「なにをしている」
教会に荘厳な声が響く。
聞くものが聞けば、彼の取り巻く雰囲気も手伝い、神父としての彼に全幅の信頼を寄せるだろう。
そして聞くものが聞けば、自分自身からその傷、罪を吐き暴く事だろう。
例えどんな喧騒であれ聞き逃す事はない。
いや、聞き逃す事などできない、その様な声だ。
声の主である言峰綺礼は、教会を後にしようとしている男に声をかけていた。
「お前の出番はまだ後だといったであろう。
特に今回の聖杯戦争は異質だ。
状況を把握するまで、動くべきではない」
誰もが立ち止まり、中身を暴かれる厳粛な音。
それをあろう事か聞き流していた男は、そこで初めて言峰綺礼へと振り返った。
その青年は、異質であった。
体系は中肉中背で整った顔立ちではある。
この地で起きている聖杯戦争と比べるならば、妙と言える程の点はない。
だが、その身に纏うナニカ。
神父以上の重圧を持った男は、この町に存在する誰よりも異質だった。
その青年は、やはり神父に臆する事もなく口を開く。
「・・・・・散歩、だと?
ランサーの消息が掴めんという事は、とうに話したであろう。
そして先程あった痛み。
不確定要素が多い、場が整うまで―――」
返された言葉に眉をひそめ、再び語りかける。
だが言葉は最後まで紡がれる事はなく、バタン、と扉は閉じられた。
青年は止まらない。
否、止める事などできない。
それができる筈の神父でさえ、その選択肢は用意されていないのだ。
重苦しい灯りの下、青年を見送るように立ち続ける神父が、一人教会に残されていた。
――――――――<歪む鏡>――――――――
坂道を降りて、十字路に出る。
月明かりすらない夜の道には、誰一人とて姿は確認できない。
まだ深夜に入ったばかりだというのに、住宅街は異状な程ひっそりとしていた。
「・・・おかしい」
「ええ、余りにも静か過ぎる」
呟きに、俺と同じく険しい顔をしたセイバーが口を開く。
「どの家にも、人の気配があります。
しかし、活気どころか生気すら感じられない」
今の世間が物騒だからといえ、ここまで世界が静かになる事はない。
家の中は、少なくとも本人達にとって安全地帯だから。
ただの偶然で、民家全ての人間が一度に就寝する筈はない。
だが、今迄コレと同じような事態が発生していた。
「キャスターの時と同じか」
「はい、精力を吸われ、全ての人々が気づかずに疲弊している。
そういう点ではキャスターの手法と同じですが・・・これは余りに範囲が広い。
人間どころか、動物、木々、宙にある太源さえ貪欲に吸われている」
微かだが、じわじわと奪われていく魔力。
いかに注意深く調べても、気づくほどの出来ない流れ。
例えるなら自分を襲う波が巨大すぎて、近くにいる自分はそれを把握できないようなものだ。
キャスターの時なんかより性質が悪い。
これならば誰もが弱っていることに気づかず、おかしいと思った時には死に至るだろう。
「行こう、セイバー。
こんな事は早く止めなくちゃならない」
「はい。ですが士郎、凛の言った事を忘れないように。
この相手は酷く性質が悪い。
力こそ感じないものの、侮れるものでは、」
セイバーの言葉が、風切り音で途切れる。
目の前にある道路に異変がある。
道路そのものに異変があるわけではない。
交差する道路の中心に、細長いナニカが突き刺さっている。
「・・・矢?」
それは一本の矢。
未だ小さく震えている所を見ると、今しがた放たれたばかりの物だろう。
突き刺さった矢を見れば、自ずと放たれた方向も分かる。
通ったであろう射線を、目でなぞる。
その先に、赤き背中が去っていくのが見えた。
・・・そんな筈はない、あいつは遠坂と一緒に間桐の家へ向かって行った。
去って行った者の行く先は、新都へ、公園へ繋がる道。
それにあいつが、こんな・・・俺達を誘っているようなマネを、何故する必要があるというのだ。
「今のは・・・いえ、そんな筈は・・・
しかし、確かに・・・」
セイバーの様子がおかしい。
何かありえないものを見たかの様に、呆然として立ち尽くしている。
「セイバー?」
「っ、シロウ、予定は変更です。
彼を追います!」
そう言って、二の句も告げずに走り出すセイバー。
彼女らしくもなく、かなりの動揺が見て取れる。
「おい、ちょっと待て!」
事情は掴めないが、あんな状態の彼女を放っておくわけにはいかない。
何か嫌な予感を感じつつも、足に力を入れて全力で追いかけた。
遅れて公園に辿り着りつく。
そこにはセイバーの姿と、やはりもう一人の男が立っている。
「何故だ・・・何故貴方がここにいる」
セイバーが動揺している。
余裕の無い声は、心底驚愕しているという事を表していた。
俺もやっとの事でセイバーの横に立ち、相手の姿を確認する。
鋼の如く鍛えられた肉体、はためく赤き外套。
その姿は、確かに遠坂凛のサーヴァント、弓の騎士、アーチャーに他ならない。
「おい、何だってお前ここにいるんだ。
遠坂と間桐の家に向かったんじゃないのか?」
今の声で初めて気づいたように、こちらへと視線を変えるアーチャー。
―――違和感がある。
よく見れば俺の知っているアーチャーよりも肌は黒く、対照的に赤さの残っていた髪は完璧な白だ。
そしてなにより、俺を見る目が違う。
体中が警告する。
あれは俺の知っているアーチャーではない、打倒するべき敵だと。
「答えろ、アーチャー!
この世界には既に、"アーチャー"は召喚されている。
貴方がここに召喚される筈は無い!」
セイバーが声を張り上げる。
口ぶりからすれば、彼女はあの"アーチャー"を知っている。
そしていつの間にか構えた見えない剣が、あれを味方として判断していないという事が分かる。
「・・・様子からすれば、私の事は覚えているようだな。
とすれば、君は私達の戦いを見たという事か」
「質問しているのは此方だ。
答えぬというのならば、力ずくで口を割る」
セイバーから強い風が流れ出す。
帯電する魔力は、発言が本気であるという事を強調付けていた。
それにも関わらず、アーチャーの反応は肩を竦めるだけ。
目の前にある魔力の猛りをまるで意に介していない。
あくまでも気楽に、体を横へとずらし、
「勘違いをするな、君の相手は私ではない」
がちゃり、という鋼の音を鳴らして、一つの人影を迎え入れた。
風が、止む。
現れた人物は、重装備な鎧で身を固めた騎士。
酷く小柄な体躯に対して、黒き甲冑は不釣合いだ。
しかし、歪で恐ろしさを感じる武装だが、その禍々しさは鎧よりも、むしろ彼女自身の気配の方が上である。
そう、彼女、女性だ。
それは少女にしか見えない程に小柄で、どう見ても戦えるようには見えない人物だった。
そう、まるで俺の隣に居る騎士の様に。
「セイバー、あいつは・・・」
仮面で相手の顔まで分からないが、あれが別人とは思えない。
混乱した頭でセイバーへと顔を向ける。
「・・・・・」
言葉もない、とはこの事か。
剣を構えたまま凝固し、動かない。
いや、僅かながらに鎧が音を鳴らしている。
カタカタ、カタカタと小さく。
顔は真っ青になって土気色。
唇は震えて、激しい寒さに凍えているようだ。
いや、寒さなどではない。
ランサー、アーチャーとの激しい戦いをし、バーサーカーという規格外の化け物を相手にしても毅然としていた。
その彼女が、目の前にいるたった一人の者に――――『恐怖』・・・している。
「声も出んか、仕方あるまい。
しかし待ってやる道理はないな。
・・・始めよう、『セイバー』」
アーチャーと同じ姿をした男は、隣にいるセイバーに語りかけた。
それに答え、黒き騎士が剣を構える。
赤き文様の描かれた、恐ろしいまでの魔力を持つ黒き剣。
あれは・・・
―――― ガシャ!
此方の思考を遮る様に、黒き騎士が屈み込み、俺達へと向かって弾け飛んだ。
「っ! シロウ、下がってく、」
―――― ズ、ドン!
爆発が起きたような衝撃と共に、俺を庇って前へ出たセイバーが吹き飛ばされる。
剣を構えてしっかりと受けたというのに、トラックにでも当たった様に弾かれていった。
黒き騎士は俺には目もくれず、吹き飛ばしたセイバーへと追撃をかける。
セイバーを助けなくては。
振り向いて追いかけようとして、足が言う事を聞かずに立ち止まった。
「その通りだ衛宮士郎。
お前に彼女を気にかける暇などない」
冷たく、厳格な声で、アーチャーが歩き出している。
両手にはアーチャーが使っていた物と同じ、黒と白の夫婦剣。
鷹の様な双眸が見る先には、確かに俺がいた。
持っていた竹刀袋から、木刀を取り出す。
「―――――
同調(、
開始(」
全ての過程を吹っ飛ばして、強化をこなす。
魔術は淀みなく成功し、木刀は鋼を超える強度を手に入れた。
うまくいった。
数秒とかからず成功するとは、俺はそれなりに成長しているらしい。
だが、こんな棒キレが何の役に立つというのか。
俺の強化を見て、男は眉をひそめる。
侮辱するでもなく、嘲笑するでもなく。
ただ諌めるように木刀を、いや、完成した強化を睨む。
「なんだそれは?」
再び口を開くアーチャー。
その中にはやはり他意はなく、言葉通りの意味で言われたようだ。
「・・・ふむ、まだ気が付いてないか」
「?」
こいつが言う事は、どうにも理解できない。
呆れた様に項垂れ、何か別の物を待っていたかのように嘆息を付く。
すると、凝視していたというのに、視界から男が消えた。
体へと迫る死の気配。
訓練で鍛え上げられた感覚が激しく警鐘を鳴らす。
やばい、相手がどこにいるか全く分からないが、ここにいるのだけは絶対にやばい。
下がれ、逃げろ逃げろ逃げろニゲロ!!
一刻も早く地を蹴ってこの場所から離れるんだ・・・・!
「―――ぐがっ!」
後方へと地面を蹴った俺に、叩き落すかのような蹴りがわき腹に入った。
その通りに地面へと叩きつけられ、ゴロゴロと転がりながら体中に擦り傷を作る。
何とか回転が止まり、顔を上げた先にはゆっくりと歩き出している赤き騎士の姿。
「ぐぶ、っげほ」
大量の吐血を地面に撒き散らせる。
洒落になっていない。
アイツは本気だ。
もう一度食らえば、今度は背骨ごと折られてしまう。
男の足が目の前で止まる。
見下ろす瞳には、どんな感情も読み取る事はできない。
ぶるぶると震える足を押さえつけ、何とか立ち上がる。
男はなんのつもりか、動き出す様子はない。
逃げるにしろ戦うにしろ、今以上のチャンスはない・・・!
「あぁぁぁああああ!」
木刀を両手で掴み、振り下ろす。
やはり男は動き出さず、木刀は顔面へと振り下ろされ、
――― 気づけば、宙を浮いていた。
「っが!」
再び地面へと叩きつけられ、背中を盛大に擦る。
頬が焼けるように痛い。
殴られて、地面に叩きつけられてから、ようやくその事実に気いた。
カラン、と遠くで乾いた音がする。
途中で断たれた木刀が、時間差で地に落ちたのだ。
――― ズン!
爆発音が響いた。
殴られた顔面は腫れあがり、片目は開くことすらできない。
少なくなった視界の中を必死に探して、音の鳴った方を見た。
その先には、綺麗な血を空に撒き散らした少女の姿。
「セイバー!」
無残に、地面へと叩きつけられる。
肩から袈裟切りにされ、傷から溢れた血がじわじわと地面を染め広げていく。
その光景を見て、体の痛みなんて忘れてしまった。
「おい、テメエ! いい加減にしやがれ!」
逆上して、黒き騎士の横顔へ声を張り上げる。
だが、まるで耳に入らなかったかのように、俺を無視してセイバーへと歩きだす。
もちろん、止めを刺す為に。
「おい、止めろって―――っ」
立ち上がろうとして、倒れる。
何度も足に力を入れようとして、失敗する。
腿を見て納得する。
―――なんだ、足の腱を切り裂かれていたのか。
「くそ! 止めろ、って言ってんだろう!」
木刀の切れ残った部分を投げつける。
狙いはたがわずコメカミへと当たり、黒い騎士の頭を小さく揺らす。
が、その程度では立ち止まる事すらせず、ただ目を隠していた仮面が外れたのみだった。
「――――!」
素顔を見せられ、絶句する。
あれは確かにセイバーだ。
肌は白く、黄色く濁った瞳は生気を感じさせなかったが、瓜二つと言えるほど同じだった。
だが違う。
あの黒き騎士は、俺に剣を預け、共に戦ってくれた彼女ではないと断言できる。
・・・セイバーは動かない。
気を失っているのか、ここからでは呼吸しているのかも把握することは出来なかった。
黒き騎士は容赦なく歩みを進める。
あれはセイバーを殺す。
俺の脚は使えない、木刀を強化したところでは届かない、彼女を助けられない。
セイバーが死ぬ。
俺のことを心配してくれて、一生懸命戦ってくれた彼女が。
未熟な俺に付き合って、笑いかけてくれた彼女が。
・・・そんな事は容認できない、認められない、許すことなんてできない!
だがどうすればいい。
衛宮士郎には何にも残されていない。
――――無いのならば創り上げる。
届かないのであれば超えるものを用意する。
俺に残った、もう一つの魔術。
「―――――
投影(、
開始(」
―――創造の理念を鑑定し、
基本となる骨子を想定し、
構成された材質を複製し――――
パン、と何かが弾ける音がする。
限界に負けた血管が破れでもしたのだろう。
―――製作に及ぶ技術を模倣し、
成長に至る経験に共感し、
蓄積された年月を再現する。
体中が悲鳴をあげる。
無茶な魔術の代償を警告するように、激痛が頭を突き抜ける。
集中しろ、出来ない事はない、
目の前にある物を作れない筈がない(!
「っがぁあああああ!」
鋼の感触が手のひらに掴まれる。
確認する暇など無い、後はそのまま手に出来た重みをぶん投げる!
「!」
―――― ッギン!
黒い騎士が初めて反応し、投げ放ったそれを弾き返す。
あらぬ方向へ飛んでいった白き短剣は、その一撃で割れ砕け散った。
沈んだ瞳が、俺の姿を見据える。
俺という存在を初めて意識したように、セイバーのみに絞っていた殺意を俺に向けた。
・・・こちらと言えば、今にも意識を失いそうだ。
余りの激痛で、目の前が、何度も真っ白になる。
くそ、もう持ちそうもない。
どの道黒い騎士は、邪魔者である俺を先に殺すつもりらしい。
最後に令呪をつかって、セイバーだけでも逃がす。遠坂ならきっと契約して・・・
「待て、セイバー」
断線しかけた意識の中に、赤い騎士の声が入り込む。
アイツの声を聞くたびに、激痛が酷くなっているような気がする。
「邪魔をするな。
止めるならば、貴方とて斬るぞ」
「相手が違うのではないかな。
君の目的は彼女であろう。
この男を切り殺せば、君は余りにも救われん」
黒い騎士の歩みが止まる。
っ―――、ダメだ。もう、意識が・・・
「それに彼女を殺すにしても、この様にあっけなくては君の気も済むまい。
まだ時間はある。
相応しい時まで待つべきだと思うが」
「・・・・・」
「どの道ここにいれば、我らとて只では済まない。
退くぞ、その怨念は柳洞寺で晴らすがいい」
・・・・微かに生き残っている意識で、会話を聞き取る。
そしてその意識も、二人が去ると同時に闇へと没した。
あの赤き騎士の姿を、脳に焼き付けて。
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