ゆっくりと、己が眼を開ける。
目の前に在るのは、冷たく厳しい空気と、それを和らげるかのような日差し。
―――そして一人の騎士。
互いの手には使いなれた武器。
それを鏡合わせのごとく、正眼へと構える。
息を低く吸い、冷たい空気を肺へと溜め込み・・・
ズダン!
裂帛の気合とともに踏み出し、私たちは互いの武器を振り下ろした。
――――――――<赤の軌跡>――――――――
-2/5-
目を覚まし、一番最初に感じたのは空気の冷たさだった。
未だはっきりとしていない頭をフル回転させ、状況の判断を試みる。
「・・・また土蔵で寝ちまったか」
ストーブに時計にビデオデッキ、扇風機に机に木製の椅子、エトセトラエトセトラ・・・
様々なガラクタ達、俺はそのど真ん中で目を覚ました。
上半身を起こし、昨日のことを思い出す。
セイバーは結局、襖を挟んだ俺の隣の部屋に寝ることになった。
藤ねえや桜が帰った後、ひたすら俺と問答を繰り返していたのだが・・・
彼女はまったく引かず、言っていることも正しいのでどうしようもなかった。
だからといって俺も引くわけにもいかない。
セイバーはサーヴァントとはいえ・・・その、女の子なんだし。
俺も男だし、彼女と一緒の部屋で寝るなんて事になったら、正直言って理性がもたない。
砂金のような金髪、見るだけで心を奪われる緑色の瞳・・・
そしてなにより彼女を俺が召喚した時。
あれ程強烈なイメージを与えてくれたものは、今までに無かった。
彼女を信じないわけではなく、なにより俺が信じられないのだ。
その為彼女の言い分は聞き入れるわけにいかず、ずっと平行線だったのだが、
『その辺にしてあげたら?
士郎はセイバーが隣にいて、ぐーすか寝られるようなヤツじゃないでしょ』
と、遠坂という意外な味方が現れたのだ。
マスターを不眠症にしたら、困るのはセイバーでしょ? と彼女を言い含めた。
セイバーは文句はありそうだったが、妥協案として隣の部屋ということで承諾してくれた。
だがしかし。
隣の部屋、とはいっても襖ひとつで区切られた薄い壁。
手を伸ばせばすぐセイバーの寝顔が見れてしまう距離なのだ。
・・・それを意識した瞬間、目が冴えちまって寝るどころじゃあなくなった。
逃げるように部屋を出て、土蔵で何時もどおりの鍛錬をする。
思いのほか魔術の鍛錬はうまくいったが、それでも俺の場合にはかなりの時間を必要とする。
いつの間にか疲れて寝てしまったというわけだ。
「いや、セイバーのせいにしちゃ駄目だな。俺が未熟なのが原因なんだから」
服を制服へと着替え、セイバーに一言挨拶する為に部屋へ戻る。
時計を見れば、今の時間は5時前。
これならば鍛錬をしてからでも朝食には間に合うだろう。
「セイバー、起きてるか?」
襖に向かい、軽く声をかける。
しかしそれに対する反応は一切なく、朝の静けさには鳥の声が混じるのみだ。
そういえば襖の向こうには人の気配というものが無い。
彼女はとうに目覚めて、どこかにいるのだろうか。
ここにくる時に見たが居間にはいなかった。
他に彼女が居そうな場所といえば・・・
結論から言えば、彼女は思ったとおり道場に居た。
それ自体は想像通りだったのだが、この光景は予想の外にあったことだ。
風を切る音。
激しい動きながらも、静かに打ち鳴らされる踏み込み。
竹刀が打ち合わされ、乾いた音を鳴らす。
セイバーが竹刀で戦っていた。
いや、鍛錬をしていた、というべきなのだろうか。
そこには殺気はなく、真面目で厳しい、俺を鍛えてくれた時の表情。
だが相手は俺ではない。
遠坂のサーヴァントにして、弓使いの剣術士。
アーチャーが彼女と打ち合っていた。
セイバーの打ち下ろすような一撃。
アーチャーはそれを剣の先で受け、流し、そのまま殴りつけるように柄を振るう。
しかしセイバーはそれを読んでいたのか、苦も無く後退してそれを避ける。
そして下げていた竹刀をすくい上げる。
するとアーチャーはそれに竹刀を叩きつけ、いつの間にか開いた右手を突き出す。
セイバーは今度は下がることなく、体を軽く横にずらす、当たらぬ拳。
だが彼女に次の手を出される前に、アーチャーはその拳に乗るようにそのまま飛び、離れる。
開く間合い。
二人は鏡写しのように、正眼に竹刀を構えなおす。
・・・なんてレベルの戦いなのだろうか。
二人はこの一瞬でも隙を見せれば倒される交錯を、何十合と続けている。
俺がここに参加したとしても、三回と受けられずに沈むことだろう。
セイバーの剣には隙がない。
一回の行動を終えても、すぐ次に繋がるような位置、体位で動き続ける。
それはまるで、一つの完成された演舞の様。
そしてアーチャー。
彼女と比べれば動きに美しさはないものの、彼も俺とは次元が違う。
セイバーの様なセンスは持っていないのか、その場その場の対応で動いているに過ぎない。
だが相手の攻撃を受け、隙あらば攻めるその戦闘方法。
口で言う分には普通なのだが、それを極限まで特化されたのが彼だろう。
セイバーがどんなに鋭く、重い一撃を繰り出したとしても、彼はそれを受ける。
そしてそれに対応するように、攻め手を出すのだ。
あいつの動きはすべて、一つの行動に二つの攻防が組み込まれている。
あれならば俺にもきっとできる。
しかしあそこまでに至るには、俺の一生を使っても辿り着けないかもしれない。
セイバーとアーチャー。
二人はまさに、英雄という肩書きにふさわしい人物達だ。
「で、いつまで覗き見しているつもりかね?」
不意に発せられたアーチャーの言葉に、我に返った。
「あ、いや、すまない。
覗いてるつもりじゃあなかったんだ」
ただそう、見惚れていたのだ。
初めてセイバーとアーチャーとの戦いを見たときのように。
苛烈ながらも、完成された美技。
あれを目の前にして、平気でいられる人間などいないだろう。
「おはようございます、シロウ」
「あ、ああ。おはよう、セイバー。勝手に見てて悪かった」
いえ、とセイバーは優しく笑う。
何度もいうようだが、こうして戦っている姿を目の前にしても、この少女が英霊ということが不思議だ。
ってなんで挨拶されただけで俺は赤面してやがりますか。
くそう、やっぱり修行が足りない。
セイバーから顔をそらし、アーチャーに向かって声をかける。
「それで二人は何をしてたんだ?」
「見てわからんのか」
アーチャーのそっけない一言。
確かに見れば戦っていたのは分かるが、理由が分からないのだ。
まあ喧嘩とかではないのは確かだろうが。
「彼女が私の師であるとは言ったであろう。
英霊となったこの身は、これ以上鍛えられることは無い。
だがしかし勘が鈍る事はあるのでな、日々の鍛錬は不可欠だ」
という事は俺と同じように、セイバーに鍛えてもらっていた、という事だろうか。
まあやはり俺とは桁違いではあったが。
あれ、そういえば・・・
「アーチャー、お前って二刀使いじゃなかったのか?」
黒と白の短剣。
ランサーやセイバーと戦っていた時に持っていた武器はそれだった。
だが今アーチャーが持っているのは竹刀一つ。
この道場には無駄に竹刀が置いてあるので、足りなかったということは無いだろう。
当然であろう俺の問いに、アーチャーは馬鹿にしたようなため息をつく。
「む、なんか変なこと言ったのか、俺」
「何、素人らしい勘違いだと思ってな。
まあ私は彼女のように君を教授するつもりなどはない。
セイバー、付き合ってもらってすまなかった。私は先に居間に行っている」
と、愛想なしに道場をでていくアーチャー。
勘違いって、なにがさ。
「シロウ、それで何か用があって此方へ来たのでは?」
「ああ。いやさ、ただセイバーに挨拶しとこうと思って。
それに・・・部屋抜け出した事も謝ろうと思って・・・」
「それならば分かっています。
シロウが土蔵に行き、寝てしまうまで近くで待機していたので」
何だ、それだったら別に・・・
「ってセイバー、俺が部屋抜け出した時起きてたのか!?」
「いえ、寝ていました。
ですが貴方が部屋を出たとき、目を覚ましました。
何かあったときのために、眠りは浅くしていたので」
うわ、全く気がつかなかった。
魔術鍛錬に集中することは必要だが、これでは敵が侵入しても気づかないだろう。
「・・・心配ばっかりかけてすまない」
未熟な上、これではセイバーの心労が増えるばかりだ。
俺のわがままで部屋を別にしてもらったり、アーチャーが俺を未熟というのも当然だ。
だというのに、
「いえ、貴方を守るのは私の意志です。
それでシロウが気にやむことなどありません」
そういって、優しく微笑んでくれる。
「―――っ!」
あわてて顔をそらす。
本当に彼女には翻弄されっぱなしだ。
彼女が笑うだけでこうなのだから、隣で寝るなんてどれだけの事なのか容易にわかってほしくもあるが。
「そ、それで。セイバーは俺の魔術を見たんだよな? どうだったか聞かせてくれないか」
照れ隠しに、話題を変える。
だがこれ自体は聞きたかったことの一つだ。
なんたって切嗣以外に魔術を知る人間など、いなかったのだから。
ちょっとした期待をしてしまう。
「は? ああ、そうですね・・・
その・・・早くに凛に見ていただいたほうがよろしいかと・・・」
まあ期待していたんだけども・・・
目をそらされてそう言われてしまうと、火照った頭も冷めるというものだ。
「あ、シロウ! まだ学校までの時間はありますでしょう。
それならば剣の鍛錬に時間を費やすのはどうでしょうか?」
セイバーが、あからさまに話題をそらす。
俺を慰めようとしているのだろうが、余計惨めになるよ、セイバー。
竹刀を持ち、正眼へ構え直す。
大した時間はたってはいないが、俺の息は既に上がりっぱなしだ。
それに対して彼女は息どころか、汗一つかいていない。
無論、彼女から一本取るなどできてはいない。
というか必死に受けてばっかりで、まともに攻撃できる暇などないのだが。
「そろそろ休憩にしましょうか、シロウ。
そのままではまともに朝食もとれないでしょう」
そう言って竹刀を下ろすセイバー。
いや、正直助かった。
これ以上やってたら朝食どころか学校にも行けなくなってしまう。
「っと、いけね。朝飯用意してないんだった・・・」
「いえ、それでしたら先ほどこの家のチャイムが鳴りましたので。
桜がもう来ているのではないでしょうか」
そうか、セイバーとの剣の修行に夢中になっていて、気づかなかったのだろう。
桜がもう来ているとなると、朝食は彼女が作ってくれている筈だ。
となるとすることがなくなってしまう。
これ以上修行をする時間もないし、桜を手伝うにしても遅すぎる、微妙な時間だ。
「それじゃあ朝飯まで休憩にするか。
お茶でも持ってくるよ」
「いえ、それならば私が行きましょう。
シロウはここでゆっくり休んでいてください」
「む、悪い。じゃあ桜にもよろしく言っておいてくれ」
セイバーは軽く頷き、道場から出て行った。
となるとさらに暇をもてあましてしまう。
これからどうするのか、何をなすべきなのか、色々と頭をめぐる。
その中でアーチャーが言った一言がやけに気になっていた。
『素人らしい勘違い』
俺がいったい、何を勘違いしていたというのだろうか。
セイバーが戻ってきて、持ってきたコップに水を注ぐ。
それを受け取って飲みながら、やはりアーチャーの一言のことを考えていた。
「なあセイバー。アーチャーが言っていた事ってなんなんだ?」
同じく水を飲んでいたセイバーが、きょとんとこちらを向く。
「彼が言っていた勘違い、の事でしょうか」
「ああ、アーチャーって二刀流なんだろ?
だったら俺が不思議に思っていることも、別に変じゃあないと思うんだけど」
「・・・そうですね、シロウが言ったことはおかしくはありません。
だがしかしそれは、アーチャーがどのように戦っているか理解できていないということでもあります」
セイバーは床に置いていた竹刀を拾い上げ、軽く振る。
「たとえばこの竹刀。
剣を模したものでありながら、重要な筈の刃の部分が存在しません。
模擬戦や、練習用に作られた優れた武器ではありますが、殺傷能力は皆無です。
ですがシロウ、だからといって剣より劣っているというわけではありません」
立ち上がり、竹刀を空に振るう。
その動きは剣の動きではなく、刃である部分を握ったりと、今までとは別のものだ。
「槍術、棒術、刃がないからこそ棒としても扱うことができます。
そういった意味では木刀の方が向いているのでしょうが、こちらは軽量で、扱いやすいという点があります」
剣を模した物ではあるが、剣そのものではないが為に別の使い方もある。
セイバーはそういうことを言っているのだろう。
「それは分かったけど、それがアーチャーの話とどう繋がるんだ?」
「シロウはアーチャーが二刀使いであるにもかかわらず、一本の竹刀で戦っていたことに疑問を覚えましたね。
ではシロウ、逆に問いますが二刀流とはなんでしょうか?」
二つの剣を持っていること、だけではないだろう。
それだけならただ持っているだけとしか言えない。
だとしたら何をもってして、二刀流といえるのだろうか。
「仮に二本の剣を極限まで操ることのできる技術、としましょう。
ですがそういう意味でしたら、アーチャーは厳密には二刀流とも、場合によっては剣士とも言えません」
「ん? なんでさ。あいつはその極限までたどり着いてない、って事か?」
正直、あいつの腕を見た自分としては、それはとても信じられない話だ。
確かにセイバーよりも劣ってはいたが、あれは完成された物に俺には見えた。
「いえ、彼が剣を扱いながらも"アーチャー"であるように。
二刀使いでありながら二刀流ではないのです。
彼が持つのは極限で鍛えられた"戦闘技術"。
いざとなれば一つの剣であろうと、千の剣であろうと誰よりも巧く扱える。
達人は獲物を選ばず、とは言いますが、これは間違いでありながらも正しい。
一つを極められなかった者が、千の手を持とうと究極の一には適いません。
ですが彼ならば、その千の手を繰り出して、究極の一と対等に戦えるでしょう」
むう、ということは・・・
「アーチャーは器用貧乏ってことか?」
「・・・そう言われてしまうと今までの私の説明が台無しなのですが。
とにかく、今貴方がそれを理解するには早い。
シロウはまず下地を整え、危機に対する感覚鍛えるべきなのですから」
ふむ、確かに俺はアーチャーの剣がなんたるかを理解できてはいない。
でも何ていうのだろうか・・・
真似事ぐらいなら、どうにか俺にもできそうと思うのは俺の思い上がりなのだろうか?
しばらくそうしていると、桜が朝食へと呼びにきた。
桜の料理はおいしかったのだが、いまいち食事に集中できずにいた。
なにかショックでも受けたように、はっきりと脳に焼きついた映像。
アーチャーの動きを、知らず頭の中でずっと追走している自分がいた。
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