「わかった」
昨夜の事情、そしてこれからどうするかという長い話をした後に、一言だけ彼はそう言った。
「では今から出るのだな」
「はい。
・・・宗一郎様、本当にこれでよろしいのですか?」
彼は私が話している間、一言の質問すらせずに、ただ頷いて話しを聞いていた。
まるで自身の考えが全く無いかの様に、ありのままを聞き入れ、否定をしない。
「お前がそうしたいのであれば、そうしよう。
だが別の道を選ぶというのであれば、私は同じ道を辿るだけだ」
別の道、とはジャグラー達に敵対するという事。
その道を選ぶという事は、どういう紆余曲折があろうとも、必ず死という結果が待つことを知ってのことだ。
それを知って尚、彼は私に付き合うと言ってくれた。
「・・・いえ、方針は変えません。
無謀な戦いに身をやつして死を選ぶよりも、生き残る事が先決です。
今後どうなるかはわかりませんが、今は彼らと休戦をしましょう」
そうだ、戦って彼を死なせるよりも、生かすことが何よりも重要な事だ。
泥をすすり、血反吐を吐く様な思いをしようとも、私にとってそれが一番大切な事。
私を受け入れてくれた人間を、死なせてはならない。
偽りといえど伴侶となってくれた人を、幸せにしなければならない。
そんな当然の事すら、関係の維持という目先の光に眩み、忘れていようとは・・・
「参りましょう、宗一郎様。
少し遅くなりましたが、急げばまだ失礼という時間ではないでしょうから」
「うむ」
立ち上がって、戸を開ける。
すると彼の姿勢がその途中で止まり、何かを探るように空を見る。
「キャスター、お前が言う事が確かならば、攻め込んでくる輩はいないのだな?」
「はい、少しばかり懸念するべき事はありますが、それも敵といえるようなものでは無い筈です。
・・・何か感じるのですか?」
「うむ、確かなものではないが、山門の方角で何かが動いている気配がある」
慌てて山門へと"眼"を向ける。
すると確かに着物を着た男が、相手もいないというのに剣を振り回していた。
心の中で舌を打つ。
「少し此処でお待ちください。
確認して参りますので」
返事も聞かずに、ローブを被りなおして呪文を唱える。
空を渡り、その地へと向かった。
――――――――<蠢く蟲>――――――――
そこに辿り着いた時には、男は刀を構えたまま静かに佇んでいた。
「アサシン、何をしているのですか。
用も無いのに実体化をするなど、そのような許可は出していないわよ」
「そう憤るな。
なに、月が陰っていてな、目を凝らそうにも体が無いときた。
これでは月見にならん故に、な」
「そんなふざけた理由で魔力を無駄遣いさせる程―――」
叱り付けようとして、言葉が止まる。
アサシンの足元に何か黒い物が広がっている事に気づいたのだ。
「これは・・・虫?」
全て切り裂かれて息絶えているが、それは確かに虫だ。
多種多様にあるそれらは、百を超える死骸を地に晒している。
如何に山の中に寺があるとはいえ、まとまって此処に現れるのはおかしく、そもそも生存地域が違うものまでいる。
「ああ、こやつらか。
一匹や二匹ならば見逃したのだが、数十という数で此処を通ろうとしたのでな。
いかせん数が尽きぬ。
長い間そうしていたところ、そなたが来たという訳だ」
虫の死骸を調べる。
魔術的な細工はされていないものの、微かな魔力、いや臭いが残っていた。
それはどの虫にも共通していている。
「山門を通ろうとする虫は斬ったが、それ以外から入ろうとしたものは手が届かん。
いくらかは境内に向かって行ったぞ。
それ、そなたのマスターの身に危険が及ぶのではないのか?」
「っ!」
慌てて寺全体の探索を行う。
確かに、境内を中心に囲うように何かが群れをなして進んでいる。
結界は何の反応も示していない。
それらがただの虫であれば当然の事だ。
このような場所で虫まで察知の対象にしていては切が無い。
ある一定の大きさ異常の物体か、もしくは魔術がなされているものに反応するようにしてあるのだが・・・
前者はともかく、後者にすら反応しないとはどういう事か。
「――――――・・・」
呟き、小さき光を手の先に生む。
それは薄く広がりながらアサシンの体を覆うと、一度強く光ってから消える。
「む、これは?」
「虫除けよ。
今は只の雑魚共ですけど、必ず本命が来る筈よ。
貴方は宗一郎様の安全が確保できるまで、時間稼ぎをしなさい」
逸る気持ちを抑え、転移の術を起動する。
目の前の景色が崩れながら、別の風景が混ざり始める。
その中で、妙な笑みを浮かべている男の姿を、垣間見た。
「いやいや」
朧と消えた主人を見送り、一人笑みを浮かべた。
ほのかに光る自らの手を見る。
それは今迄の彼女になかった、小さな心境の変化だ。
「飼い犬に情が移った、と言った所かな。
いや、捨て駒からの昇格と言うべきか」
どちらにせよ、傾向の変化であることには違いない。
でなければ、あの吝嗇な女がこのようなものを使う筈がないのだから。
「さて」
軽く手を握り、視線を前へと戻す。
そこには魔女を恐れて一時的に姿を消していた蟲共が、再び群れを成して現れる。
緩んでいた意識が、凍る。
――― 全く、目覆おうばかりの醜悪さだ。
蘇りし愛刀を構える。
暗雲に沈んだ空から、隙間を縫って月明かりが刀身を濡らした。
無数の羽音が迫る。
さあ、来るがいい有象無象。
夜の静寂を乱す無粋な客、その末路を見せようではないか。
景色が正常に戻った時には、既に次の魔術は完成していた。
「――――っ!」
呪を発して、解き放つ。
放たれた光は、主人を避ける様にして周りの虫を蹴散らす。
「宗一郎様、ご無事ですか!?」
「うむ」
変わらぬ口調に安心しながら、意識を再び周囲へと戻す。
先程の一撃で数十と焼き殺したが、迫る勢いは衰えていなかった。
「こちらへ・・・、―――――っ」
彼を守る為に前へ出て、私たちを包み込むように結界を張る。
如何に数が多いといえ、一匹づつの力は対したものではない。
作り出した"壁"だけでそれらを阻む。
虫は、際限を知らぬとばかりに集まり続ける。
最早視界にはソレ以外無いと言える程だ。
何故、これ程まで多くの侵入に気づきさえしなかったのか。
今になって、ようやく理解した。
―――― やはりそう簡単にはいかぬものよのう。
五月蝿い羽音に紛れるように、皺がれた声が響いた。
「・・・貴方がコレ等の飼い主ね。
出てきなさい、害虫。
魔術の痕跡を残していないつもりでしょうけど、私ならすぐに大本まで辿り着くわよ」
そう、既にこの蟲共の正体は読めていた。
魔術を使用していれば、必ず自分の結界に反応をした筈であったが、それが無い。
という事はつまり、この寺に踏み込んできた虫には魔術的な細工がされていない事になる。
だが、魔術師が魔術を使用しないなどと言う事はありえない。
となれば、答えは一つだ。
「大本・・・女王蜂とも言うべきモノだけを加工し、それを通じて命を下す。
兵隊である虫達はそれに従うだけだから、それら自体には魔術の細工はいっさい必要がない。
使い古された手よ、それこそ、私の時代にはありふれていたわ」
―――― ほ、流石は希代の魔術師よ。キャスターを冠するに相応しい者と見える。
まさか一瞬でこのカラクリを見破るとは・・・・しかも中々に手厳しい。
「どういうつもりか知らないけれど、私に敵対した以上、ただでは済まさないわよ」
―――― そう老体を邪険にするものでない。
なに、ワシの用件は大したことでは無くての、ただの調べものに過ぎん。
しかしそれには此処の仕掛けがどうにも邪魔でのう。
此処を明け渡して貰うべく、こうして対話の場を作ったわけじゃ。
対話・・・? この状況がか。
イラつきを抑え、有無を言わせず魔術を紡ぐ。
―――― む?
ッパン、と空気を破裂した様な音と共に、飛び回っていた蟲共が一斉に堕ちる。
この様な雑魚の処理など、造作も無い事だ。
「戯言はここまでよ。
このような塵芥程度、脅迫どころか億をもって攻め込まれても脅威にはならない。
最早語るべき言葉などありません。
今直ぐ蟲共全てを抹消して、」
―――― まあ待つがいい、キャスター。
戯言かどうかは・・・・こやつ等を見てから判断して欲しいものじゃ。
その声に合わせた用に、部屋を遮っていた襖が開く。
そこにはここに住んでいる少年、いや、それどころか全ての住民が意識を奪われて立ち並んでいた。
「っ、どうやって・・・いえ、まさか」
既に彼等には魔術で洗脳を施してある。
私が少し念じるだけで、自らを殺す事さえ躊躇しない傀儡。
もし魔術で操られている人間を別の人物が操るとすれば、さらに強い魔術で上書きするか、魔術の効果を消し去るしかない。
だが現代の魔術師ごときに、それができる筈はなかった。
だとすれば・・・
―――― 如何に強固な魔術がかけられていようとも、それより深い場所から細工を施せば問題はない。
既に脳までワシの蟲が入り込んでおる。
おぬしが如何に優秀な魔術師であろうとも、こやつ等に手は出せまい。
それはつまり、私に対する人質を取ったという事。
もし魔術でその蟲を取り除こうとしようが、あちらが彼等を殺す方が速い。
「人質にしても、選択を誤ったようね。
私は彼等がどうなろうが痛む腹はないわよ」
―――― ふむ、おぬしがそうであろうとも・・・後ろの御仁はどう考えておるのかのう?
はっ、として振り返る。
そこには陰鬱とした表情で考え込んでいるマスターがいた。
「・・・キャスター、私は此処の、そして彼等の居候に過ぎん。
彼等に迷惑をかけては、義に反する。
お前には悪いが、ここは退く事にしよう」
「宗一郎様・・・」
阿々、と哄笑を上げる声。
―――― いやはや、聡明なマスターだ、正しき判断よ。
・・・陣地を失うのは余りに痛手だ。
だが、サーヴァントがマスターの意に反してはならない。
そして何より、私に気付かせずに此処まで入り込んだ陰湿な相手だ。
実力で此方が勝ろうとも、どんな搦め手を使ってくるか分からない。
履き違えてはならない。
私の望みはマスターと共に戦う事よりも、彼の身を必ず守る事が第一なのだから。
「・・・ではマスター、退きます」
術を唱え、彼と共に空間を跳ぶ。
耳障りな哄笑が、世界が完全に切り替わる寸前まで響き続けた。
「・・・おかしいわね」
皆が揃っている居間、そして庭に繋がる縁側に立ち、ジャグラーは呟いた。
既に時間は深夜に迫っている。
来る筈のキャスターは、未だ姿を見せていない。
「おかしいも何もないわ。
どういう事かしら、ジャグラー。
夜になっても一向にキャスターは現れないじゃない」
「遅い事は問題じゃないわ。
聖杯戦争の参加者が、人目を避けて遅くに動くのはおかしい事じゃないでしょう。
それよりも、柳洞寺の様子が・・・」
ジャグラーは遠坂の嫌味に上の空で答える。
どうやってかは知らないが、魔術かなにかであちらの様子を見ているらしい。
「柳洞寺の様子がおかしいって、何かあったのか?」
「別に爆発とかが起こっているわけじゃないけど。
何か所々に、妙なノイズみたいな物が・・・」
やはり俺の問いにも上の空で答える。
どういう事なのだろうか。
キャスターと和解ができたのだとしたら、俺達を含めて最早敵対する相手はいなくなった筈だ。
これ以上不可解な事件など起こり様が・・・
―――ィィィィィイイイッ!
突然、耳をふさぎたくなるような甲高い音が鳴り始めた。
この場に居る全員聞こえているらしく、様相を変えてその音がする方を見つめる。
闇夜で暗い庭の中心に、陽炎の様な歪みが生じていた。
結界は反応していないが、皆既に臨戦態勢だ。
「・・・・・」
紫紺の布が舞う。
それが目に見えた時には、一人の男と、魔女が現れていた。
――空間転移。
擬似的なモノではなく、真の意味でのそれは、未だ実現する事の出来ない魔法とされる。
いや、それにも驚いたが、驚愕すべきは別にあった。
共にいる男性、葛木宗一郎。
俺と遠坂にとっては見覚えがあるどころか、俺たちが通う学校の教師だ。
状況からすると、彼がキャスターのマスターという事になるのだが。
「キャスター、どういうこと。
柳洞寺で一体何があったの?」
誰もが沈黙する中でジャグラーが声を上げる。
様子から察するに、彼女にとってもこの闖入は予定外だったらしい。
「柳洞寺は・・・」
深く被られたローブの内から、思ったよりも清涼なイメージの声がする。
声の主は、言いにくい事があるように躊躇しつつも、ジャグラーの問いに答えた。
「柳洞寺は、奪われたわ」
口惜しいといわんばかりの、悔しさを秘めた口調。
それが真実を語り、最早いない筈の敵を認識させた。
暗雲が立ち込める夜の下。
潜みし闇が顔を出し、変則が拡大する。
なんにせよ、コレが何かの始まりであることは、確かだった。
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