霞がかっていた双剣が、その輪郭を細部まで映し出す。
艶が無く、互いに鋼の鈍い光沢を生んでいる黒と白の陰陽剣。
黒き短刀の名は、陽剣干将。
白き短刀の名は、陰剣莫耶。
形状、重量、造り、全てに置いて限りなく同質。
それもその筈。
この双剣はそうであるように作られている。
流れ出す情報は、外見だけではない。
互いが互いを呼ぶ、名実通りの夫婦剣。
片方を失おうが、その片割れがいる限り必ずその元へ戻る。
とある名匠が剣を作りし時、その妻が自らその身を炉に捧げた。
鍛冶屋は悲しむも、文字通り精魂を込めて剣を鍛つ。
そして作り上げられたのは人を斬る為でも、名誉の為でもなく、創造の理念だけを持って生まれた。
故に夫婦剣。
対にして一つである、あいつが好んで使用する双剣だ。
俺にしても、気になっている事は確かだ。
頑丈ではあるが、切れ味がいいわけでも、莫大な魔力が篭められているわけでもない。
ただ、その剣にあるべき殺気、人を斬る為の意思という物がではなく、ただ純粋に作り出された存在に惹かれた。
―――― 頭痛がした。
そこに存在するのは黒き大剣。
この眼を持ってしても完全に理解する事はできない、最強の幻想。
人々の希望で編まれ、鍛えられたその剣は、まさに最強のサーヴァント・セイバーに相応しい剣と言えよう。
―――― 胸が熱い。
だが違う。
あの剣は尊きものでありながら、あの黒い騎士のように、堕ちた心に染まっている。
『彼女』の剣は、同じでありながら、全く違うものであるとこの体は告げていた。
それは初めて彼女に出会った時に感じたまま、ただ清涼で、純粋で、限りなく尊き――――
――――――――<開く宴>――――――――
見知らぬ天井が見えた。
「・・・・・・・・?」
真っ白に染められた高い天井。
全く混ざり気のないそれは、病的な物さえ感じてしまう。
背にある木の質感を感じて、身を起こす。
見渡してみれば、そこは教会のようだった。
「ふむ、目覚めたか」
ふいに、重苦しい声が礼拝堂に響く。
声へと顔を向ければ、泰然とした神父の姿。
「言峰・・・・?」
「傷は完全に癒えたようだな。
まだ意識が不確かのようだが、じきにそれも治るだろう」
言われて体を確認する。
服はところどころ破れ、ズボンの脹脛の辺りが横に開いている。
そうだ、確か両足とも切り裂かれていた筈だが。
「お前が治してくれたのか」
「連れ込まれたのが死体ではなかったからな。
そうであれば、丁重に埋葬していたのだが」
もう一度体を見直す。
擦り傷はまだしも、斬られた足はかなり深くまでに傷が及んでいた。
場合によっては、一生治らない程の傷に見えたのだが。
「とは言っても私がしたのは消毒と血止めだけで、傷そのものは勝手に治っていった。
よほど高度な魔術を使用しているようだな」
「魔術って・・・俺は治癒なんて覚えてないぞ」
「ならば凛やサーヴァントだろう。
いずれにせよそれに感謝しておけ。
放って置けば二度と歩けぬどころか、出血多量で死に至ったであろうからな」
何度か遠坂やセイバーに助けてもらった覚えはあるのだが、勝手に治ったとはどういう事だろうか。
別に前もって何かをして貰った覚えは無い。
だとするとセイバーが関係して・・・
「言峰、セイバーは!?」
「ほう、それはセイバーであったか」
言峰は俺を見て・・・いや、俺の後ろを見てそう言った。
振り返れば、そこにはセイバーが眼を閉じて寝かされていた。
よかった、いつもの私服に戻っているが、血色もよさそうだし、目立った外傷があるわけでもない。
「強く頭を打ったようだが、それもサーヴァントだ、問題はなかろう。
目覚めないのはよほどのショックでも受けたか・・・」
安堵して弛緩していた意識が、はっきりと戻る。
セイバーが受けた衝撃。
考えるまでもなく、アイツラが原因だろう。
「・・・此度の聖杯戦争は今までと毛色が違う。
話せ、衛宮士郎。
何があったか、そして何を見たのか」
今までにあった戦い。
現在の状況をできるだけ端的にして、話す。
先ほど見た二人のサーヴァントについては、できるだけ詳しく説明した。
しかし、言峰が興味を示したのはその二人ではなく、
「マスターのいない八人目のサーヴァントか。
ありえぬ召還といい、存在せぬクラスといい、妙だな」
自称、奇術師のサーヴァントこと、ジャグラーだった。
「ジャグラーが何かしたっていうのか?」
「そこまでは判らん、が原因はそのサーヴァントにあると見てよいだろう。
複数のイレギュラーが同時に起こったというより、一つの事象が他を引き起こした、と考えたほうが自然だ」
未だ謎の多いサーヴァントではあるが、彼女自身が暗躍している、という気はしない。
セイバーやアーチャーの保障もある上に、どんな形にせよ戦いを終わらせようとはしていたのだし。
「きっかけは別にしても、今の事態に間桐臓硯が関わっていると見て間違いはないな。
既に朽ちたものと思い込んでいたが―――五百年を生き続けたというのは伊達ではないらしい」
言峰のつぶやきに、初めて聞く名前があった。
「言峰、その臓硯っていうのは?」
「凛から聞いていないのか。
六代もの時を間桐の相談役として生きた、人の生き血を啜る妖怪だ」
間桐の魔術である吸収。
そして虫使いであるその翁は、それをもって現世まで存命しているという。
遠坂やイリヤが言っていた相手とは、そいつの事らしい。
「じゃあそいつがあのセイバーとアーチャーを呼び出したってのか?」
「いや、魔術師とは言っても間桐臓硯は既に無力だ。
長き生の代償に、日の下に出ることすら間々ならぬという話だが・・・
実際に動いたのは間桐の正式な跡継ぎだろう」
「跡継ぎ・・・・って慎二の事か?
遠坂は魔術回路を持ってないって言ってたが」
「確かに、既にマキリの魔力回路は失せている。
故にあの家は後継を作るため、遠坂の家から姉妹の一人を養子にした」
遠坂の・・・姉妹?
養子って、あの家には慎二と―――
「待ってくれ、それってまさか」
「詳しい事は凛にでも聞け。
マキリの妖怪が動いているとなると、私も長話をする暇はない」
話しを途中で止められ、嫌な想像を切り捨てられる。
そんな俺を気にせず、言峰は礼拝堂の奥へと歩いていく。
・・・しょうがない、どれくらい寝ていたか分からないが、遅くなりすぎては遠坂達に心配をかけてしまう。
未だ目の覚めないセイバーの事も心配だし、早めに戻ったほうがいいだろう。
「分かった。
――――助かった、言峰。
この礼は、いつか必ずする」
「監督役としての責務を果たしただけだ。
一つ言っておくが、私に借りを作るのは止めておけ。
どの道、今回の情報で十分に貰えるものは貰っている」
・・・相手がそういうのだからいいのだろう。
確かに、言峰に借りを作るなどぞっとしない。
軽く頷き、やけに軽いセイバーを背負って教会を後にする。
扉が閉まる直前に、重苦しい声が助言をした。
「気をつけろよ、衛宮士郎。
此度の聖杯戦争は異質だ。
何が起こるか想像つかぬし、これもまだ序曲に過ぎんかもしれん」
まだ始まりに過ぎない。
それが頭痛の残っている頭に、妙に響いた。
「遅い! 一体なにやってたのよ!!」
家に着いたとたん出迎えてくれたのは、御近所に迷惑な爆声と、激昂して真っ赤になった遠坂の顔だった。
あの、頭痛と熱でちょっとした病人なんだけど、俺。
しかもセイバーを、というか女の子を背負うという行為に精神すら擦り切られてます。
「すまない、ちょっとトラブルがあった」
とは言え遅れて心配をかけたのは俺が悪いわけだし、素直に謝る。
最初の一言ですっきりしたのか、遠坂はそれだけで落ち着いてくれた。
「やっぱりアンタも・・・って、どうしたのよ」
真剣な形相へと変わり、俺の背中を見やる遠坂。
そこにはもちろん気を失ったセイバーがいる。
「頭を打ったみたいだけど、気を失っているだけらしい。
とりあえず部屋に寝かしておきたいんだが」
「セイバーが気を失う事態って何事よ・・・
じゃあそれはわたしがやっておくから、士郎は居間で待ってなさい。
こっちも色々と話すことがあるから」
セイバーを預かり、奥へと入っていく遠坂。
後はまかせておけば大丈夫だろうし、俺は言うことを聞くことにしよう。
「よう、坊主。
一応生きてるみたいだな」
居間に入った瞬間に出た軽口は、ランサーのものだ。
いつも通り端っこで足を投げ出して座っている。
が、何故か普段の気軽さはなく、不機嫌そうに顔をしかめていた。
「そっちも何かあったのか?」
「ああ、気分が悪くなるもん見せられてな」
どちらかというと饒舌なこの男にしては珍しく、自分から話し出そうとはしない。
恐ろしいとか、おぞましいものを見た、というようでもなさそうなのだが。
「――――ずっ」
頭が軋む様に痛む。
アーチャーの剣を複製した事による代償か。
鼠は窮地に猫さえ噛むが、それにしてもよほど無理な事をしたらしい。
ともかく、ここでボーっとしていてもしょうがない。
痛みを紛らわすためにも、お茶でも用意しておこう。
「・・・そういえばアーチャーのやつはどうしたんだ?」
遠坂と一緒に家を出たもう一人の男がいない。
居間はもちろん、台所にも姿が見えないのだが。
「野郎は屋根上で本格的に襲撃を警戒するそうだ。
全員が揃ったら呼べとよ」
いつもの余裕が無いながらも、律儀に答えてくれるランサー。
本格的、ということはやはりあちらでも何かあった様だ。
「お待たせ。
ってお茶なんてよかったのに」
「これなら落ち着いて話せるだろ。
それよりもセイバーは大丈夫そうか?」
「ん、アンタが言ってた通り頭を打っただけ見たい。
あの調子ならすぐ目覚めるんじゃない?」
机について、お茶を飲み始める遠坂。
同時に、アーチャーが庭から上がってくる。
「遠坂、間桐の家はどうだったんだ。
桜は連れてこられたか?」
「結果だけいうとね、桜は家にいなかったわ。
それどころかあの家には人気もなかった。
結界や罠もしかけられていなかったし、少なくともあそこが拠点ではないことは確かね」
「桜が・・・いない?」
桜がいる場所なんて、他にはここと藤ねえの家以外には思いつかない。
動き出した間桐臓硯。
桜は聖杯戦争には関係ない一般人なのだから、そいつに連れ出されるなんて事はないだろう。
だが、
― 実際に動いたのは間桐の正式な跡継ぎだろう ―
― あの家は後継を作るため、遠坂の家から姉妹の一人を養子にした ―
・・・神父の言葉が頭を過ぎる。
あいつの言う事が確かなのだとしたら、桜は・・・
「まあどの道それどころじゃなかったわ。
何せこっちはランサーとキャスターに襲われたんだから」
「・・・・・は?」
余りに意味不明な言葉に、思考が停止する。
ランサーに襲われた・・・?
「言っておくがオレじゃねえぞ。
ま、"ランサー"には間違いはねえんだろうがな」
自然と移っていた視線に答えるランサー。
そしてそいつに襲われたと言う遠坂が続ける。
「ちなみにキャスターもここにいるキャスターとは違うわ。
見た目は殆ど同じなんだけど・・・中身が違うって感じね」
「その説明だとさっぱり分からないんだが・・・
もしかして同じクラスのサーヴァントが現れたって事か?」
「そう、今ので分かる、って事はやっぱり衛宮くんの方でも出た?」
「・・・ああ、セイバーとアーチャーに会った」
二人も出てきてよく生き残れたわねー、と感心する遠坂。
まあ生き残ったというより、見逃してもらったという気はするのだが。
「襲ってきたランサーの方はね、妙に胸の部分が黒かった以外、姿形はそっくり。
ただ理性のタガが外れた完璧な獣って感じだったわね、奇声上げてたし」
ランサーの苦虫を潰したような表情の意味が分かった。
そんな自分とそっくりな者を見たら、それは気分が悪くなるだろう。
「キャスターの方は・・・中身そのものが無いって感じかな。
肉体はサーヴァントのものだろうけど、魂が無いみたいだった。
ちなみにこいつはアーチャーが倒したわ」
そして戦況が不利になったと見るや、ランサーらしき相手は逃げ去ったという。
ちなみに家にいるキャスターは遠坂の使い魔で監視していたらしいが、怪しい動きはなかったそうだ。
「まあわたしの使い魔ごときキャスター相手じゃ簡単に逆操作されちゃうだろうけど・・・
アーチャーが切った相手は影とかじゃなくて、確かに本体だった。
少なくともキャスターの画策とかじゃないわね。
で、士郎の方はどんな相手だったわけ?」
今日二度目になる質問。
相手が遠坂な為、できるだけこと細やかに事情を伝える。
禍々しい鎧に身を包んだ、容姿以外別人と思える程の黒きセイバー。
髪と肌以外には、殆ど大差を感じなかったアーチャー。
やはり本人はそれが気になったのか、ここにいるアーチャーはそれに反応を見せていた。
そして――――
「アーチャーの剣を、作った?」
遠坂がその一言で、険しい表情へと変わった。
「ああ、とはいってもデタラメのでっち上げだ。
その時は驚くくらい本物に近かったと思うけど、すぐ壊れちまったし」
そう、所詮偶然にしか過ぎない。
もう一度作れと言われても・・・・完璧にとはいかないが、作れないわけでもないだろうが。
「まあとりあえずそこで意識を失ったんだが。
目覚めた時には教会にいて、言峰に介抱してもらってた」
「綺礼に? ・・・あいつが親切心でそんなことする筈が」
「ああ、だから今までの事情とか説明した。
やっぱりまずかったか?」
「・・・まあいいわ。そのまま死なれなかっただけマシだと思えば」
頭を抱えながら漏らすように言われてしまう。
「とりあえず今日は寝ておきなさい。
情報なしで攻め込めないし、そろそろ夜明けだわ」
「・・・寝てていいのか?
今からでも何が起こっているか確認しに行った方が、」
「黙って言う事を聞いておきなさい。
それに気づいてないみたいだから言っておくけどね、アンタ真っ青で死にそうな顔してるわよ。
一度寝て、朝起きたら体の調子みてあげるから、安静にしてなさい」
そう言って湯飲みを置き、立ち去る遠坂。
片付けようとしてそれを掴むと、微量ながら乾いた血がついていた。
「遠坂、手に怪我してるんじゃないか?」
遠坂も言われて初めて気づいたようで、自分の手を見やる。
何かを思い出したのか、表情が暗いものへと変わった。
「・・・大した事じゃないわ。
ちょっと嫌なものを見て、自分でやっちゃっただけだから」
そうとだけ沈んだ声で答え、遠坂は自分の部屋へと戻っていった。
「・・・・・・」
ほほに手を当てる。
ひんやりとしているが、まだ生きているという小さな呼吸を感じられた。
ジャグラー、いや、遠坂はいまだ目覚めはしないが、命の危機というわけでもないようだ。
イリヤの調子も見たが、かなり落ち着いてはきたものの目覚める兆候はないらしい。
如何に英霊となり、赤き衣を纏おうとも、出来ぬ事があると理解している。
だが、こうして見守る事しかできないというのは、正直歯がゆい。
「シロウ」
誰も起こさぬよう、小さな声で呼ばれた方へと振り向く。
そこには金の髪をした少女が扉を開けて佇んでいる。
「セイバー、起きてて大丈夫なのか?」
「はい、それよりもお話ししたいことがあります」
言われずとも、分かっている。
二度と会うことは無いと思っていた。
肯定と否定の狭間で、互いに刻み込んだあの戦い。
忘れようのない、あの男の名。
「"アーチャー"に、会いました」
それはこの身のクラスではなく、俺達にとっての特別な名であった。
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