暖かい陽射しを感じて、目が覚める。
息を吸うと冷たい空気が体に染み込み、朦朧としていた意識がゆっくりと覚醒し始める。
「ん・・・」
意識せず、口から声が漏れる。
するとそれに反応した様に、自分の傍で何かが動くのを感じた。
・・・また目を覚ますのが遅れて、桜が起こしにきたのだろうか。
むう、最近たるんでいるのかもしれない。
桜には迷惑をかけてばっかりだし、早く起きなくては。
まだぼやけている視界を直すために目を擦り、上半身を起こす。
「おはようございます、シロウ」
やっと確かな視界を取り戻し、明瞭になり始めた視界と意識に出てきたのは、少女だった。
柔らかな陽射しが、砂金を巻いたかの様な鮮やかな髪を引立てる。
彼女は布団の横に正座をして、優しく微笑んでいた。
「ああ、おはよう」
なんだ、セイ――――
「ばあぁぁぁぁぁぁあ!?」
――――――――<日常への異邦人>――――――――
-2/4-
リズミカルな音が、包丁とまな板からたてられる。
言うまでもないが、朝食を作っているのである。
昨日のセイバーとの打ち合いや、その後の土蔵での鍛錬で疲れていた筈の体は、思いのほか調子がよかった。
痛みや鈍さは体にはなく、集中力はいつもよりいいと言える。
しかし、まあ疲れているのは確かだ。
実際のところ寝起きは多少つらかったし、いつも以上に眠気はあったのだが・・・
起きた瞬間全部吹っ飛んじまった。
「おはよう」
居間の方から、イリヤの声がした。
顔を向けると、起きたばかりの様で、ふらふらとした足取りでこちらへ向かってくる。
「おはよう、イリヤ」
「おはようございます、イリヤスフィール」
「うん。シロウ、何やってるの?」
寝ぼけ眼を擦り、あくびをしながら聞いてくるイリヤ。
本来なら無作法とも思えるそれは、この少女がするととても愛らしく見える。
「見ての通り、朝食の下ごしらえをしてるんだ。
和食のつもりなんだけど、イリヤは味噌とか醤油は大丈夫か?」
「うーん、食べたことないからわからないわ。
でもこの香りは好きよ」
ふむ、イリヤは意外と和食がいけそうだ。
昨日は食卓の面子に合わせて洋食にした。
だが、セイバーやイリヤの満足そうな表情に対して、
"これなら勝った・・・!"
と言わんばかりの遠坂の勝ち誇った表情が悔しかったので、朝食は和食にすることにした。
くそう、絶対に目にもの見せてやる。
「ところでさ、今日の朝何があったの?」
う・・・・
「なんかばぁぁぁー、ってすっごい声が聞こえたんだけど。
あれってシロウだよね?」
「・・・そうだけど」
「私が同室で護衛をしていて、朝の挨拶をしたところ、シロウが奇声をいきなり上げたのです」
「ふうん、シロウって朝に奇声を上げる習慣なんて持ってたの?」
「そんなわけあるかぁー!」
セイバーとイリヤのあんまりな物言いに、激しく抗議する。
俺だって朝っぱらから奇声なんか上げなくない!
「だいたいなんだってセイバーは俺の部屋にいたんだよ!
部屋なら昨日決めただろ!」
「しかしシロウ。あそこでは部屋と部屋の距離が離れすぎている。
いざと言う時、守りきる事ができません」
セイバーは眉を寄せて、異議を申し立ててくる。
確かにそれは正しいかもしれないけど、だからといって健全な青年である俺には、刺激が強すぎるというものだ。
「そんな事言われても駄目なものは駄目だ。
つまりはセイバーがすぐに俺の部屋にいけるようにすればいいんだろ?
近めの部屋にするから、それで勘弁してくれ」
「却下します。例え隣の部屋であろうと、侵入されればどこも危険なのは同じです。
シロウはサーヴァント相手に奇襲されて、私が来るまで自分の身を守りきれるのですか?」
それは・・・正直無理だ。
今までの俺だったら、肯定できた問いではある。
しかし彼らがもし本気で俺を殺しに来たのなら、数秒と立たずこの身はボロ屑と化すだろう。
セイバーとの修練や、あのランサーとの対峙。
実際にサーヴァントの力を見せ付けられた今となっては、俺にはそんな自信は全くなかった。
抵抗する言葉もなく、俺が汗をだらだらとかいて黙っていると、
「何、その懸念は不要であろうよ」
思わぬところから、助け舟が出た。
「アー・・・チャー?」
イリヤが、彼の名前を疑問符で呼ぶ。
その気持ちは分かる。
というかこの場にいる三人が三人とも、同じ思いだろう。
なんだってスーツなんて着てるのか。
なんだってそんなに似合っているのか、別の意味で。
俺たちのそんな空気にはお構いなしで、アーチャーは言葉を続ける。
「セイバー、君とて知っているだろう。
ここに張られた結界は魔術師としてどうしたものかとは思うが、侵入者への警報機としては非常に優秀だ。
もし敵が来たとしても、君ならば問題なく間に合うであろう」
いつもの口調で、すばらしい船を出してくれるアーチャー。
こいつがなんのつもりかはわからないが、今のはかなり助かった。
そうだ、これなら大丈夫だろ、と言う前に、
「残念ですが、それでも認知することはできません」
絢爛豪華であった船は、すっぱりとセイバーに切られ落ちた。
「確かにここの結界は優秀ではありますが・・・
守る筈のマスターが、別の場所に行かれれば元も子もありません。
それにシロウは非常に対魔力が低い。
いつ敵の魔術師・・・例えばキャスターの姦計に落ちるか、わかったものではありません」
ぐぐ、否定できない。
セイバーの言っている事は、真実味を帯びていて抗議する気力すら失われる。
鍛錬の為とはいえ、土蔵に行ってそのまま寝てしまうこともざらにある。
魔術も、知識のない初心者同然の俺なら、キャスターなら苦もなく操れるだろう。
あまりの正論故か、助け舟を出したアーチャーまで落ち込んでいる。
・・・なんだってあいつはあそこまで落ち込んでるんだ?
「わかりましたか、シロウ。
では私の就寝場所は貴方と同じ部屋で―――」
「い、いや、そればっかりは認められん!
じゃあ隣の部屋ならどうだ!
ふすま一枚分しか離れてないし、セイバーだってすぐ助けにこれるだろう?」
「シロウ」
う、そんな目をしたって駄目だぞ。
これが俺なりの最大の譲歩なんだから。
「ふうん」
すると隣から、なにやら不吉な声がした。
見ればイリヤが顔を口の端を軽く吊り上げ、声に似合った不吉な表情を浮かべていた。
「つまりシロウはセイバーが女だから恥ずかしいんでしょ?
敵がどうこうより、自分の自制が心配だなんて、シロウも男の子ねー」
「なっ」
悪魔だ、悪魔がいる。
ほら、頭からは小さい角が生え、背中には黒い翼が・・・
「あら、シロウの顔真っ赤になってるわよ?
かわいいわねー、シロウ」
「か、勘弁してくれ! セイバーの部屋は俺の隣!
これ以上は何を言っても変えないからな!」
ふー、と鼻息を荒くし、左手を上げて威嚇する。
いざとなれば令呪も使うという、脅迫の意味を含んでいるのだ。
ここは俺の最後の防衛戦線だ。
俺の安眠の為、そして理性の防衛の為、なんとしてでも守りきらなくてはならない!
「ですって、どうするの? セイバーは」
「はあ、シロウが私を人間として扱ってくれるのは嬉しい限りですが・・・
ですが私は女性である以上に、サーヴァントなのです。
ですからもし、その・・・シロウが私に女性を求めたとしても・・・護衛に支障さえなければ・・・」
な、ななななななっ―――
なんて事いいだすんだ、セイバーは!
「シロウ、耳まで真っ赤よ」
イリヤの言う通り、耳どころか頭まで茹で上がっちまってる。
うううう、なんだってんだ、一体。
「セイバー、イリヤ。からかうのはそこまでにしてくれんか」
アーチャーが呆れたように横から口をはさむ。
こうなったらコイツのみが頼りだ。
必死に目で懇願するが、アーチャーは、
"自分の事は自分でなんとかしろ"
と、冷たく外を向いてしまった。
くそう、味方はいないのか、味方は。
「アーチャー、私はからかってなどいません」
「どっちにせよ、すまんが後にしてくれ。
先にやるべき事があるのでな」
セイバーをなだめつつ、こちらへと足を向けるアーチャー。
「衛宮士郎、聞くことがあるのだが。お前はここで一人暮らしをしているのか?」
「え、ああ。一応住んでるのは俺一人だな」
茹だった頭を振って、意識を元に戻してから答える。
「だがお前の他に、ここで食事を取っているものが・・・二、三人いるだろう」
む、確かに藤ねえや桜は、基本的にうちで食事を取っているが。
「そんな事なんで知っているんだ?」
「昨日お前が寝ている時、朝食を作ったのはだれだと思っているのかね?
その時に食器の数などで推測させてもらった」
うわ、そんなことわかるのか。
というかコイツが食事を作ったのか。
・・・英雄のイメージがなんだかわからなくなってきたな。
「で、だ。その人物たちは、今日の朝食を摂りにくるのかな?」
「ああ。よっぽどの事がない限り、藤ねえと桜・・・うちに来てる二人だけど。
朝食は来るぞ、家族みたいなもんだし」
「ほう、では私は霊体化できるからいいとして。
ここにいるセイバーやイリヤ、そして凛がいる事の説明は考えているわけだな?」
「あ――――」
思わず、硬直する。
しまった・・・何も考えていなかった、というか考える事を放棄していた。
「あ゛〜、おはよう、皆早いのね。士郎、ミルクある?」
目の前を、幽鬼が・・・もとい遠坂が通る。
俺に問いを投げかけたくせに、返るのを待たず、冷蔵庫を勝手に開けて牛乳を飲み始める。
座った目、軽くはねている髪、おぼつかない足取り。
かなりショッキングな光景で俺の理想の遠坂像はガラガラと崩れ去ったがそれどころではないので今は保留にしておく。
「っ・・・どうすりゃいいんだ」
遠坂だけなら、まだいい訳はつくかもしれない。
しかし今いるのは遠坂だけではなく、セイバーにイリヤまでいるんだ。
最悪イリヤを見た藤ねえが、俺を幼女誘拐犯とでも思って三段突きくらいかましてくるかもしれない。
聖杯戦争どころではない。
ヘタをすれば今日の朝食で俺の命は終わりとなってしまう。
「ん、どうしたのよ、なんかあったの?」
事情を知らない遠坂が、ミルクを持ちながら不思議そうにこちらを見ている。
お前も元凶の一人なんだがな、遠坂。
「はあ、仕方あるまい。
凛、この男の未来のために、茶番に付き合わんとならんらしい」
「は?」
遠坂の増えた疑問符を消すためにいきさつを説明し、さらにアーチャーは"対策"を語り始めた。
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