昼休みの終わりを告げる鈴が鳴る。
数々の生徒が急ぎ自らの教室に戻る中、その流れに沿わずに屋上に立ち続ける少年がいる。
感情のない目で外を見つめて、何をするでもなくじっとしている。
その少年の目に、同世代の少年の姿が映る。
姿そのものは凡庸だが、その髪は赤く、ひどく目立っていた。
屋上にいる少年の口がつり上がる。
彼の胸中は冷静で穏やかであった。
しかしその表情から読み取れるのはそのような物ではなく――――
――――――ただ一つ、狂気にのみ彩られていた。
――――――――<断絶世界>――――――――
多少息を切らしながら、学校にたどり着いた。
時刻は昼休みが終わってすぐ、ということだろう。
人の気配があるのに姿が見えないというのは、奇妙を通り越して気持ちが悪いものだ。
いつの間にか、立ち止まって校舎を見上げていた。
止めていた足を動かし、校門に足を踏み入れる。
――――とたん、服の下にじっとりとした汗を感じた。
走ったから出たわけでも、暑いからでたわけでもない。
軽く走った程度で汗をなんかかかないし、それ以前に今は冬にふさわしい寒さなのである。
・・・この汗はそんなものではない。
世界に満ちる甘い空気が、あきらかに濃くなっていた。
遠坂はまだ時間があると言っていたが、それが嘘に思えるほどだ。
正直長くはいたくないし、そう時間もない。
大体こういうものを取り外させる為に鍛えているのだから、ここで立ち止まっていては意味がない。
感じ始めた吐き気を無視して、校舎の中へと入る。
グラウンドと同じように、その中は無人のような静けさであった。
確認する気もないが、教室を覗き込めばしっかり授業を行っているであろう。
だが今の目的はそこではない。
できるだけ足音を響かせないようにしながら、急ぎ階段を上がる。
すると大気に満ちた甘い空気は、少しばかりだが薄れてきた。
となるとこの結界の中心点は上ではなく、一階付近にあるのだろう。
帰ったら、この事は遠坂に報告して置こう。
ギイィィ、という錆びた鉄の音ともに、屋上への扉を開いた。
風一つない、どこか違和感のある世界。
いつもと変わらない筈なのに、ここも明らかに異質であった。
「慎二」
金網に手をかけ、外を見ていた男に声をかける。
それに反応し、振り向いた慎二は顔を笑みの顔に歪めた。
「早かったね衛宮。もしかして走ってきたのかい?」
「ああ、あんまり時間がないし、慎二は急ぎの用みたいだからな」
「あはは、いきなり呼び出したのにこんなに早く来るとは思わなかったよ。
しかし困ったな、もう少し遅れてくると考えてたから予定が少しズレた」
そう言いながら困っている筈の表情は、未だ笑みのままだ。
・・・なにかおかしい。
「―――慎二?」
「まあいいや、多少時間も余ってる事だしさ、久しぶりにお喋りでもしようじゃないか」
「いや、俺は早めに帰らないといけないから、すぐにでも始めて欲しいんだが」
「いいから聞けよ、友達だろう?」
そして何が楽しいのか、くつくつと笑い出す慎二。
やはり妙だ、いつもより変にハイというか、なにか不気味なものを感じる――――
「で、遠坂は元気かい?」
一人で勝手に訝っていると、全く予想だにしていなかった言葉が聞こえた。
「・・・え」
「衛宮の家に泊まってるんだろ?
今日休んでるみたいだから、気になってたんだ」
「っ・・・な、なな、なんで、知ってるんだ」
俺は誰かに話した覚えはないし、そんなことする筈もない。
だって遠坂だぞ?
学園のアイドルで、全校生徒の注目の的だ。
そんな相手と一時的とはいえ、暮らしていると言ってしまったら・・・
良くて村八分、最悪俺は学校に顔を出すことすらできなくなる。
どこから情報が流れたのだ。
遠坂自身な筈はない。
だとするとセイバーか?
いや、彼女にそのことはしっかり言い含めてあるし、簡単に口がすべるようにも思えない。
・・・もしや藤ねえか。
ありうる。特に美綴辺りに気軽に話してそうだ。
それならば同じ部活の慎二にも情報がいっているかもしれないし、納得できる話しだ。
大体口封じをしていたとしても、藤ねえなら菓子の一つで口を開きそうなものである。
いや、仮にも藤ねえは教育者だ。
その辺の所にけじめはつけているだろうし、大体内容が内容なだけに、そうそう人に言いふらさない筈だ。
となると他にうちの現状を知っている人物は・・・
「全く、馬鹿だな衛宮。僕の妹が誰か忘れたのかい?」
間桐桜。
慎二の妹で、うちの現状を知っている最後の一人ということになる。
「・・・・・そっか、桜か」
よかった、それなら安心だ。
桜がこういう事を人に言いふらす様な事をしないことはよく知っている。
それに話した相手が兄の慎二ならしょうがないし、特に問題はない。
慎二は態度で人によく誤解されるが、こいつはこいつでしっかりとしたやつなのだ。
桜と同じく、そういった意味で信頼できる相手である。
「この前来てた・・・セイバーだっけ?
あいつも衛宮の所にいるんだろ?」
「・・・あ、ああ、なんか遠坂の親戚らしくてさ」
「で、見学ってわけか」
そう言って、再びくつくつと楽しそうに笑う。
・・・まてよ?
確かセイバーが学校見学に行っていた時、慎二は休んでいなかったか?
その場にいた人間でなければ、「この間来てた」という表現は使わないだろう。
そうだ、美綴の事を聞こうとも思っていたのだった。
「そういえば慎二、お前―――」
「いや、本当に馬鹿だね衛宮。
サーヴァントをわざわざ人目にさらすなんて、自殺願望でもあるのかい?」
「―――――っ!?」
知らず、体は身構えていた。
まさか・・・
「慎二、お前・・・」
「その顔を見る限り、やっぱり知らなかったみたいだな」
ニヤリ、不気味に笑いだす慎二。
先程まで感じていた違和感は、ここにきて表情にぴったりと合っていた。
「今衛宮が思っている通り、僕はマスターだ。
聖杯戦争の事も知っているし、サーヴァントもしっかりいるしね」
「・・・もしかして、慎二も何も知らないで巻き込まれたのか?」
聖杯戦争の事なんて知らず、心構えも無しにマスターになったような俺がいるのだ。
同じように、慎二が巻き込まれている可能性はあるだろう。
「っは。馬鹿にするなよ。
マスターが何であるか、そして聖杯戦争の事だって昔から知っていた。
僕は衛宮なんかと違って、正式な魔術師の跡取りなんだ」
正式な魔術師の跡取り・・・?
ということは間桐は魔術師の家系という事なのか。
「おかしいじゃないか。
それなら遠坂が真っ先に気づくだろう」
「ああ、魔術師の家系とは言っても、僕の家は既に魔術回路は途絶えているんだ。
元々この国の人間じゃないからね、土が合わなかったんだろう。
そういうわけで、僕は魔術師の家系でありながら魔術を使えないってわけさ」
そうか、だからこそ遠坂の目から逃れられたのだろう。
魔術師の家系とはいっても、魔力がないのなら通常サーヴァントは呼び出せない。
・・・む?
「じゃあなんで慎二はサーヴァントを呼び出せたって言うんだ。
魔力がないのなら、召還することだって出来ないんじゃないのか」
「確かに僕には魔力はない。
だけどだからと言って、間桐の家から何もかもが消えたわけじゃあないんだ。
先代が残した知識が――――っと、お喋りもここまでだね」
楽しそうに語っていた慎二がそう言うと、何の前触れも無く、目の前の風景がブレる。
――――そこには、黒一色に身を包んだ、異質なナニカがいた。
「改めて紹介するよ。
僕のサーヴァント、ライダーさ。
衛宮は一度会っただろう?」
・・・会ったなんてもんじゃない。
何しろ一度殺されかけているのだから。
「慎二、お前・・・」
「悪いけどこれ以上無駄話はできないよ。
何しろ準備が終わったし、これ以上待機はさせられないらしいしね」
慎二の言っている事はよくわからない。
だがそんなこと、考えるまでもなかったのだ。
今日になって密度を増した異状。
この学校に張られているという結界。
そして、ここに潜んでいるマスター。
結論は、一つだ。
「やれ、ライダー」
その一言と共に、世界は変質し、侵食される。
――――赤い檻が、学校を閉ざした。
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