「・・・どう?」 「行ったみたいだな」 彼等の追跡をやりすごし、二人して安堵のため息を付いた。 逃げ回って火照った体を、やたらと強くて寒い風が強制的に冷ましてくれる。 「で、これからどうするんだ、遠坂」 「そうねえ。 まずはセイバーと合流しなきゃならないわね。 態勢を立て直そうにも、セイバーを置いてっちゃうわけにはいかないし」 足止めにとわたし達を逃がしてくれた彼女だが、身を案じる必要はないだろう。 何しろ伝説に名を残す最強の騎士だ。 私達が心配するのは何千年も生まれるのが遅い。 「セイバーに連絡はついたのか?」 「それなのよね・・・ ラインを通して何回か話しかけてみたんだけど、返答がないのよ。 一応魔力供給はできているから、契約が切られた訳でもないし。 たぶん何らかの障害があって、あっちまで送った念が届いてないんだと思うわ」 「・・・ちょっと前の携帯電話みたいだな」 再びため息をつきながらうな垂れる。 「・・・・」 「・・・・」 特に何があるわけでもなく、二人して会話が止まってしまった。 まあ、確かに“こんな所で”いつまでも話していたい訳がない。 それどころか、一刻も早く移動したいくらいだ。 わたしはチラリ、と眼下に目をやってから重い口を開く。 「とりあえずまあ」 まずやる事は一つだ。 「登りましょう」 目の前の岩肌、後ろに広がる大自然、そして底の見えない崖下を眺めて、そう言った。 <これすらもまた、日常> -後編- 「で」 スポーツではない、命がけのロッククライミングを実行中。 変わらずジト目をした士郎がこちらを向いて口を開いた。 「どうするんだこの状況」 「どうするんだ、って言われてもねえ」 正直何にも思いつかない。 セイバーとははぐれてしまったままだし、自分達の場所すら分からなくなってしまった。 こうなると行方不明者の探索どころではない。 なにしろ、自分達がその“行方不明者”になりそうなのだから。 「そういえば士郎、あいつらの首とか腰についてた飾り、見た?」 「骨、だったな」 「人のね」 それも一つや二つではない。 こうなると今までこの密林に踏み込んだ人々や、依頼目的の人物の顛末に嫌な推測を描いてしまうではないか。 行方不明者の居場所に目処が付いても、それが謎の部族の腹の中ではあまりに救いがない。 「セイバーとの合流、行方不明者の探索。 どちらを優先するにしても、あんまり悠長としてられないみたいね」 「今まさに追い詰められてる俺達の立場もな、っと釘が切れそうだな」 士郎は崖にかけていた手を片方だけ放すと、『投影、開始』と今では聞きなれた呪文を唱える。 だが、手に創られたのは名剣、魔剣の類ではなく、見た目何の変哲もない釘だ。 「ほら、遠坂」 「ありがとう。それにしてもこの釘どうしたのよ。 簡単に壁に突き刺さる割には、一度刺さっちゃうとビクともしないし」 「あー、ほら。遠坂の学科のやつに水と土が属性のやつがいるだろう?」 それなら知っている。 鉱石課の中でも余り目立たない人物で、よく分からない物を作っては一人騒いでいる。 その属性から、『泥の創作家』の通り名を持つ自称天才クリエイター。 本人はその創作家という響きを気に入りながら、「泥ってなんか格好良くない」と落ち込んでいる訳のわからない人物だ。 「あの人がさ、俺が遠坂の旦那だって判ったら色々見せてくれたんだよ。 いや・・・見せてくれたってより強制的に見せられたって言った方がいいかな。 まあその中にこの釘があってな。 なんでも触れた土と溶け合って、一度刺せば二度と抜けない便利な釘なんだそうだ。 コストが掛かりすぎるのに一回使ったら二度と使えないから嘆いてた」 ・・・なるほど。 相変わらず無駄な事をしているようだ。 それにしてもこいつはこいつで、よくよくわたしの知らない所で女の知り合いを作るものだ。 士郎の表情が微妙に変わる。 それが崖下から吹き付ける冷風か、それともわたしにジト目に気づいたからなのかは定かではないが。 「あ、ほら、そろそろ上に戻れるぞ。 気を緩めて足元踏み外さないように気をつけてくれよな」 「わかってるわよ」 まあこの事については後々言い聞かす事としよう。 まずは『知らない女には付いて行かない』という事から始めるべきだろうか? そんな事を考えているうちに、やっと崖上付近へと辿り着く。 足が着く場所が3cm以上になることに安堵を感じながらも、相手がまだいる可能性を案じて息を潜める。 士郎と視線で会話を交わして、二人してゆっくりと顔を上げていく。 慎重に地上へと手をかけ、顔の半分まで乗り上げ、 見事、わたし達は大きな仮面をした青年と視線を交わした。 『あああああああああああああ!』 全力疾走。 わたし達の後方には、例の如く大きな仮面を被った半裸体の男達が追いかけてくる。 折角振り切ったというのに、笛の音が鳴り響いた直後、わたし達の両手を合わせてもまだ足りない程の数が一気に集まってきてしまった。 現状はだんだんと悪くなるばかり。 なにしろこちらは慣れない繁茂の地。 あちらにしてみれば慣れ親しんだホームグラウンド。 多勢に無勢、そして場所の不利。 このままでは結果は火を見るより明らかだ。 ・・・魔術を使って攻撃をすれば、この戦況をひっくり返す事は不可能ではない。 だがしかし、 「馬鹿! 追われてる理由も判らないのに攻撃なんて許さないぞ!」 わたしの隣にいる男の傍で、死傷者を出す行為などできないのだ。 それが自分達の命が危機にさらされている上に、相手が言葉も通じない未開の部族だとしてもだ。 そんな事を言っていられる状況ではないとは思うが、長年こいつと付き合っているとこちらの考え方も変わってしまう。 ――――悪いのは彼等のテリトリーに侵入したわたし達なのだから 相手の明確な目的も判らずに攻撃はできない。 こんな思考に達してしまう程だ。 彼等が食人部族で明確な殺意でも持っていれば別だが、ただ追い出すだけを目的としているならばヘタに事を荒立てるのは逆効果だ。 なんとか意思の疎通をして和解を得るか、目的を達してさっさと逃げさるのが最良だ。 と、矢や槍の中で命を危険にさらしても、そんな考えが拭えないようになってしまったのだ。 頭の冷静な部分では、自分の身が一番大事であって、相手の安全など二の次だと判っているというのに・・・ ともかく、現状でわたしができる事は極端に少ない。 わたしの攻撃では威力が高すぎるし、目くらましも一時的なモノであって持続性はない。 「じゃあアンタがなんとかしなさい!」 と言う訳でわたしは匙を投げる。 なにしろこういった事態に置いて、衛宮士郎以上に機転の利く魔術使いなどいないのだから。 「―――遠坂! 今から十秒数えたら、足を止めてくれ!」 一瞬の思案の後に、威勢よくそう答えが返ってくる。 内容を問う必要はない。 わたしはただ彼を信じて、ただカウントを数えるだけだ。 「・・・七、八、九っ」 「―――投影、開始!」 その呪文と共にして、地を踏みしめ急静止をかける。 その瞬間、周り中から悲鳴の声があがった。 「――――! ―――っ!」 皆が皆、足を上げて飛び跳ねている。 事態を飲み込めずに足元を見ると、なにやら黒いトゲトゲが大量に点在していた。 「なにこれ・・・まきびし?」 「ああ、全員素足みたいだからやってみた。 まあこんな草木だらけをそれで走り回ってるやつらなら、これくらい大した怪我にならないだろ」 なるほど。 確かに跳ねたり木に非難している彼等を見る限り、痛さ的には足ツボ程度の様にみえる。 実際、血がでている方が少ないくらいだ。 「今のうちだ。 結構広く投影したから、しばらくの足止めにはなるだろ」 「って士郎! アンタ進行方向にもばら撒いてるじゃないのよ!」 「こっちは山歩き用の編み上げブーツなんだから大丈夫だろ。 遠坂だってここに来る時に一緒に買って・・・」 視線をわたしの足元に下ろした士郎の言葉が止まる。 確かに、わたし達はここへ来る前に山歩き、というか密林を歩く為の道具一式を買いに行った。 その時に士郎のサイズに合う靴が見つからず、わたし達は別の店で買い物をしたのだが・・・ 「・・・その、セールでハイキングシューズがあったから、そっち買っちゃった」 軽登山用に用いられるだけあって、丈夫ではある。 が、何cmもある針を踏んでも平気な物品であるかは、別の話しだ。 何故そちらを選んだかと言うと・・・・前述したセールという名からご推察願いたい。 「・・・・・・」 「・・・・・・」 交差するなんともいえない視線。 わたし達は、今日何度目かの気まずい沈黙を再び味わった。 「おおおおおおおお!」 「あー・・・この年になってこういう格好するのも、結構恥ずかしいもんね」 「遠坂はっ、少しっ、黙っててくれぇぇぇえっ!」 そして再びの全力疾走。 先程と違うのは、走っているのが士郎一人という点だ。 わたしが置いていかれている訳ではない。 士郎がわたしを抱えているのだ、お姫様抱っこで。 まあそんな訳で、汗を流しながら凄い形相で走っている士郎と、照れながら少しにやけているわたしという殺伐とした 逃走には似つかわしくない風景ができあがっている。 ちなみに士郎が作ったまきびし地帯からは既に脱出しているのだが、彼がわたしを未だ抱えている理由は、 『そんな靴で走って怪我したらどうするんだ!』 という旦那様の愛と気遣いで未だ抱えたままだと言うわけだ。 どうやらわたしの怪我の可能性を余程心配してくださっているようだ。 いや、やはり照れるものである。 「・・・でも、引き離せたみたいね」 士郎の肩から後方を見て、追っ手の居ない事を確認する。 追いかけているのはあの場にいただけではないだろうが、少なくとも次にわたし達を発見するまでの間はある。 今のうちに引き離して、なんとか安全な場所を確保しなくては――――― 「遠坂!」 思考に割り込み、焦りを含んだ声が上げられる。 そちらに反応を返す間もなく、わたしは空へと放り投げられていた。 「っ! 痛ぅーっ」 地べたに尻餅をつき、木に背中を打ち付ける。 なにしろ走っていた勢いが残ったままだから、かなりの痛みが体を襲った。 「ちょっと、いきなり放り出すだなんて―――」 なんのつもり、と抗議の声を上げる前に絶句する。 見上げた先には赤き外套を纏う、士郎の大きな背中。 その彼の外套が、赤黒い何かで染まっていた。 「士郎!」 「動くな!・・・まだいるぞ」 浮かしかけた腰を止めて、息を止める。 士郎の鮮血を見て錯乱しかけたが、その声で冷静さを取り戻す。 流血は、肩から。 勢いが強く、次々とその外套を黒く染め上げていく。 このまま治療せずに放って置けば、出血多量となるまでそう長くはない。 だが、動けない。 何故ならば士郎は、まだ『いる』と言ったのだから。 ―――カサ 密林が作り出す無数の音に紛れ込むように、小さな葉の擦れ合う音。 集中していても聞き逃してしまうようなその音を、士郎は逃さず捉えていた。 ―――ヅィン! 鋼の鳴き声に、刹那輝く火花。 士郎の手にはいつのまにか干将莫耶が握られ、見えぬ一撃を確かに弾き返していた。 地に足を着ける、小さな音。 襲撃者がその姿を現した。 その姿は、今までわたし達を追い掛け回していたやつらとそう変わらないように見える。 違うのは、服の装飾が少し派手になっていて、顔を覆っている仮面が他のやつらと比べて随分と小さい点か。 それが彼等の中でどういう意味をもっているかは分からないが、一つだけ言える事がある。 わたしを抱えていたと言え、士郎に傷を与える力を持った相手だという事だ。 ザ、と地を踏みしめる音と共に、襲撃者の姿がブレた。 その男が手にした槍が、獣並みの速度で士郎の体を貫かんと迫る。 ―――ギィン! だが、相手が獣ならば士郎は百戦錬磨の騎士。 いかなる速度であれ、正面からの一撃で彼に傷をつけるのは困難を極める。 それを証明するかのように、士郎はその場から一歩も動く事無く、その槍を弾いた。 「ふっ!」 そしてその隙を逃さず振るわれるもう片方の短剣。 狙うのは相手ではなく、その武器。 それさえ奪ってしまえば、相手が引き下がるという考えからだろう。 ―――ィン! 一刀。 再び鳴り響く、鋼の音。 士郎が繰り出した短剣は、相手の槍を根元から真っ二つに―――する事は敵わなかった。 「なっ!」 士郎の驚愕の表情と、わたしの声が重なる。 相手は真正面から短剣を受ける事なく、槍を持ち替えて受け流したのだ。 それだけで十分驚くに値するが、真に驚くのはそこではない。 士郎が繰り出した干将莫耶という名剣を、ただの槍で受け流したという点にこそある。 如何に腕前があろうとも、名剣・魔剣の一撃を受けて無事でいられる物などない。 干将莫耶は士郎が投影できる中でも上級に位置している訳ではないが、それでも伝説に名を残す一品。 それを受ける事ができたという事は、あの槍もただの木や石で作り出したものではないという事だ。 見れば、その槍は黒光りした光沢を放っていて、今までに彼等が持っていた物とは一味違うように見える。 木の様な材質ではなく、なんらかの鉱石。 少なくとも石や鉄以上の強度を持った何か。 気づく。 ここで行方不明になった男は、鉱石の採取を目的としていたと。 「ぐっ!」 無数の剣戟が鼓膜を揺らし、思考に陥っていた頭を現実に推し戻す。 怪我の為か、あるいは相手の実力が故か、士郎は劣勢を強いられているようだ。 考え込んでいる場合ではない。 この剣戟の音を聞きつければ、さらなる追撃者が姿を現すことになる。 そうなる前に、なんとしてでもこの場から離れなくてはならない。 ・・・ええい、もったいないけど消費がどうと言っている場合じゃない! 「士郎、下がって!」 懐から宝石を取り出し、切り結んでいる二人へと投げつける。 わたしの声に反応した士郎は、敵の槍を打ち払ってこちらへと飛びずさる。 それをさせじと、追撃する襲撃者。 ―――ヅッギン! 二つの鋼が重なるように音色を鳴らす。 襲撃者へと双剣が放たれ、それが相手の槍で弾かれたのだ。 追撃していた足が、止まる。 「――― ―――ッゴン! 半径3メートル程の、小規模の爆発。 それは近くの木々をなぎ倒し、砂煙を上げて視界を覆い隠した。 「っ・・・はぁ、は・・・・・すぅー」 荒い息を繰り返し、最後に深呼吸して肺へ大量の酸素を送り込む。 わき目を振らずの全力疾走だ。 焦りに苛まれていた為か、余計に体力を消耗したように思える。 いや、それも負傷した士郎に比べれば軽いものか。 「・・・士郎、肩、見せて」 「・・・・・」 岩壁に背を預けて、同じく荒い呼吸をしていた士郎に声をかける。 無理に走ったためか、手で抑えた肩からは先程以上の血液が流れている。 「悪い、油断してた」 「馬鹿、黙ってなさい」 上着を脱がせて、傷を診る。 ・・・・・・よかった、思っていたより傷は浅い。 ただ走っていた最中に切られたからか、傷跡は随分と細長かった。 出血が多かったのもそれが原因だろう。 手当てをしつつ確かめるが、不幸中の幸いか毒は塗られていない。 久しぶりに味わう、今までとは別の意味での深い溜息をついた。 「サンキュ、随分楽になった」 笑みを浮かべて肩を廻す士郎。 わたしに気を使っているのだろうが、一瞬顔が歪んで目が潤んだのをわたしは見逃さなかった。 「別にやせ我慢しないでいいわよ。 だいたい悪いのはわたしなんだからお礼も謝るのも角違いでしょ」 「あー、そういえばそうだったな。 元はと言えば靴代をケチった遠坂が悪い」 「・・・ちょっと、そういうのはあえて口に出さないのが美学でしょうが」 そういって笑いあう。 それで幾分か疲労で弱った体はマシになってくれた。 「それにしても・・・随分奥に来たみたいだな」 一呼吸置いてから周りを見回す。 気づけば、わたし達はあの草と木で埋まっていた密林から脱出して、 乾いた岩肌が露出した荒地へと来ていた。 平地ではなく、高い岩山で囲まれたそれなりに広い空間。 もと来た道に視線を送れば、背の高い木が辛うじて岩山の上から見ることができる。 「参ったわね。 もう完全に居場所なんて把握できてないわよ」 コンパスを出してみるが、お決まりの様にグルグルと廻って役目を果たさない。 まあ方角だけならば太陽の場所を見れば大体の方向は判るが、そもそも未開な地だけあって地図などない。 できるだけ慎重に居場所を確認しながらの進行となる筈だったので、この状況は完全な計算外だ。 大体、何故あんな原住民がいる事の報告がなかったのだ。 今のわたし達から考えるに、研究者のチームが遭遇したトラブルとは、十中八九彼等だろう。 ・・・・・・もしかしてルヴィアのやつ、ハメられた訳じゃないでしょうね。 何しろ傭兵貴族と名高いあの家の事だ。 しかもあのルヴィアの性格からして、味方以上に敵が多そうである。 となるとわたし達って、貧乏くじ引かされてる? 「あれ?」 「ん、どうした? 何か見つけたか?」 「あ、いや、そうじゃなくて・・・何か引っかかったんだけど」 なんだろうか、今、妙な違和感があった。 しかもかなり最初の方で・・・・ 周りを見渡して、コンパスを取り出して―――― 「あ!」 突然の叫びに驚いている士郎を無視して、もう一度コンパスを取り出す。 それは先程と変わらずに指針をグルグルを廻して、一向として泊まる気配はない。 この密林に足を踏み入れた直後、コンパスが使えるか確認をした時にはしっかりと使えていたというのに、だ。 考えられる答えは二つ。 コンパスが激しい逃走劇で壊れた。 もしくは、この場に磁石を狂わす“何か”があるという事だ。 少しばかり地面を掘り返し、その砂や石を確かめる。 「こっちの方は本当だったみたいね」 砂の中にまぎれている、小さな黒い塊。 砂鉄でも、色がついているだけの石という訳でもない。 磁場を狂わしている現況はこれのようだ。 「遠坂、ちょっと来てくれ」 声に反応して顔を上げると、いつのまにか奥に進んでいた士郎の姿が見えた。 その背中を目指して進むと、視界内の風景が変わっている。 他に比べて、ここは人間の手が加えられていた。 岩肌が削られ、舗装と言える程ではないが道ができている。 「この先だ」 彼の視線に従い、さらに奥を見やる。 ―――そこには、先程の黒い石で形成された環状の遺跡があった。 「ストーンヘンジってやつか、これ」 「・・・みたいね。 しかもそうとう昔に作られたやつ」 人の手ではとても運ぶ事などできない程の、巨大な円柱の石。 劣化の状態から見て、そうとうな時を過ごして来たものだろう。 詳しく調べてみなければ分からないが、それこそ紀元前。 ヘタをすれば神話の時代まで食い込むかもしれない。 ――― その存在を知らぬ者は少ないであろう。 過去の文明からは信じられないほどの、精巧に作られた石の遺跡。 その建造方法や目的については、数々の諸説が存在する。 曰く、巨人が作り出した、魔法で作り出したなど。 所によれば、悪魔が作り出したという逸話さえある。 有名なところで、宇宙人説も上げておこう。 それは過去の人たちの儀式の場であったり、未来へ託されたメッセージであったり。 未だ解析不足な、現代世界に残る有名な謎の一つであると言えよう。 「それにしても・・・これは」 知らず、口から感嘆の声が漏れ落ちる。 先程は説の中に悪魔が作ったと言ったが、それだけは違うと否定できた。 目の前にあるコレは、あまりにも美しく、力強く、神々しい姿をしていたからだ。 ・・・しばし、その姿に見惚れる。 隣にいた士郎も、わたしと同じ様に一言も語る事無く、ただ目の前を凝視していた。 気づけば、わたしの足は一歩前へと出されていた。 その存在を間近で収めようと、なんの意識も介在せずに。 「遠坂」 それをやんわりとわたしの腕を掴んだ腕が、静止させた。 振り向いて見た目は、責めているわけでもない、ただそれが正しいと信じている瞳。 「戻ろう。 ここはたぶん、長居しちゃいけない場所だ」 そう言った彼が視線を向けた先に、何かが置いてあった。 ・・・端に小さく飾られた、花や果物。 それがどんな意味を持つか、考えるまでもない。 「ええ、人が踏み荒らしていい場所じゃないわね」 そう言ってから遺跡から背を向けて歩き出す。 最後に一度だけ振り返って、その静謐な存在の姿を瞳の中に収めた。 「・・・しまった」 荷物を持ち直して遺跡から立ち去り、岩肌の大地から密林に足を踏み入れた瞬間、士郎が呟いた。 それに疑問を掛ける暇なく、“彼等”が草陰の中から姿を現した。 「・・・抜かったわね」 囲まれた。 それはもう隙間なくぎっしりと。 「どうする?」 できるだけ小声で士郎に語りかける。 下手な刺激を与えては命に関わってしまう。 「正面突破は難しいな。 ここは後ろに下がりたいが・・・」 後ろには先程の遺跡がある。 わたしも士郎も、あれを見た後に戻ろうという気はさらさらなかった。 「こうなったら相手の心配してる余裕はないわよ。 少し痛い目見てもらうつもりで、ぶっ放すしか―――」 言い終わる前に士郎の手で声を遮られる。 この状況で彼にあったのは焦燥ではなく、困惑だ。 「見ろ、様子が妙だ。攻めて来る気配がない」 その言葉に従って、もう一度見回す。 確かに、彼等からはこちらに踏み出そうとする意志が見られなかった。 それどころか、今迄絶えず此方へと向けられていた武器面々が下げられている。 仮面だらけの空間は異様ではあったが、それでも戦闘の意志だけは感じられなかった。 その困惑に間もなく、目の前の人垣が割れる。 密林の奥から新たな人物が一人現れた。 「あいつ、確かさっきの」 他と比べて小さい仮面、華美な装飾。 断定はできないが、先程士郎に怪我を負わせた襲撃者だ。 抑えた爆発だったためか、うまく避けたのか。 体に汚れはあるものの、彼からは大きな負傷は感じられなかった。 その男が一人、わたし達と対峙するように立つ。 「・・・・・・・」 「・・・・・・・」 いや、わたし“達”ではない。 厳密には彼は士郎だけを見ている。 彼が、仮面を剥いだ。 「―――――っ!」 「―――! ―――!?」 周囲からどよめきらしきものが起こる。 その様子から察するに、意味は分からないにしても、仮面を取るという行為は余程の事を表しているのだろう。 その素顔は、体格に似合った精悍な顔つきをしていた。 「・・・・・・・」 変わらず沈黙を続ける男。 ス、とあの遺跡と同じ材質であろう槍を、構えた。 そこから感じるのは、怒りでも殺意ではなかった。 「遠坂、下がっててくれ」 真剣な面持ちをした士郎は、それだけを呟くと前へと歩みだす。 その両手には、見慣れた双剣が握られていた。 足を止め、その双剣を構える。 ・・・・・・静寂が降りた。 誰もが口を開く事無く、密林に生きる全ての生き物でさえ黙しているとすら思える。 それ程までに静かで、張り詰めた緊張感が場を支配したのだ。 もはや、だれが見ても明白であろう。 これは“決闘”だ。 誰の手も介さない、一騎打ち。 何故かは判らないが、あの素顔をさらした男はそれを挑んできた。 その意味を推し量り、士郎もそれに応じた。 言葉を介さずとも、その強き意志を感じ取り、避けられないと受け止めたのだ。 誤解や暴力ではなく、純粋な闘志に応えて。 ・・・・・・・ 風一つ吹かない、耳が痛くなるような静寂。 高まった緊張感は、今か今かと破裂する事を待ち構えている。 対峙する二人の闘志を感じて、見届けているわたし達の方が押されて後ずさる。 その誰かが揺らした葉の音か、それとも踏み折った小枝の音か。 不動であった二人の硬直は溶け、咆哮を上げて互いの武器を掲げて、 「その勝負、待った!」 という少女の声と共に、二人は見事吹き飛ばされていた。 剣の一振り、正確には風王結界の部分解除による風で、長身の男二人はポーンと飛んでいった。 彼等は頭から地面に落ちるというとんでもない着地方法をしているが、今はそれどころではない。 「セイバー!?」 「お待たせ致しました、凛。それにシロ―――」 まるでどこかのサスペンス映画のように頭から突き刺さっている士郎を見て、絶句するセイバー。 だがそれも一瞬の事で、すぐさま周りへと視線を移し変えた。 まあただ見なかった事にしただけだろうが。 「再会できて嬉しいけど・・・ちょっと悪いタイミングで入ってきたわね」 理由こそ判らないままだが、相手は一騎打ちを望んでいたのだ。 わたし達を囲んでいるやつらも手出しをするつもりはなかったようだし、今のセイバーの行動は性急過ぎる。 その証拠に、彼等は下げていた槍を再び構え、嫌な圧力が場を支配し始めている。 あのまま決闘させておくのが正しかったのかは判らないが、これでは振り出しに戻っただけだ。 「大丈夫です。 彼等には私が話をつけますので」 そう言って余裕のある笑みを浮かべ、再び周りに視線を動かすセイバー。 深呼吸をするように深く息を吸い込み、張りのある強い声が場を満たした。 ―――聞け! 戦士達よ! 聞き取る事のできない言語が、頭へと直に届いた。 ―――神聖なる決闘に横槍を入れたのは私の不義とする所だ。 だが、その戦いに信念がなければ、それは闘いではなく争いに堕ちる! セイバーの声は透き通った声で響き渡り、聞けば誰もが意識を向けざるをえないモノを持っている。 決闘を邪魔され、一時は騒然としかけていた雰囲気が、一瞬にして消えた。 ―――汝等が持つ崇高なる役割は耳にした。 我々が汝等の許可なくしてこの地へ侵入した事実は認める。 だが、まずは私の話を聞いたうえで、今ある誤解を解いてもらいたい その佇まいは、まさに王者の風格を漂わせたものである。 その言葉に彼等が耳を貸すのも、それが故であろう。 いや、そんな事よりも今彼女が発している言葉は―――― 「遠坂」 脇から潜められた声がした。 いつのまにか地面から頭を抜いた士郎が、わたしの近くへ歩いてきていた。 「士郎、セイバーがきてくれたわよ」 「判ってる。それよりもこれ・・・なんだ?」 士郎が指しているのは、セイバーが先程から発している言葉である。 日本語でもドイツ語でもない、記号の羅列を並べているような言語。 そして、それが理解できているという事実。 わたしはそれに心当たりがあった。 「たぶん、言霊よ」 「言霊ってあれか、言葉に宿ってる神秘ってやつか」 「まあ本来の意味じゃそっちなんだろうけど・・・ 今セイバーが使ってるのは言葉に魔力を乗せた一種の魔術よ。 わたし達は日本語とかドイツ語みたいな共通の言語を持っているから、意味が理解できるみたいね」 「あいつらにも伝わっているみたいだけど」 「セイバーが喋ってるよく判らない言葉、あれが彼等の言語なんだと思うわ。 たぶんそれだけじゃ正確に伝わらないから、言霊を使ってるのよ。 本来、言語を持たない動物なんかに意志を伝える時に使うものだから」 そもそも、何故セイバーが彼等の言語を知っているかという問題があるのだが・・・ そんな事を考えているうちに、わたし達の境遇と目的は話し終えたようだ。 ―――これで我々が汝等の外敵ではない事を理解してもらえただろう。 この事は既に、汝等が長に話しを通してある。 彼より預かりしこれを証拠として、我々との敵対を止めてもらいたい。 そう言ってセイバーが掲げたのは、動物の牙で作られたであろうアクセサリー。 それを目にした瞬間、やっと事で彼等はその槍を下げてくれた。 後日、わたし達と別れた後のセイバーが何をしていたかを聞いた。 『足止めの為にできるだけ敵を減らしておこうと、戦っていました。 もちろん、誰一人斬ってはいません』 数十と言う敵に囲まれながらも、なんとセイバーは当身だけで彼等を圧倒していたのだと言う。 しかもそれを数時間。 サーヴァントに疲れはないと言っても、もの凄い話しだ。 『五十は相手にした後でしょうか、明らかに今迄とは違う風を持った人物が現れました』 他と比べて小さな仮面に、派手な装飾。 聞く限り士郎と対峙した人物とは違う相手のようだが、やはりその外見の違いは部族内の力関係を表しているらしい。 曰く、強い男ほど天にその身をさらす事ができるとか。 で、それだけあってその男は他と比べて段違いの強さを持っていたようだが・・・ なにしろ相手がセイバーである。 剣の刃はやはり使われることなく、ものの数分で昏倒させたようだ。 まあこのセイバー相手に数分持った時点で賞賛を与えてもいいだろう。 『その決闘の後、再び新たな人物が現れました。 槍ではなく杖を手にした老人です』 それが、セイバーが先程口にした長。 彼は憑依や予言を行う、いわばシャーマンであると語ったそうだ。 『部族の若者が次々に倒され、それでいて死傷者がでていない事を聞き、自ら出向いたそうです。 そこで私達の目的を問われたので、包み隠さず事情を話した所、話し合いの場を設けてくれた、という訳でして』 そこでわたし達が襲われた理由を聞いたそうだ。 どうやら、彼等はあの遺跡を長きに渡って守り続けている一族らしい。 つい最近に遺跡へと侵入した者達がいたので、警備を強めていたようだ。 つまりわたし達が受けた依頼は全てが嘘というわけでもないらしい。 だが、この地に取り残されたという人物は、彼等が知る限りいないそうだ。 全てが嘘ではないが、重要な部分が本当ではなかったという訳になる。 ちなみに、彼等は人食い人種という訳ではなく、装飾に使っていた人骨はご先祖様のものらしい。 ご先祖の英知と勇気を受ける、とかなんとかの意味を持つそうで。 これでわたし達が追われていた理由が分かった。 遺跡を出た後の行動も、わたし達が遺跡を荒らさなかったという点によるものだそうで。 その上で何度も追撃を避け続けたわたし達、特に剣での戦いをみせた士郎に敬意を評し、決闘を申し込んだわけだ。 戦わなきゃ相手を見極められないだなんてどうにも旧時代の考え方としか思えない話しではあるが。 ともかく。 そうしてセイバーは長との会合の証拠であるアクセサリーを預かり、わたし達の元へ戻ってきたというわけである。 「依頼者を問いただした所、やはり別の思惑が含まれていました」 今までの経緯を話し終え、紅茶を口にした後に、ルヴィアはそう切り出した。 「植物と鉱石の話しについては事実だったようだけど・・・ 行方不明者というのは真っ赤な嘘。 どうやらこちらを体よく利用しようとしていたようですわ」 つまりは、解決のできない無理難題を押し付けだ。 自分達を追い出した密林の部族達をなんとかできるような手駒はいない。 だが、外に頼むにしても戦闘派の魔術師なんてそうはいない。 そこで白羽の矢が立ったのが傭兵貴族のルヴィア家。 こと、戦闘にかけては折り紙つき。 前からあった縁をつかって、依頼をしたという訳だ。 依頼内容が行方不明者の探索、という建前になっていたのは、 『密林に邪魔者がいるから掃除してこい』 と言われてそれに従う筈がないからだ。 何も知らずに現地へ赴き、襲われたルヴィアたちが彼等を返り討ちにする、という筋書きを書いていたらしい。 そしてこの依頼の焦点は、目的が行方不明者の保護という点にある。 もし望みどおりに彼等を退治させたとしても、行方不明者は見つかる事はない。 なにしろそんな人物は存在しないのだから。 「どうした所で依頼は遂行されません、する事ができないのですから。 そこで難癖を付けて、報酬を払わずに自らの目的は達すると事ができる、という浅慮でしたようね」 「まさか彼等と意志の疎通ができる人物がいるとは思いもしないものね。 実際、わたしも思わなかったからこそ逃げ続けてたわけだし」 今回の件は、セイバーがいなければ本当にどうする事もできなかっただろう。 最悪、依頼人が望んでいたような展開になる可能性は大いにあった。 「その事ですけど、何故セイバーは彼等の言語を知っていたのかしら?」 「ああ、わたしも疑問だったから尋ねたわ。 簡単に言うなら“昔とった杵柄”ってやつね」 彼女が王として国を守っていた時代には、未開の地などは数多く存在したらしい。 敵地への行軍等でその地を通る事も少ない訳ではなく、原住民と最低限のコミュニケーションは補佐役であった魔術師マーリンから学んでいたらしい。 ・・・余談になるが、ストーンヘンジ建造の逸話に一つ、そのマーリンが巨人や魔法を使って作らせたというものがある。 もしかしたら、セイバーが会ったであろう過去の部族達が、なんらかの意志を引き継いでこの現代まで遺跡を守り続けているなんて可能性も考えられた。 それが正しければ、彼等は今回の事の起こりを予知した魔術師が、その為にあれを守らせていたのかもしれない。 まああくまで想像の話しだが。 「それはともかく、随分と面倒な仕事を押し付けてくれたじゃない、ルヴィア」 なにしろ依頼内容の嘘に、契約にない危険と遭遇したのだ。 もちろん最初の依頼人に一番の問題があるが、それをわたし達に斡旋したルヴィアにも問題はある。 これはそれなりの誠意を払ってもらわなくてはならない。 「ええ、もちろん研究費用の返済とは別に、賞与を送りました」 「流石! って、『送りました』?」 「今回一番の功労者であるセイバーへ。 それとシェロにも渡しておきましたわ。 養育費が元に戻ったと喜んでいましたわね」 「あ、そう」 既にセイバーと士郎は買収済み、という訳か。 もはやわたしがどうこう言った所で手遅れだ。 ルヴィアの不祥事につけこんで自由にできるお金を確保するつもりだったというのに・・・ 「それじゃあこれで今回の仕事は終わりね。 悪いけどすこし骨休めといきたいから、早速だけど帰らしてもらうわ」 「待ちなさい、もう一つだけ話しがあります」 浮かしかけた腰を留められ、ルヴィアは机へ一枚の用紙を取り出す。 ―――― 読め、と視線で催促するルヴィアに従い、震える手で紙を手に取り・・・ 頭に書かれた『請求書』という文字に、意識を奪われかけた。 「な・・・なっ・・・」 「隠蔽費ですわ。 家屋爆発に対して、新聞やテレビを抑える為に使いました」 そしてポン、と気軽に置かれる封筒。 「セイバーや士郎に払ったお金を使わせる訳にもいきませんから、仕事を用意しておきました。 今度は北の国、まあ率直に言うと北極に飛んで頂きます。 これも私の所に来た依頼ではあるけど、防寒具なんて醜いものは着たくありませんし」 抗議を上げる間もなく、次々と押し込まれていく仕事の情報。 最後に、請求書と書かれた紙の桁数だけを頭にいれ―――――わたしは自らの意志で昏倒した。 おまけ
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