恐るべき速度で繰り出される"何か"を、短剣が正確に弾きかえす。
衝撃で下がる左腕と同時に、右腕の短剣を突き出す。
それも弾かれ、次の攻撃を受けるために下がる。
次々と繰り出される剣戟は、見目麗しい少女からのものだ。
砂金のような髪を流す小柄な彼女の姿からは、想像だにできるものではない。
いや、前言撤回する。
この美しくも力強い演舞は、彼女以外誰にも真似することなどできない。
まさに神話を体現する英霊、サーヴァント。
俺なんかでは手の届かない極地に至った人々なのだ。
だが魅了されたのは彼女だけではない。
二対の短剣を操り、押されながらも英雄と戦う男。
それは凡庸で、決して桁違いというわけでもなく荘厳さもない。
きっとあいつには何もなかった。
だからこそその身一つを鍛え上げ、凡人故の極地へたどり着けた。
あれならばきっと俺にもできる。
今の俺にはできないだろうが、いつかはきっとたどり着ける。
「・・・ウ」
凝視し、あいつの技を、剣を、動きを記憶する。
「・・・・・ロウ!」
もう少しだ、もう少しであいつの剣技を覚えられる。
だというのに、さっきからうるさくてしょうがない。
あと少しでいいから集中させてくれ。
「・・・シロウ!!」
最後の一撃が振るわれる前に、目の前には閃光が広がり―――
――――――――<銀の月光>――――――――
「シロウ!」
目が覚めた。
「大丈夫ですか、シロウ! 痛みはありませんか!?」
目の前にいるのは、必死な表情をしたセイバー。
俺の手をしっかりと握り、ものすごく近く・・・うん、本当に目の前にいる。
「えっと、どこも痛くはないけど」
ちょっと近すぎだよ、セイバー。
・・・とりあえず状況を把握しなくては。
俺は今、木の幹にもたれ掛かっている。
目の前には安堵の表情のセイバー、そしてすぐ後ろに遠坂が立っている。
最後に見たあの赤い背中。
アーチャーはここにはいないようだが・・・
「遠坂、アーチャーはどこにいったんだ?」
「・・・あのサーヴァントを追わしてる。
まあ多少時間がたってるから、追いつけはしないでしょうけど」
どこか不機嫌な調子で、遠坂は答える。
やっぱり一人でサーヴァントに挑んだ事を怒っているのかもしれない。
「そういえばあの女の子はどうしたんだ? 傷、直すことできたのか?」
「ええ、早くに処置できたのと、傷自体が魔術的なものじゃなかった事が不幸中の幸運ね。
手持ちの宝石でなんとかなったし、あれなら傷跡も残らないでしょうね。
今は保健室に寝かしておいたわ」
「そっか、ありがとうな遠坂。俺じゃなにもできなかった」
「・・・別にいいけど。
言っておくけどね、衛宮くん。あなたはそんなことよりじ」
「何を言っているのですか、シロウ!」
・・・・っー! 鼓膜が破れるかと思った。
まだキーンと奥のほうで耳鳴りがしてるぞ。
遠坂も両耳を押さえて、涙目になってるくらいだ。
「せ、セイバー。どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもありません!
貴方は何をやっているのですか!
私があれ程サーヴァントと戦うなと言っていたのに!」
「あ、いや・・・だってあれは」
「それになんですか!?
ここまできてあの女性の心配ですか!
確かに何も知らない一般市民が巻き込まれたのは心苦しいですが、貴方とて相当な傷を負っていたのですよ!?
私と凛の処置がなければ、その腕は壊死して使い物にならなかったのかもしれないというのに!」
「あ・・・う」
「そしてあの令呪!
貴重な令呪をあのようなことに使うのも遺憾ですが、内容も内容です!
あの場は相手を逃がしたとしても、アーチャーとの合流を待つべきでしょう!
単身で向かい、さらに自分の盾や剣になるサーヴァントを置いていくなど、下策どころではありません!」
心底怒っているのか、息を切らしながらまくしたてるセイバー。
驚いた。
セイバーがこんなに風に怒るなんて、想像もしていなかったからだ。
「・・・ごめん、セイバー」
「そのような謝罪など・・・聞きたくありません!」
そう言うと、彼女は疲れたようにうなだれる。
「・・・私を心配させないでほしい」
最後にか細い声で言い、セイバーは静かになった。
「・・・ごめん」
罪悪感でいっぱいになる。
自分の行為がどれだけ彼女を不安にさせ、心配をかけていたのか。
今の彼女を見てわからない人間などいないだろう。
「ん、遠坂も言いたい事あるのか」
何か物を言いたげな表情をしたまま、遠坂は押し黙っていた。
そういえばセイバーが怒り出す前に、何か言おうとしていたような。
「・・・いいわ、セイバーが全部言っちゃったし」
ってことはセイバーが何か言わなくても、遠坂が口を出したって事か。
セイバーには驚いたが、遠坂の場合何を言われるかわかったもんじゃないな。
怒ってくれたのがセイバーで助かったかもしれない。
ふ、と空が陰る。
それが人の影と気づいたときには、アーチャーが遠坂の後ろに立っていた。
「どうだった、って聞くまでもないわよね」
「ああ、すまんが取り逃がした。いや、そもそも姿さえ捕らえられんかったがな」
遠坂の問いに、迷わず答える。
そういえばこいつに助けてもらったんだっけ。
「アーチャー、助けてくれてありがとう」
月並みだが、言う。
命を助けてもらったにしては軽いものだが、俺には礼を言うことぐらいしかできそうもない。
だがそれを聞いた反応は、冷たい視線、侮蔑ともいえるものだった。
「私とて凛の命に従ったに過ぎんが。
言わせてもらうならお前の礼などなんの得にもならん」
「ちょっとアーチャー」
責める様な物言いに、遠坂が静止を掛ける。
だがアーチャーはそれを聞かずに続けて言い放つ。
「お前にはお前の為すべきことがあった筈だ。
何もすることができずに足を引っ張っただけの貴様の言葉なぞ、毒にも薬にもならん」
怒りさえ込めて、アーチャーは言った。
そう、俺には俺のやるべきことがあった筈だ。
セイバーを俺のわがままで止めたり、殺されると分かっている相手に挑むことではない。
自分の分をわきまえろ、という意味なのだろう。
だが、俺はそれ以前に―――
「いいから、とりあえず帰るわよ。
さすがにないでしょうけど、いつ襲撃があるかも分からないんだし」
遠坂が場を収めるように言い、何かを思いついたように俺を見直す。
「そういえば士郎、あのサーヴァントのクラスくらいは分かった?」
「いや、鎖に短剣がついた様な武器を使っていただけで、他は何も分からなかった。
身軽さは大したもんだったけどな」
「ふうん・・・それじゃあランサーを除くと、アサシンかライダーって事かしらね。
まあこれじゃあ推測の域をでないし、今回は収穫なしか」
そう言ってため息をつく遠坂。
あれ、でも・・・
「遠坂、あの女の子からは何か聞き出したのか?」
「? だから言ったでしょう?
あの子は魔術的な細工は一切されてなかったわ。
だからあの子は無関係でしょ」
「いや、あの子誰かに俺を呼び出すように言われたらしいんだ。
多分遠坂の言うとおり魔術じゃなくて、普通に伝言を頼まれたんだろ」
「それこそあり得ないわよ。
サーヴァントが白昼堂々と生徒に近づくわけ?」
「だからマスターが伝言を頼んだんじゃないのか?
学校の関係者なんだから、怪しまれることもないじゃないか」
「あ」
心底しまった、という表情で顔を覆う遠坂。
この調子だと、マスター自身が動くという事を念頭から忘れていたらしい。
魔術師が魔術を利用する、という固定観念からなのだろうか。
「今ならまだ保健室に寝てるんだろ、じゃあ」
「・・・無関係だと思ったから、今日の記憶は消しちゃったわよ。
へんな事で思い出したりしないように魔術と催眠の両方からかけたから、監禁しても一週間は戻らないわ」
遠坂は舌打ちをして、がっくりと項垂れた。
うん、どこか抜けてるな、遠坂は。
「ああもう、とりあえず済んだことはしょうがないし、早く帰るわよ」
多少ヤケな口調でいいつつ、彼女は一人で先に歩き始めた。
それに付き添うアーチャー。
俺もセイバーに起こされ、重い足取りを引きずりながら帰途についた。
「じゃあセイバー、行ってくる」
彼の言葉に軽く頷き、見送る。
家に着いたときには既に大河や桜がいて、夕食の時間となっていた。
食事をとり、二人が帰る時間になって、現在に至る。
治したとはいえ、士郎の傷に呪いや毒がないかを調べるため、彼は凛の部屋へと行った。
彼女のことだから、何もなければそのまま魔術の授業へと移行するのだろう。
そうなると士郎と剣の鍛錬というわけにもいかなくなるから、私は暇になってしまう。
魔術の供給が無い私は、暇さえあれば消耗を抑えるために睡眠の必要があるのだが・・・
この濛々とした心のうちでは、眠れそうにない。
「ふう」
知らず、口からため息がでる。
外の空気を吸いに、部屋からでることにした。
澄んだこの家の空気ならば、少しは心も晴れてくれるかもしれない。
部屋を出て、廊下を歩く。
冷たい空気を感じ、縁側に出て視界に入ったのは意外な人物であった。
「イリヤスフィール?」
月光に照らされ、淡い光を生む銀髪の少女。
まるで妖精かと見紛う彼女は、私の声に振り向きはしたものの、返事をせずに再び前を見る。
「このような所で何を?」
「わたしの勝手でしょ、邪魔しないでくれる?」
今度は振り向きもせず言い放つ。
彼女の視線を辿るが、その先にはなにもない。
・・・いや、輪郭が薄くぼやけているが、確かに彼はいた。
鋼色の巨躯を地につけ、ただ在るだけでその存在感を心に刻み付ける男。
押し黙り、静かに立っている彼には凶暴さなどは微塵も無い。
今の彼を見れば、恐怖より先になんらかの神聖さを感じるだろう。
バーサーカーである彼に理性は無いが、マスターであるイリヤスフィールは何かを感じ取れているのかもしれない。
つまりは随分と歪だが、これは彼らなりの会話ということだろうか。
「しかし――」
てこでも動きそうも無い彼女。
ため息をついて、一度部屋へと戻る。
全く、一度集中すると周りが全く見えなくなるのは、血の繋がりがなかろうと兄弟ということなのだろうか。
部屋に着き、目的のものを持って縁側へと戻る。
彼女は身動き一つしなかったようで、変わらず縁側に腰を掛けてバーサーカーを見る。
その行為を止める気はないのだが・・・
「それでは風邪を引きます」
そう言ってコートを掛ける。
驚いたように顔を上げ、彼女はこちらへと視線を移した。
「なんのつもり?」
「風邪を引かぬよう、暖かくするためにコートを用意したのですが」
「そんなことは分かってるわ。
セイバーはわたしのこと嫌いなんじゃないの?」
「・・・シロウに危害を加えようとした貴方を警戒していない訳ではありません。
しかしこの家で過ごし食事を共にした貴方も私も、ここの家族なのでしょう。
家族の身を案ずるのは、当然の事」
血の繋がりは無くとも、友として、そして家族として迎えてくれた彼ら。
使い魔として存在しているのに、人として扱ってくれた彼ら。
「・・・と、シロウならば言ったのでしょうね」
当たり前の様に、嬉しくも悲しい事を言ってくれる。
それに何度も救われ、その度に自らの立場を思い出す。
私が何のために世界と契約し、聖杯を得る戦いに参加したのか―――
「隣に座ってよろしいですか?」
一瞬躊躇を見せたが、意外と素直に頷いてくれた。
縁側に腰をかけ、彼女がしていたように前を見る。
そこには変わらず佇む巨人がいた。
「イリヤスフィール、彼は頼りになりますか?」
「当たり前じゃない、バーサーカーは最強なんだから」
本当に当然のように、彼女は言ってのける。
確かに、彼は最強のサーヴァントの一人だ。
すくなくとも彼を相手に、単体で勝てるサーヴァントなどそうはいない。
まともに戦えば私にすら勝機はない。
「彼を信頼しているのですね」
とても不思議なことを聞いたようにきょとん、とかわいらしくこちらを見る。
「当然でしょ? 私のサーヴァントなんだから」
「・・・そうですね」
そう、互いの力を認め、互いを信頼するのがサーヴァントとマスターの正しい在り方。
人にして人でない私たちは、物として扱われ、敗れるときは剣として折れるのが常。
「シロウは、私を人として扱う。
サーヴァントの存在を知り、人外であると理解しつつも、彼にとっては大したことではないように」
例え人間でなかろうが、彼は差別も区別もしない。
たとえ魔物であれ、幻獣であれ、人形であれ。
生けるものであれば、彼にとって大差はないのだろう。
「女性として見られることは、喜ばしいことなのかもしれません」
そう、今ならば純粋にそう思える。
王としてではなく、使い魔としてだが彼ら共にいた時間。
人ではない身に、人の温かさをくれたあの日々。
彼のおかげで今の私があると言っても過言ではないのだから。
「しかしそれでは彼は、私を置いていく。
私に危害が及ぶと分かれば、自分が行ってしまう」
誰もが笑顔で、傷つかずにいてくれたらいい。
その願いは歪で、消費が無くては得るものがないこの世界には不可能なもの。
だからそう、彼は誰よりも自分を最初に切り捨てる。
「・・・私はどうすればよいのでしょうか」
人として見てもらうということは、今日のように彼を守ることができない。
使い魔として見てもらうということは、私の目的は達成できない。
いや、考えても栓の無いことだ。
昔のように私がサーヴァントとして彼に接しても、行動に大差はない筈だ。
だがそれでは彼を守れない。
あらゆる凶刃から、罵声から、災厄から守る。
それはサーヴァントとしてではなく、私の目的の為のわがまま。
できれば最後まで、彼を守ることができるのならば、
その先にある筈の答えを、見ることができるのならば―――
そう思ってここに来たというのに、もう自信がなくなっている。
「いえ、妙な愚痴につき合わせてもうしわけありません」
縁側から腰を上げる。
迷うとは私らしくもない。
このようなことを言えば、彼女ならば叱咤してくれただろう。
どの道やることに変わりはない。
彼の様に、自分自身を信じて進むしかない。
今自分にできることは、彼を生かし、自分自身も生き残ることだけなのだから。
「・・・サーヴァントも迷うのね」
イリヤスフィールが苦笑するように、こちらを見ていた。
「すいません、妙な気を使わせましたか?」
「そうね、黙って話しに付き合うなんて趣味じゃないんだけど・・・」
話しながら空を見上げる少女。
天空には輝く月が映え、彼女の銀髪の髪をさらに引き立てる。
「気を使うのも、家族なんだから同然のことなんでしょう?
・・・シロウ風に言うならね」
そう言って、照れくさそうに笑った。
銀色の青光を照らし出す月下で、互いに不器用な笑みを浮かべる。
偉大な巨人に見守られ、静かな夜を過ごせることが約束されていた。
想う。
今日だけでも、家族がよき夢の中で眠れんことを。
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