「おはよう、士郎」
「おはよう遠坂。
・・・随分と早いけど、大丈夫か?」
朝早く、俺が朝食を作り始めてそう時間が経っていない頃に、遠坂は居間に来ていた。
珍しい事があったものだ。
いつもならば一番遅くに来て、ゾンビの様な足取りでに牛乳を求めているというのに。
「ちょっとね、気になった事があったから」
そう言うと、事情を説明せずにテレビへと向かっていく。
何か腑に落ちない、という顔をしている。
遠坂が点けたチャンネルはニュース番組。
朝だからそれ以外殆どやってはいないが、それを遠坂は食い入るように見つめ続ける。
「おーい、どうしたんだー?」
話しかけてみるが、返事はない。
集中する為に他の情報を聞き流しているようだ。
まあいい、こちらは朝食の用意で大忙しなのだし。
「おはようございます、シロウ、凛」
暫くして、セイバーがあらわれた。
「おう、おはよう」
「ん、おはよ」
遠坂はあくまで上の空。
よほど気になることでもあるらしい。
「? 凛、何か気になることでもあったのですか?」
「ええ、ちょっとね」
おし、一品完成。
「で、どうしたんだ遠坂。
何かあったのか?」
料理を運びつつ、話しかける。
遠坂は未だ晴れぬ顔だ。
「何かあった、ってより。
何もなかったのよ」
「それが悪い事なのか?」
「それは判らないけど・・・
ほら、これ見てみなさい」
遠坂が点けたテレビでは、都心で起こっているガス事故の話をしていた。
世間の扱いではそうだが、実際のところは魔術師の手による人災。
柳洞寺に潜むと思われる敵が、人々から生命力を奪っているのだ。
「・・・また起こったのか」
「違うわよ。
これ、昨日までの事件を報じてるやつ。
今日は今の所、何も起きてないのよ」
何も起きてない?
それはつまり、敵が行動を止めたという事か?
「どういう事だ、遠坂」
「・・・判らない。
実は昨日まで、この町周辺は敵の使い魔でいっぱいだったのよ。
監視や情報収集で配置されていたそれ等が、今日の朝にはさっぱりいなくなってる。
そして今日、一般人からの魔力の収集を止めた」
遠坂が説明を遮り、指を二本立て、その一本を折る。
「可能性1。
もうこれ以上魔力を集める必要が無くなったという場合。
目標まで集め終わり、もう準備万全って状態ね。
でもこれは、使い魔を退げる理由にはならない」
もう一本も折る。
確信的な声は、此方を本命と告げている。
「そして2。
なんらかのトラブルにより、止めざる終えない状況に追い込まれた。
これなら使い魔がいなくなった理由にもなるし、残り二人のサーヴァントがいる以上、可能性はある」
そうか。
残る二人のサーヴァント、キャスターとアサシン。
戦いが起こって、柳洞寺のサーヴァントが負けた、という可能性もある。
「と、言いたいんだけどね。
少なくとも残ったサーヴァント同士の戦いってのは薄いかな」
「む、何でだ?」
「簡単な話よ。
わたし達がいる此処は、今戦力が集まりすぎてるわ。
相手に戦う意思がある場合、彼らはどうすると思う?」
「戦力を集めます。
残った者同士で共同戦線を張って、まずは強すぎる戦力を削る」
ああそうか。
俺たちのように、協力する可能性もあるってわけか。
「じゃあトラブルって可能性も無くなるのか」
「いえ、そうじゃないわ。
ようは残ったサーヴァント同士の戦いは無いと思っていいだけ。
つまりわたし達以外の、柳洞寺の敵を倒せる第三者がいればいいのよ」
「第三者って、そんなに都合のいいやつが」
「いるじゃない、条件に当てはまりすぎるのが」
難しい顔をする遠坂。
そして誰か判ったのか、気まずそうにしているセイバー。
むう、サーヴァントを相手に出来る戦力を持っていて、条件に当てはまる第三者・・・・
「あ」
いや、いた。
ランサーを味方にし、行動が掴めず、本人曰く聖杯戦争の参加者ではない第三者が。
「あら、おはよう。
早いわね、貴方達」
縁側の方から声がかかり、彼女は居間へと入っていく。
見事な黒髪を背に流し、赤を基調とした服に身を包んだ美女。
自らを奇術師と名乗った、未だ正体の知れぬサーヴァントが、そこにいた。
――――――――<潜む予兆>――――――――
-2/11-
「はあー、じゃあジャグラーさんは画家さんなんだあ」
「はい、とは言ってもまだ学院を出たばかりの駆け出しでして。
名を売るどころか、まだ新参者ですが」
さらりと嘘をつきながら、綺麗な笑顔を浮かべる。
それにすっかりと騙されて、とっても楽しそうな藤ねえ。
欠片とて罪の意識を抱いてなさそうなジャグラーが恐ろしい。
「それじゃー似顔絵とかも描けるんですか?」
「ええ、そういったモノは初歩の初歩ですから。
特殊な描き方ではなくてもいいのでしたら、お描きしますよ?
藤村先生はお綺麗ですし、わたしも腕が鳴るというものです」
「あら、嬉しいこといってくれちゃって。
ジャグラーさんみたいな美人に言われたら恥ずかしいわよぅ」
あらいやだ、とおばさん特有のモーションで照れるトラ。
うん、お世辞だろうけどな。
それにしても藤ねえは楽しそうだ。
それもこれも、
「いやー、やっぱり同じ年代の人がいるって良いものねー。
気軽に話せるっていうか、お姉ちゃんしなくて楽だし?」
という事らしい。
同じ年代の、しかも同性の相手がこの家にいるのがすこぶる嬉しいようなのだ。
まあ確かに、今迄は爺さんに俺、そしてしばらくして桜と、この家では同年代がいなかった。
アーチャーは比較的近いように見えるが、それでも同性ではない以上、遠慮があるだろう。
その点彼女は年代も近く、藤ねえを女性と仮定すれば、同じ女性である。
だがしかし、如何に親しくなる条件があるといえ、またもや増えた住民を簡単に藤ねえが許す筈もない。
ならばどうやってこの様な状態が生み出されたか。
それはたった一言、ジャグラーが発した言葉によるものである。
『はじめまして藤村先生、アーチャーの妻の、ジャグラーと申します』
なんたってアーチャーと一応ながらの顔見知り。
とりあえずは紳士的なあの男の伴侶というのだから、身元ははっきりしまくりだ。
驚きはあったであろうが、当然の如くジャグラーの移住に許可は出て、今に至るという訳である。
驚愕するほどの猫かぶりに、藤ねえはがんがんに陥落していく。
ジャグラーの手腕もさることながら、やはり年齢が大きいのだろう。
だが刮目するがいい、藤ねえ。
同性であろうが、年齢が近かろうが、二人には決定的な違いがある。
既婚者と未婚者では、そも次元が違うのだ・・・・・!
とまあそんな事はどうでもいい。
「藤ねえ、桜はどうしたんだ?」
ひとつの空席に、茶碗が寂しそうに置かれている。
前から見れば随分と騒がしくなった我が家だが、桜がいないだけで酷くさびしさを感じた。
「あ、そうだった。
桜ちゃんから連絡があったんだけど、今日はこれないらしいわよ。
どうにも保護者さんの都合で、学校も休むらしいわね」
むむう、皆してどうしちゃったのかしら、と唸り始める藤ねえ。
・・・桜の両親は昔に亡くなったと聞いていたのだが、保護者とは誰のことだろうか。
「そうそう士郎、私も明日から当分来れないと思うから」
「む、なんでさ」
「ほら、ちょっと前に学校で集団で倒れた事件があったじゃない?
それは一応ガス漏れって話で済んだんだけど、その後が問題でねー。
管理状況やら責任の問題やらで揉めちゃって、今日から会議するみたいなのよ」
集団で倒れた事件、とは勿論ガス洩れなどが理由ではない。
ライダーの結界が原因によるもので、俺たちが関わっていた事の一つだ。
怪我人や病人は出なかったという話だが、この場合は起こってしまった事が問題なのだろう。
保護者の人々から責任の追及やらで、クレーム処理だけでいっぱいいっぱいらしい。
「んー、士郎のご飯が食べれないのは残念だけど・・・
しばらくは宿直室でおいしくないお弁当だわよぅ」
俺としても二人がいなくなるのは良い気持ちではない。
だが今は聖杯戦争の真っ最中。
この家でさえいつ危険にさらされるかわからない今、これはむしろ好都合だ。
「そうか、サボらないで頑張れよ、藤ねえ」
「んー。私としては士郎がお弁当を作って持ってきてくれれば文句ないんだけどなあ」
「もう寒いし、今日は冷え込みそうだからちゃんと暖かい格好で行くんだぞ」
「う、だからお姉ちゃんとしては、士郎の愛情込めた手作りお弁当が食べたいなあって」
「宿直になるなら、ちゃんと家に連絡を入れるように。
夜に組の人たちを捜索隊に出させないためにも、忘れるなよ」
「・・・・・・・」
「ああ、それと、」
「士郎のばかーーーーっ!!」
「じゃあ行って来るわ。
ジャグラーさんに失礼のないようにね?」
散々朝食を食い散らかしたトラを見送る。
満腹になった肉食動物は暴れないのだ。時にもよるが。
「―――――たのかしら」
戻り際、もう始めている様で遠坂の声が聞こえてきた。
怒らせたその声は、明らかに敵意を乗せて相対しているようだ。
居間へと辿り着く。
そこには厳しい顔つきでジャグラーを問いただす遠坂。
少し離れて座るセイバー、端に控えているアーチャー、朝飯を食っているランサーがいる。
ちなみに藤ねえにランサーは紹介していない。
どう見てもヤンキーな兄ちゃんであるランサーを誤魔化せないと思ったのもあるが、本人の意思での事である。
霊体化して藤ねえを見てからの一言。
『あのねーちゃんは何かヤバイな。
どうも大型のネコ科らしきもんを感じるし』
鋭すぎる勘。
まさにクー・フーリンらしい、判別方法であった。
「じゃあ逆に聞くけど、何故わたしだと思うのかしら」
ガツガツと朝食を平らげていくランサーを横目に、ジャグラーが穏やかに言う。
対する遠坂は、無表情を装っている。
ああいう時が一番怒っているという事が、最近判ってきた。
それにしても今回ので、三回目の対立だ。
もはや慣れた・・・とは言わないが、こう毎朝やってると習慣のように感じてしまう。
「単純よ、貴方以外に該当者がいないだけ。
ジャグラー、貴方がわたし達の敵ではないと言うのなら、誤解を誘う行動はして欲しくないわ。
昨日、ランサーを連れて何処へ言ったか、話すべき義務はあると思うけど?」
引き下がる事はない、とばかりに凄む。
確かに彼女の行動には謎が多い。
味方だと言うのならば、事情くらい話してもらっても―――あれ、今俺も知らない事を言ってたぞ。
「あら、わたしがランサーと出かけたという事は知っているのね。
使い魔に監視でもさせたのかしら?
ならわたしに聞かずとも、家を出た後の行動くらい把握できたんじゃないかしら」
「・・・その使い魔も貴方に壊されたでしょう。
もし自分の行動に後ろめたい事が無いのならば、その様な事をする必要もない筈。
その事を含めてよ。
答えなさい、ジャグラー」
言い逃れなどさせないと、遠坂は確信をして突きつける。
確かにそんな事があったのなら、誤魔化す事やいい訳すらもできはしないだろう。
だがそんな考えも、あっさりとした彼女の言葉に霧散した。
「停戦の交渉をしてきたのよ」
・・・停戦?
思ってもいなかったのか、遠坂は言葉を失って止まる。
「言葉の通り、対立関係を終わらし、協力関係を築きに行ったわ。
ついでに彼女の"搾取"も止めさせたわ、今日は事件が起こってなかったでしょう?」
「ふ、ふざけないで。
大体相手の正体も判らずに交渉をするなんて――」
「相手の事だったら判ってたわ。
柳洞寺に根を張ったキャスター、そして彼女に呼び出されたアサシン。
彼女達の能力を知っているからこそ、わたしは動いたんですもの」
「・・・貴方もしや、最初から知ってて」
「ええ、もちろん。
ちなみに使い魔の事だけど、壊した事もわたしであると認めるわ。
キャスターとの交渉は、最初に必ず小競り合いが生じると思っていたから、わたしは切り札を出す事も考えていた。
そしてそれを、わたしを信頼していない相手に見せるつもりない」
ぐ、と遠坂が言い詰まる。
確かに、サーヴァントにとって真名や宝具は隠し通すものだ。
未だ彼女を信頼していない遠坂に、おいそれとそれらを教えるわけにはいかない。
とまあ、とりあえず筋は通っているように見える。
彼女が言った事が真実ならば、今回の謎は解けた事になる。
俺としても戦いではなく、交渉という形で聖杯戦争が終わるならそれに越した事はないのだが。
遠坂の視線が動く。
その先には未だ食事を続けているランサーがいる。
お前も行ったのだから、何か知っているだろう、と。
「ああ、悪いがオレは何も見てないぜ。
オレがアサシンを、ジャグラーがキャスターの相手をしてたからな。
まあオレが判るのは、今回の戦いで死人がでてないのは確か、って事くらいだ」
ランサーの隠そうともしない態度を見て、遠坂は再び別の人物を見る。
「私に期待してもらって悪いが、今回は何も聞いていない」
瞳で問われたアーチャーが、本人もどこか不満そうに答える。
「全く、人には無鉄砲だの無謀だのと言う割には、何の相談も無しにこれか」
「貴方とは違うわよ。
わたしは情報があって、十分に生き残れると判断したから動いただけ。
何の調査もしないで勝手に動く無計画者じゃないもの」
不満顔だったアーチャーが憮然とした表情に変わる。
ジャグラーといえば、くすくすと楽しそうに笑い始めた。
確かに夫婦と言うだけあって、二人は落ち着いた仲の良さを持っていた。
ふと、視線を戻す。
遠坂の表情が、先程よりも悪く、ストレートに言うのならばジト目になっている。
・・・なんか見た目に機嫌悪くなってるぞ。
その表情のまま、遠坂は口を開く。
「ジャグラー、今回の事が和平交渉だったとしても、貴方の意図が掴めていない。
ランサーの時や、今回の事といい、貴方は聖杯戦争を止めるつもりなのかしら?」
「そうだとして、何か問題があるのかしら。
そこにいる彼も、戦いを止めようとしているじゃない。
貴方も、戦う為に聖杯戦争に参加したわけではない筈よ」
「それは・・・」
ジャグラーの言うとおり、今の結果を見れば俺が望む事と合致している。
そうすると俺に文句はない。
だが、遠坂はどうなのだろうか。
考えてみれば、俺はなんで遠坂が聖杯戦争に参加しているか聞いていない。
聖杯戦争に参加する以上、聖杯を得る為というのが当然なのだろうが・・・
遠坂の場合、少しばかり違う気もした。
「まあどの道、わたしには貴方が疑っているような意図はないわよ。
ランサーも、今回の事も、ちょっとした私情に過ぎないわ。
わたしの言葉の真偽を確かめたいのなら・・・そうね、今日の夜あたりにでもキャスターが来るでしょう。
聞くだけじゃなく、結果を見て自分の目で見極めてみなさい」
そう言うだけ言って、ジャグラーは居間から去っていった。
結局言い返せず、憮然とした表情なままの遠坂。
考えてみれば、結局の所彼女の意図を明確にする事はできなかったのだ。
遠坂にしてみれば、完璧な敗北だろう。
いや、それにしても。
「出る幕ないな、俺達」
「・・・はい」
情けない俺とセイバーの声が、小さく部屋に響いた。
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