おかしい。
最近どうにもおかしい。
この前はらしくもなく貧血で倒れ、通りすがりの人に助けてもらった。
妙な時期に転校生、だか見学者だかが現れたりもした。
さらに滅多に休まない衛宮が、連続で学校を休んだ。
そして何よりも妙なのは・・・・遠坂が休んだ事。
衛宮も遠坂も人の子だ、休むこと自体がおかしいわけではない。
だがこうも妙なことが続くと、なんにでも疑いを持ってしまう。
この前に校門の前で会った時、遠坂は衛宮と一緒に登校していた。
あの遠坂が男と一緒というだけでも驚きだが、相手があの衛宮だからさらに驚きだ。
何でもないとあいつは言っていたが、今回のように衛宮が休み、続くように遠坂までもが休むとなると・・・
疑わずにはいられないというものだ。
いや、それだけではない。
ここ最近、学校の雰囲気がどうにもおかしい。
なにか吐き気を催すような、気持ち悪い空気をよく感じる。
見れば周りの人間は皆元気がないし、体調が悪いわけではないが、私自身も余り気分がよろしくない。
授業中だというのに集中できず、ただ黒板に記された文字をノートに写す。
ふと、意味も無く窓から外を眺める。
―――世界全てが、赤く染まっている。
「?」
疲れで目がおかしくなったのか。
そういえばどうにも体中がだるい。
目を擦り、揉み解してから教室を見る。
・・・視界に移る人間、全てが床へと倒れ伏していた。
「なっ―――!?」
意識せず、椅子を押して立ち上がる。
すると脳が直接掴まれるような錯覚を感じて、目の前に地面が迫った。
床に頭がぶつかり、痛みで星が見える。
痛めた額を擦ろうと手を上げようとするが、手どころか、体中の反応が鈍く、動かなかった。
落ち始めていく意識。
重くなり続ける目蓋を上げて、窓から見える外を見る。
―――――赤い檻が、世界を断絶していた。
――――――――<極限死闘>――――――――
最悪な状況であった。
逃げ場も、隠れる場所も無いような所で、最悪の敵が目の前にいる。
それは決して血に飢える肉食獣や、掠れば即死に至る毒を持った生物でもない。
どちらも正しくて、どちらも間違っている。
目の前にいる美女―――そう、すくなくとも外見は化け物でもなんでもなく、美を極めた女性。
その姿から想像できないほど、彼女はそこらの肉食獣より恐ろしく、即死の毒よりも危険な存在だ。
ただ違うのは、恐ろしさや危険の度合いが、その二つなんかとは桁が違う、という事だ。
人の知の外にいる者、人が崇め奉る者、そして・・・人が恐怖する者。
それがサーヴァント、聖杯に選ばれた七人のマスターに使える最強の英霊。
主には信頼し、共闘する身であり、相手にはそれこそ恐怖の対象となる。
つまりはそう、俺のようにサーヴァントを召喚した、マスターにとっては。
「さて、舞台も整ったし、始めようか」
目の前にいる友人、間桐慎二が言う。
そしてそれに従うように、一歩前へと出るサーヴァント。
「やれ、ライダー。
あんまり簡単に殺すなよ」
その一言と共に、それは俺の目に残像を残して消えた。
「――――っ!」
逃げなくては。
俺ではあのサーヴァントに太刀打ちなんてできないし、そもそも武器がないのだから何も出来ない。
それなりに鍛えたつもりだが、あちらにとっては俺の体など紙に等しい強度だろう。
魔力の強化を行えば少しは違うかもしれないが、あいにく俺は自分の体に強化をかけるなんて高度な魔術は使えない。
やれることと言えば―――!
「―――同調、開始(」
手順を全てふっとばして、いや、元々魔力は流れっぱなしなのだから魔力回路を作ることから始める必要はないのだか。
とにかく全力で魔術を編み上げ、強化を施す。
そして、
「っが!」
蹴られ、金網に叩きつけられる。
危なかった、服への強化が間に合っていなければ今ので死んでいたかもしれない。
内臓に傷でもついたのか、口から血が溢れてきたがとりあえず動けそうではある。
「すごいね、衛宮! 今地面と水平に飛んでったぜ!?」
腹を抱え、おかしそうに笑う慎二。
だが俺はそれに気を向ける暇などなく、すぐに目の前の敵へと目を向ける。
そこには先程と同じように立ち、ただ黙して俺を見る。
・・・彼女はあの鎖のついた短剣を出していない。
慎二が殺すなといったお陰なのかもしれないが、とりあえずすぐに死ぬという事はなさそうだ。
そして再び、彼女は視界から消える。
寒気がするほどの悪寒を横に感じ、体を投げ出すように前へ飛ぶ。
するとなにかが物凄い速度で後ろを通り過ぎた。
なんとか避けられたか・・・と考えた直後。
背中を強打され、再び俺は吹き飛んだ。
頭を守りながら、転がって受身を取る。
体のあちこちの痛みを無視して立ち上がり、顔を上げる。
そこには最初に立っていた場所と全く変わらぬ位置にいる美女の姿。
―――遊ばれている。
よく見てみれば、俺の立ち位置も元の場所に戻っている。
考えてみれば当然だ、彼女が本気であるのなら良くて行動不能、悪くてとっくに死んでいるのだから。
「頑丈だねえ・・・まあそうでないと面白くないか。
ライダー、あいつ殴られたりないってさ。
休む暇なんて与えなくていいよ」
その声に頷くことすらなく、彼女は地を蹴る。
こちらと言えば、まだまともに動くことすら出来ない。
頭だ、露出している頭を守らなくては・・・
「ぐかっ!」
上げた腕に、骨まで響く衝撃が走る。
今度は吹き飛ばされるようなことはなかったが、それこそ休む暇も無く次の衝撃が走る。
腕、腹、足、胸、背中。
体のありとあらゆる所を打たれて、そのたびに意識が飛ぶような痛みがついてくる。
どうやらなぶり殺しにするらしい。
が、それが分かっているからといって何が出来るまでも無く、今は亀のように耐えるしかない。
「――っごぶ!?」
腹を打たれて、血液が喉から逆流する。
どこか本格的に内臓がやられたのかもしれない。
だが幸いといっていいのか、体中が打たれて麻痺し、とっくに痛みなんて感じられなかった。
意識が残っているのが不思議なほどだ。
「あーあ、やられっぱなしじゃないか。
つまらないなあ、もう少し抵抗を見せてくれよ」
飽き始めたのか、慎二の声は脱力をみせていた。
だからといってこちらの手が緩むわけではない。
もう上げているかもわからない手を、必死に固めて頭を守る。
しかし、これも時間の問題であろう。
武器だ、身を守れて、そうそう壊れない武器が必要だ。
一つじゃこの速さには対応できない。
二つ・・・そう、例えばアイツの武器の様な―――――
「ぐぶっ!」
頭が白くなる。
腕を蹴られ、守りきれずに頭まで衝撃が貫ぬいた。
ああ、そう上手くはいかないことくらいわかってるさ!
だがこのままでは駄目だ。
いずれ耐え切れなくなり、頭を打たれて意識ごと命を持っていかれる。
逃げなくては。
周りは柵に囲まれて、落ちれば強化した服でも耐え切れるものではない。
必然的に、逃げ道はたった一つという事になる。
なんとかあそこまでたどり着ければ・・・・・・
ふ、と気配が離れる。
上げた手の隙間から見ると、今まで猛攻を続けていたライダーが少しだけ遠くに離れていた。
助走をつけた一撃を繰り出すのだろう。
・・・ここしかない。
感覚のない足に力をいれ、無理やりに動かす。
タン、と速度から信じられないような軽い音で、ライダーが一直線に跳んで来る。
「く・・・っそ! うご・・・けぇ!」
ブチブチとナニカが切れるような音を聞きながら、地面を蹴る。
後ろに跳んだ俺に彼女の蹴りが追いつき、再びボールのように吹き飛ばされた。
「っが、だ、あだだだだだっだ!」
ゴロゴロと、いやむしろゴツゴツと体中をぶつけながら、階段を転げ落ちる。
階段の下へ着き、体の痛みを無視してなんとか立ち上がる。
うまくいった、正直不安に思う暇も無かったが、成功するとは思わなかった。
ライダーが俺を蹴り飛ばしてくると思った瞬間、後ろへ飛んで衝撃を殺した。
いや、衝撃そのものは殆ど吸収し切れなかったが、もう一つの目的はうまくいった。
つまり、出入り口から逃げると言うこと。
まあ背中から鉄の扉にぶつかり、階段を転げ落ちたというのは逃げた、とはいえないのかもしれないが。
ともかく武器だ。
モップでも、パイプでも何でもいい。
剣の変わりになる何かがあれば少しはマシになる筈だ。
上からの慎二の罵声を聞き流し、近くの教室へと入り、
――――――その光景に、息をすることすら忘れた。
そこは屋上と変わらず、赤く染められた部屋。
吐き気がするほどの空気の中、無人の世界に毒が脈動する。
授業中だからと座っている生徒や、教卓に立つ教師もいなかった。
いる人間全てが床に倒れ伏し、生気というものが感じられない。
――ガチ。
近くに倒れている生徒を見る。
ゆっくりと胸が上下し、呼吸をしていた。
生きている、ここにいる人々は確かに生きている。
――ガチ。
だから違う。
あれとは違う。
あの時は生きている人なんていなかった。
いや、生きている人はいたが、もはや助かる道は誰にもなかった。
だと言うのに、何故。
何故、あの赤い地獄と重ねてしまうのか。
――――ッガキン!
「衛宮、そこにいるんだろう? いい加減にでてきたらどうだい」
扉の外から、慎二の声が響く。
人が倒れ、嗚咽しか聞こえないこの世界では、何の邪魔も無く通る。
近くにあった椅子の足を折る。
もぎ取った二つを両手に持ち、目を閉じて神経を集中させる。
短い呪文を発し、五秒と掛かることなく、しかも二つ同時に強化が終了する。
今までの中では最高な出来で、最速の作業となったが、それを喜ぶ気にもなれない。
扉へと足を向ける。
体中が軋み、悲鳴を上げる。
だがもうそんなことはどうでもよかった。
今はただ、煮えくり返ったこの頭が全てを忘れさせてくれる。
「あはははは! いい顔してるじゃないか、それが見たかったんだよ。
中の様子はどうだった? まだ時間は掛かるだろうけど、少しくらい死体があったかい?」
扉を開けると、俺の表情に気分を良くしたのか、激しく哄笑する慎二がいた。
そしてそれを守るように、静かに佇むライダーの姿。
「・・・慎二、結界を止めろ」
「はあ? 今僕に何て言った?」
手に持った武器を握りなおす。
俺とライダーの距離は、普通に走れば十数歩といったところか。
「まだ自分の立場が分かってないみたいだな。
いいかい、これは僕が発動させたものなんだ。
止めるのも僕次第だし、衛宮に命令される筋合いなんてないね。
止めて欲しかったら・・・そうだね、今ここで飛び降りでもしてくれよ。
それが楽しかったら、考えてあげなくもないぜ?」
「もう一度言うぞ。結界を止めろ、慎二」
「・・・苛々するな。
もういい、ライダー」
ゆらり、と目の前の黒い影が動く。
その手にはいつのまにかあの短剣がある。
「そいつを好きにしていい。
ああ、でも顔くらい残しておいてくれよ?
首だけになった衛宮を残しておけば、遠坂も組んだ相手の無能さに気づくだろうからな」
「・・・交渉は決裂だな」
だったらもう遠慮する必要なんてない。
相手が来るのを待つまでも無く、こちらから攻撃する―――!
ズダン! と地を踏み切って跳ぶ。
魔力が漲っている今ならば、このような距離は一足で事が足りる。
そう、すでに体は魔術回路と化していた。
遠坂が言っていたスイッチなんてものではなく、まさに体中が入れ替わったとも思えるこの感覚。
今の俺には、魔術回路を作り上げていたころとは比較にならない程の魔力が体に満ちている。
風を切る音と共に、目の前から弾丸が放たれる。
ライダーが手にした杭、いや短剣と呼べるような武器を投擲したのだ。
ジャラジャラと音を立てるそれは、このまま飛んでいけば確実に俺を貫く。
そう、当たればの話である。
「っは!」
左の武器を振り、投擲された短剣を弾く。
確かに速度は恐ろしいものがあったが、直線に放たれたそれに対して脅威は感じなかった。
ならば止まる必要などない。
足を地に着けた時には、ライダーの目の前まで辿りついていた。
先程左の武器を振ると同時に右肩を前に出してある。
薙ぎ払う様に右の武器を振るう。
しかしそれは当たることなく、軽く下がるだけで苦も無く避けられた。
もちろんそんな事は想定していた事だ。
振った右手を開き、すっぽ抜けるように武器が飛んでいく。
「っ!?」
声こそ聞こえなかったが、ライダーの動揺の気配を感じ取る。
そのまま武器の先行きを見ずに、踏み込んで前へと駆け抜ける。
もとよりこれでサーヴァントを倒せるとは思っていない。
狙いは最初っからこっちにあったのだ。
「慎二っ!!」
ライダーの後ろにいた慎二に迫る。
空いた右手を振り上げ、その胸倉に手を伸ばし、
気づけば、先程と同じように血を吐き、同じように壁に叩きつけられていた。
痛い、いや、熱い。
頭がぐらぐらとして、今吐いている物が血だか内臓だか全く理解できない。
朦朧とする意識、頭を打ったのかもしれない、視界が狭い。
今すぐ閉じようとする目蓋を持ち上げ、映ったのは黒と紫色の美女。
「よ、よし。よくやったライダー」
左腕に激しい痛みが走る。
見れば腕には鎖が絡みつき、よほどの力で引っ張られたのか、肩から千切れかけていた。
ピンク色の中身が見えて、血液が惜しげもなしにだらだらと流れている。
筋肉なんて直で見たのは初めてだが、意外と綺麗なもんだ。
「あははははは! 何やってるんだよ、衛宮!
腕が変な方向に曲がって、千切れかけてるじゃないか!」
調子を取り戻したのか、それともついにぶち切れたのか。
裏返った声で笑い続ける慎二。
だがそれもやがて止まり、静かになる。
音と言う音は、俺のうるさいほどの呼吸と、バクバクと破裂しそうな心臓のだけ。
「・・・うるさいな。
もう十分楽しんだし、いいや」
口がひきつったかのように歪む、狂気に彩られる。
「ライダー、そいつは捨てろ」
もう聞こえにくくなった耳でそれを聞き取り、
同時に信じられない力で左腕が上がり、窓を突き破って外へと放り出された。
もう怒りも、恐怖もなかった。
ただあるのは悔しさだけ。
この数日の間に、何度も何度も味わったもの。
自分の力の無さ。
無関係な人を巻き込んだ迂闊さ。
そしてなによりも、助けられる人を前に何も出来ないという事実。
痛みも手伝って、涙で視界が見えづらくなる。
この赤く染まった世界を、目の前にしてなにも出来ないのか。
倒れた生徒たちを前にして、助けることもできないのか。
何度、同じ間違いをすれば気が済むというのか!
なんとか動かせる右腕を上げ、その手に刻まれたものを見る。
サーヴァントに対する絶対命令権にして、三回までの奇跡を許される、令呪。
このままでは終われない。
何もせずに死ぬことなんて、俺には許されない!
横で割れるガラスの音を聞きながら、動かない筈の左腕で右腕を掴み、掲げる。
頼む、これしかもうないんだ。
「来い、セイ―――」
「シロウ!」
何故か近くから聞こえた彼女の声で、言う筈の命令を引っ込める。
落ちている為不自由な体に誰かが抱きつき、多少の衝撃と共に地面にたどり着く。
・・・体は痛いが、なんとか生きていた。
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