「―――――」

窓も、ドアも、締め切られて光一つ入らない部屋の中に、一人の少年がいる。

その男は傷だらけの机に頭をこすり付け、ぶつぶつと呟き続ける。

最初はあの夜に邪魔をしたサーヴァントを。

そして私を、彼の妹を、父を、祖父を、同級生を―――

永遠と続く怨嗟と罵倒の声。

恐怖と虚栄心の天秤の中で、ただひたすらに恨みを外へと向ける。

昨日から飽きもせずに、彼をこれを続けている。

ふと、影の中で続けられていた呪詛の声が止む。

彼は立ち上がり、私を見て口を開いた。

「いくぞ、学校だ」

私に拒否権などなく、ただその命令に従う。

今まで怯えと怒りで色取られていた彼の表情は、一転して笑顔になっていた。

だがそこには澄んだものなどはなく、ただ陰湿でしかない。

例えるならそう、その笑みは――――

飽きた玩具を壊す時のような、残酷なものだった。























――――――――<紫の標本>――――――――





























しまった、何度も何度も覚悟していたというのに、油断していた。
何の為にこの戦いに参加したのか、何の為にこの身を鍛えてきたというのか。

俺は・・・俺は何の関係もない女の子一人、守りきれないのか。



目の前には、苦しみもだえる少女がいる。
杭のような短剣は肩に深く刺さり、下手をすれば骨まで砕いているかもしれない。

これが短剣であると認識し、手を出したときにはすでに間に合わなかった。
短剣は深く彼女に刺さり、悲鳴と絶叫を上げさせる。
俺といえばなにができるでもなく、ただ彼女を見ているしかできない。

・・・・なんだっていうんだ。
何で、なんにも関係のない筈のこの子が、怪我をしなきゃならないっていうのか。

目の前が赤い、彼女から流れる血も、彼女を抱える俺の手も、視界全てが赤く染まる。
連想されてしまう過去。
熱さは全くないが、この失われる者を見る虚脱感だけは変わらない。

「あ・・・あぁ・・・ぎっ!?」

嗚咽を上げていた少女が、体をよじって再び絶叫を上げる。
刺さっていた短剣が、まるで生きているかのように蠢き、抜けていったのだ。
じゃらじゃらと耳に響く音。
短剣は鎖で繋がれている様で、開いている非常口へ姿を消していった。

そしてその先には、誘うかのように佇む紫の美女。
そいつは引き寄せた短剣の血を舐め、風の様に走り去っていった。

追わなきゃいけない。
あいつは危険だ、このまま放って置くわけにはいかない。
このままではまた別の被害者が出るかもしれない。

「痛い・・・たい、痛い・・・うっ・・・ぁ」

だがしかし、このままこの子を置いていくわけにもいかないのだ。

とりあえずはこれ以上血が流れないよう、ハンカチを使って傷口を押さえる。
完璧な処置とはいえないが、しないよりはマシなはずだ。
俺ではこれ以上何もすることができない。

・・・そうだ、遠坂やセイバーなら、なんとかできるかもしれない。

「ちょっと揺れるかもしれないけど、少しの間我慢してくれ」

聞こえていないだろうが、断りを入れて抱き上げる。
彼女はすでに意識が途絶えているようで、呼吸も荒いものから逆に穏やかになっている。
もちろん体調が戻っているわけではなく、衰弱して死にかけているのだ。

死なすわけにはいかない。
揺らさないように細心の注意をしつつ、廊下を走る。



「シロウ、ご無事ですか!?」

「衛宮くん、大丈夫!?」

すると俺が階段にたどり着くよりも早く、セイバーと、少し遅れて遠坂が来た。
セイバーは既に武装していて、余程心配してくれたのか軽く息をきらしていた。

「ああ、そんなことよりこの子を頼む。
 腕を刺されて血が大量に流れちまった」

遠坂は女の子を受け取り、すぐに手当てをし始める。
少なくともこれで死ぬことはない筈だ。

「敵のサーヴァントが現れたのですね・・・・シロウ! どこに行くのですか!」

セイバー駆け出した俺を引きとめる。
説明する時間はないし、余裕もない。

「まだ遠くまでいっていないだろうから、あいつを追う。
 セイバーは遠坂を守ってやってくれ」

「馬鹿なことを・・・! シロウ、一人でサーヴァントに挑むなど、無謀どころではありません!
 貴方はここで待機してください、私が敵を追いますから」

セイバーの言うことは正しい、正論だ。
俺なんかがサーヴァントに挑んでも、返り討ちにされるのがオチだ。
だが、

「駄目だ、セイバーはここで遠坂とこの子を守ってやってくれ」

「シロウ!」

「ここにいろ!」

左手に痛みが走り、光を放つ。
確認してはいないが、令呪が発動したのであろう。
遠坂の驚いた表情と、セイバーが踏みとどまったことが何よりの証拠だ。

「っ・・・! シロウ、貴方はなんということを・・・!」

セイバーの呻くような声を聞きながら、廊下を駆け出す。

俺の頭は既にぶち切れている。
怒りでまともな思考なんて浮かばない。
無関係な子をを刺したあいつだけではなく、守ることすらできなかった自分に対して憤怒していた。

勝つとか負けるとか、死ぬかもしれないなんてどうでもいい。
今の俺はアイツをぶん殴ることしか頭になかった。

「シロウ!!」

最後に、まるで悲鳴のようなセイバーの言葉を聞き、校舎から出て行った。









同調(トレース)開始(オン)

途中で拾った鉄パイプに魔力を篭めて、強化する。
ランサーの時以上に強化はすんなりと成功し、数秒で事は済んだ。

校舎から出てすぐ、グラウンドを見渡す。
すでにいないかと思われたあのサーヴァントは、意外にもまだすぐ近くにいた。
・・・いや、あれは逃げ遅れたのではなく、待っていたのだ。

俺の姿を確認すると、彼女は走り出す。
その速度は速いといえるが、あくまで常人の速度。
つまりはそう、誘っているのだ、俺を。

あきらかに罠だ、ここは退くべきなのだろうが・・・
ここで帰るならば元より追ってはいない。
相手を見失わないよう、俺も駆け出した。

長い紫色の髪をなびかせて、弓道場へ向かっていった。
どうやら裏の林が戦場になるらしい。
相手が林の中に姿を消していく。
俺も走る速度は変えず、林の中に足を踏み入れた直後、

何の根拠もなく、武器を上に振り上げていた。

ッギィン!

弾かれる短剣。
繋がった鎖の先を見れば、アイツが木から木へ移動している姿が見えた。
その速度は先ほどとは比べ物にならないもので、俺の視覚から消えるのにそう時間はいらなかった。

追う。
どんどん深みに入っている、どうみても誘っているとしか思えない。
だが足は止めない。
少なくともこうしている間は、俺以外は狙われない筈だ。

そう考えながら走っていると、今度は視覚できる範囲の端から攻撃があった。
見えているのならば問題はなく、同じく武器で弾く。
そして同じくその先には相手の姿。
短剣を手に取り直すと、再び林の中を駆けていく。

「っ―――ちくしょう、止まりやがれってんだ!」

大声で怒鳴りつけるが、相手はその気がないのか無視を決め込んで走る。

何度か同じ事を続け、いい加減息が切れてきた頃。



その女は多少の広さを持った場所で佇み、その姿を木陰に漏れる光の下に晒していた。



「・・の、野郎!」

走る勢いはそのままに、手に持っている武器をたたきつける。
だがそれは当たることなく、それどころかそいつは俺の視覚から消えうせる。
何処に逃げたのか、左右を確認する前に、

ドグ!

鈍い痛みと音と共に、俺は木にたたきつけられていた。

「がぁっ、ふ!」

口の中を切ったのか、内臓に傷がついたのか、鉄の味を舌に感じる。
それで真っ赤になっていた頭は冷えて、今のは蹴られて吹き飛ばされたのと認識した。

先ほどと変わらず、何事もなかった様に佇む女。

黒一色の服に身を包んだ、見事なまでの長く紫色の髪を持つ女。
目元が大きなマスクで隠されているものの、その造形だけで彼女の美を感じ取れる。

その黒いサーヴァントが、何の躊躇を見せずに真正面から飛び込んできた。

「っく!」

形振りかまわず武器を振り下ろす。
あの勢いで飛び込んだのなら、これを避ける事なんて出来ない筈だ。

そう、避ける必要などないのだ。
そいつが手に持つ短剣で、真ん中からあっさりと武器はへし折れた。
続いて蹴りが来る。
転がるように横に逃げ、なんとかその場から離れる。

黒いサーヴァントは追撃をかけてくるような事はない。
ゆっくりと振り向いて、俺を見つめてくる。

・・・・・なるほど、ようやく理解した。
俺をここまで誘い込んだわりには、罠のひとつもないから訝しんでいたのだ。
こいつはそう、俺を嬲り殺しにする為にここに連れて来たのだ。
逃げられないよう、助けを呼べないように。

「サーヴァントを呼ばないのですか」

不意に、意外にも透き通った声が目の前のサーヴァントから発せられた。

「いえ、自らサーヴァントを置いていったのですから、その気もないということですか」

「・・・お前には関係ない」

二つに折れた武器を構え、再び強化をかける。
体中が痛くてあまり腕が上がらない。

「だけど一つだけ聞く、なんだって無関係なあの子を巻き込んだんだ」

怒りを抑え、声を震わせながら言う。
もちろん返事などは期待していないが、聞かずにはいられなかった。

相手は押し黙り、武器を構えなおす。
当たり前だ、理由がどうあれ話す必要などないのだから。
だが、意外にも相手はそれに答えてくれた。

「そうですね、無謀とも取れる貴方の勇敢さに免じましょう。
 私はただ、マスターの命に従っただけです」

そう言って、黒いサーヴァントは地を蹴った。

命令を聞いただけ?
ただそれだけの事で人を傷つけたっていうのか?

「っふざけるんじゃねえ!」

足を踏むだし、自ら相手に向かう。
投擲される短剣。
先ほどと同じように、これを防いでも次の攻撃が来るのだろう。

短剣を武器で弾く。
すると思っていたとおり、横から蹴りが飛んでくる。
だが今の俺は先ほどとは違う。

短剣を防いだ手とは逆の武器を、その足に当てて防ぐ。

「!?」

黒いサーヴァントが驚愕する。
俺はさらに空いている手で武器を振るい、攻撃する。
相手は片足だけで飛びのき、それを避けてみせる。
追撃する。
相手は宙にある短剣を掴み、それで俺の武器を迎撃する。
だが先ほどと同じく、俺はもう片方の武器を振るって叩きつける。
しかし相手は両の足で地を蹴り、間合いから遠く離れた。

無言で睨みつけてくる黒いサーヴァント。
そこには先ほどの余裕はなく、あきらかに俺を警戒している。

それはおかしい。
サーヴァントと人間の身体能力は差があり、あのサーヴァントに至っては俺なんかより何倍もの速度で動ける。
彼女からすれば、俺の動きなど止まっているように見えるだろう。
警戒などしなくとも、それこそ一瞬で俺の命を奪える筈だ。
今までの交錯だって、俺はただがむしゃらに武器を振るっていただけ。
そんなものは脅威でもなんでもなく、あっさり防がれて返り討ちに合うのが当然なのだ。

――――ならばなぜ、俺はこうして立っていられるというのか。

黒いサーヴァントが、再び仕掛けてくる。
素早く、目に辛うじてしか映らないそれを、武器で軽く弾く。
何度も何度も繰り返される攻撃を、両の手にした武器で弾き続ける。
戦えている、明らかに自分を超えている相手と戦えている。
知らず、笑みが浮かぶ。
これなら倒すことすら可能なのではないか、とすら思えてきた瞬間、

辛うじて見え始めていた相手が、陽炎のように消失した。

「え」

声を上げて、相手の姿を再度確認する前に。

ドン!

まるで最初の焼き直しのように、俺の体は蹴り飛ばされていた。

「がっ・・・ごぼっ!?」

シーンは同じでも、威力が違う。
確実に内臓が破裂し、血液が逆流してくる。
だがそれに構っている暇はない、なんとかして木を背にして振り向いて、

「・・・あれ?」

体が動かなくなっていた。

「っ、がぁあぁぁぁああっぁあああ!!」

右肩が焼けるように熱い。
見れば短剣が深く突き刺さり、後ろの木まで貫通していた。

「さて、殺さぬように嬲れとの命でしたので・・・手加減していれば意外な反撃にあいましたね」

どこからか声が聞こえる。
視界は涙でぼやけていて、すでに認識力を失っている。
死が目の前まで迫っていた。

「命を破ることになりますが、貴方を生かすには少しばかり危険だ。殺させてもらいます」

まるで虫の標本。
戦うどころか、逃げることもできない。
いや、自分が虫である以上相手にとっては敵ですらなかったのか。

ぼやけた視界に、黒い何かが迫る。
見えない筈の目に、相手が殴りつけてくる姿だけは何故かはっきりと見えた。
あれに殴られれば、たやすく俺の頭は割れるだろう。
脳漿を撒き散らし、骨をばら撒く。

・・・思ったよりも恐怖はない。
ただこのまま死んでしまっては、あの泣きそうな表情をした彼女を本当に泣かせてしまうのではないかという後悔が――

だが何時まで待っても死はやってこない。

見ればいつのまにか赤い背中が目の前にあり、黒いサーヴァントは間合いを離していた。
男が持つ黒と白の短剣を見て、

激しい頭痛と共に、俺の意識は途切れた。






前へ / 戻る /  次へ