠くから聞こえている訳ではないらしい。

「・・・え?」

無意識に口から声が漏れる。
その咆哮は、よく耳慣れたモノであったからだ。

 ―■ ■■■ ■■―

声がはっきりと聞こえ始め、木々をなぎ倒す音と一緒に近づいてくる。

いつのまにかアサシンは先ほどの場所から離れている。
木の枝からむけられている面は、相変わらず嗤っている髑髏の物だ。

殺意が押し寄せてくる。
それがどうしようもなく怖いのに、何故か慣れたもののように嫌悪する事ができない。

破壊音がすぐ目の前にまで迫る。
木々をなぎ倒し、地を抉って姿を現したモノは、


■■■■■■―――!!



聞きなれた咆哮、見慣れた巨体、そして始めて見る姿をして、斧剣を振り下ろしてきた。








咄嗟にそれを防ぐバーサーカー。
しかし振り切られた勢いは止まらず、信じられない事にその巨体は大きく弾き飛ばされた。

「―――っきゃ!」

後ろに広がっていた木々をなぎ倒しながら、地面に叩き付けられる。
しっかりと抱きしめられたイリヤは、その衝撃を身に受けながらもなんとか無傷であった。

咆哮。

殺気を撒き散らした敵が再び迫る。
バーサーカーは主人を地に下ろすと、その敵と向かい合った。

――ド ギィンッ

もはや剣の打ち合う音とは思えぬ程の激しい剣戟が響く。
互いの咆哮と共に高められていく威力は、空気の爆発となって風を撒き散らした。
イリヤスフィールはそこで初めて、相手の姿をしっかりと確認した。

自分のサーヴァントと変わらぬ、見事なまでの肢体。
変わらぬ咆哮、変わらぬ巨体でありながら、その身に纏っている何かが全てを裏返していた。

赤黒き影の泥。

それはもう一人のバーサーカーの身を覆い、その全てを束縛していた。

■■■■■■―――!!

一際大きな咆哮が上がる。
影の巨人は大きく斧剣を薙ぎ、少女の従者の心臓を引き裂いた。



―――狂戦士の宝具の名は十二の試練ゴッド・ハンド
 数々の勇猛なる偉業を成し遂げた彼には、12回死ななければ蘇生するという呪いがある。
 それはあくまでも自動的で、誰が止めようとした所で解除できるものではない。
 マスターである少女だけではなく、その肉体を持つバーサーカーですら同じ事。



だというのに、その覆せない筈の定理は目の前で崩されていた。

ドクドクと流れ出る血液。
流れるのは血だけではなく、サーヴァントが存在する為に必要な魔力すら放流していく。
傷口が治らない。
いや、死んだのに蘇らない、、、、、、、、、のだ。

「ダメ、逃げてバーサーカー!」

悲痛な声が響く。
少女はその不条理を理解できている。
原因はあの『泥』だ。
いかに最強の宝具が存在しようとも、サーヴァントである以上アレに逆らう事はできない。

傷口を嘗め回すように侵食していく泥。
それは不死である筈の巨人に死を与える毒である。



咆哮。



影の巨人は止まらない、いや、止まることはできない。
彼でさえあの泥に飲まれた囚人なのだ。
その身には狂気と破壊衝動しか残されていない。

故に残った部分のあるバーサーカーを標的とする。
五感すら失った筈の肉体で駆け、その手にした斧剣を止めとばかりに振り下ろし―――




「■■■■■■―――!!」






死んだ筈の巨人が影の肉体ごとそれをはじき返した。

吹き飛ばされていく影の巨人。
それは先ほどの焼き直しのように、木々をなぎ倒して背中から大地に倒れこむ。

質実剛健。

少女のサーヴァントは命を失いながらも立ち上がり、揺ぎ無い意思で構えを作った。

「ダメ・・・逃げよう、バーサーカー!」

少女は訴える。
もはや間に合わぬと分かっていながらも、声を張り上げる。

その声をしっかりと受け、その上でバーサーカーは少女を拒絶した。

「どうして?
 一緒に行こう、そうじゃないとバーサーカーが死んじゃうよ・・・!」

その言葉を片隅に残っていた理性で受け止める。
だがしかし、いや、だからこそ、狂戦士は動かない。

目の前には狂う事すら奪われた暴力。
元よりアレを相手に逃げるなど不可能であると。

「そんなのわかんない!
 嫌だよ、そんなの嫌。
 バーサーカーは私と一緒にいなきゃダメなんだから!」

叫び、泣きじゃくる少女。
不動であった狂戦士の首が動く。
その瞳は、狂った者には許されない温かなものであった。

その視線に見つめられ、少女は涙をも止めて絶句する。

言葉など介さない。
いや、元よりこの二人は言葉で分かり合うことなど許されなかったのだ。

だからこそ、その瞳だけで全ての思いを受け止めることができた。



咆哮が響く。



蘇った影の巨人を前に、狂戦士は雄たけびを上げる。
少女の忠実なる騎士は、忠義ではなく愛情を胸にして自らを死地に投げ入れた。














「・・・・・・・・」

響く剣戟と咆哮。
目の前で繰り広げられる死闘を見つめる。
彼に語りかける言葉は無く、少女のするべき事は決められていた。

「・・・っ!」

激痛を押さえつけ、渾身の力で歩き出す。
向かう先は巨人の下ではなく、自らが向かうと決めた場所。

思えば何故こうしているのかが分からない。

少女がすることはただ聖杯を開く事。
それだけの為に作られ、その為だけに存在しているのだから。

本当にそれだけだとしたらもはや少女に役目はない。
門は放って置けば開く。
それが望んだ場所に繋がらなかろうが、それは門を開くだけの彼女には関係がないのだ。
では何故、こうまでして必死に行動をしているのか。

(・・・ああ、ただ)

赤き騎士の、そして少年の優しくて、暖かい瞳を見て。

(私はただ)

時折見せる悲しみを感じ。

(お姉ちゃんになろう、って思っただけだった)

不出来な弟達の為に、彼らができない事をしようとしたのだ。
ただそれだけの、単純で、馬鹿らしくて、どうでもよいような事を、絶対にしようと決めたのだ。

だから引き下がれない。
少女の騎士が作り出した道を、進まない訳にはいかない。

足が動かなかろうが、腕がもげようが、立ち止まる訳にはいけないのだ。

「――――――」

だというのに、その道には白き髑髏が立ちふさがっていた。

「最早意思など問わぬ。
 強制的に同行してもらう」

目の前にいた筈なのに、その姿がかき消える。
バーサーカーはこちらに手を出す程の余裕はない。

諦めたくないのに、もうどうしようもない。

―― ズッ

何かを貫くような重低音が響く。
それは少女の意思を絶つべく放たれた一撃――――

「え?」

だがその衝撃はいつまで経っても来ず、アサシンはいつの間にか遠く離れていた。

「ギ、」

断続的に降り注ぐ音と共に、暗殺者の姿は闇の中へと追いやられていく。
完璧にその姿が視界から消えた後に、目の前にある物を凝視する。

それは紛れも無い、一本の矢。

「・・・シロウ?」

見上げるも、あるのは木々が擦れ合う小さな音があるだけ。
どこを見回しても、赤き外套がその目に映ることはなかった。

少しの間だけ呆然とした後、決意を持った瞳で歩を進めだす。
白き少女の姿は、深き森の奥へと消えていった。






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