第四次聖杯戦争。
それは、五人の人間が敗退し、五つの英霊が陥落した直後。
他を蹴落とし、出し抜き、血と魂を犠牲に天なる杯が満ちようとする寸前。
ニ騎の英霊が激戦に拍車を掛け、二人の人間が私闘を繰り広げる最中。
10年という時が流れても禍根を残す、大火災が町を覆った時の物語。
「は、はは、」
それは酷い光景だった。
突如として出現した炎は、寝静まっていた町の一角に狼煙を上げ、瞬く間に燃え広がった。
建物であれ、木々であれ、万物区別なく焼き炙り、黒に染めて形を崩してゆく。
それは人であれ例外はない。いや、むしろ人こそ念入りに、かつ丁寧に。
馬鹿らしい事だが、炎が意思でも持っているかのようだ。
「皆・・・蝋燭みたいだ」
自分の知っている世界が焼かれていく。
友人とはしゃいでいた学校、毎日サッカーで走り回った公園、おしゃべりな隣のおばさん、そして何よりも愛した両親。
小さな身体にはとても耐え切れない喪失感の中で、少年は―――居並ぶ蝋燭と同じく胸を焼かれた少年は、空を穿つ黒き太陽を見上げた。
【種火】
「はっ! 楽しませてくれるな、セイバー!
それでこそ我が妻に相応しい女よ!」
「戯言を……その妄言を吐く口を止めろ!」
赤と黒だけの世界を背景に、金色と青銀が火花を散らす。
片や見目麗しい金髪碧眼の少女。
片や威厳に満ちた金髪赤眼の青年。
この地上を焼き尽くす地獄の中で生き残り、時代錯誤な鎧を身に纏う不可思議な存在。
人間の常識と限界を超えた戦争を単騎で生み出し、美麗さと畏怖を両立させた伝説の体現者。
彼等こそが神話に名を残す英雄にして、聖杯戦争という儀式が召還せし最強最高の兵器。
サーヴァント、セイバー。
サーヴァント、アーチャー。
この最高位の魔術にして、滑稽なる喜劇最後の役者であった。
「よいぞ、踊れ踊れ騎士王よ!
その髪、その眼、その体全てを用いて我の享楽を満たすがよい!」
黄金の甲冑を鳴らし、指揮者が如く片腕を振り上げる。
現れるのは奏者ではなく、種々様々なる武具の大軍。
その全てが国や時代を超えた『伝説の武具』であり、一つ一つが魔や神を殺す程の危険性を秘めている。
「この大災害を前にし、まだその様な世迷言を吐くか・・・・・・!
最早我慢ならぬ、その口、この一閃を持って消し去ってくれる!」
少女の裂帛の気概と共に、雨が如く降り注ぐ武具を爆風が蹴散らす。
現れるは黄金の聖剣。
居並ぶ伝説の武具でさえ見劣りしてしまう程の一振りが顕現する。
本来ならば必勝の時を見て使われるそれを早くに解放したのは、少女に色濃く見える焦燥が故に他ならない。
因するのはこの焼け爛れていく世界か、現れ始めた聖杯か、“正体”を見せた彼女の主によるものか―――
「ふん、まだ逆らう意思があるか。
ならばその滑稽な尊厳をへし折ってやろう」
黄金の騎士が後方に手を翳す。
この戦争に置いて何度も見せた、“蔵”から宝具を引き出す動作。
だが、その何度も見たはずの光景が、彼女の背筋が凍らせる。
「―――――!」
何か、桁違いのナニカが、あそこから引きずり出されようとしている。
彼女の直感が囁く。
アレは、出させてはならないと。
「させん!」
黄金の剣を解放する。
その何かを出させる前に、切り伏せる以外に道はない。
だが、少女の前には宝具の雨がある。
次々と振り下ろされる武具の前にしては、彼女の剣は十分な高まりを得られない。
「セイバー、騎士王たるお前にだからこそ見せてやろう。
我唯一無二の宝具にして、絢爛たるその姿を―――――――ぐ、ぬっ!?」
言い切る前に、黄金の騎士の膝が地に落ちる。
アレだけ青年を覆っていた莫大にして不吉な魔力の渦が、糸が切れた様に消えうせていた。
「これは……ええい、使えぬマスターめ!」
苦しげに膝を折る黄金の騎士は、この場にいない主に対して毒づく。
先程までの尊大な態度に対した突然の豹変に、少女は戸惑いを浮かべる。
その激しい戦闘の中で生まれた間隙に、少女は自身を呼ぶ声と力を感じた。
青年は走っていた。
敵に対して離れる様に。
戦術的な撤退ではなく、敗北に近い逃走の為に。
激しく息を切らせ、倒れこむ様に辛うじて形を残していた建物に侵入する。
壁に背を預けて、左右を見回し、忌まわしい姿が無いことに安堵した。
厳しくも、まだ表情に青さを残し、十字を胸にした信徒の男。
消耗して尚崩れぬ姿勢や、服の下に纏う引き締まった肉体は、彼がただの一般教徒ではない事を証明していた。
嵐が如き黄金のサーヴァントの主であり、この町を襲う大火災の原因を作った一人の男。
しかし、今の彼からはその鍛えられた身体とは裏腹に、余裕や気迫は感じられなかった。
複雑な感情の中で最も強いモノを上げるとするならが、それは恐怖と言っても差し支えはない。
「ぐ・・・・・・う」
不自然に垂れ下がった左腕を支え、身を抱えるようにして座り込む。
見れば、男の全身は傷だらけだった。
肌が露出している部分は火傷と切り傷だらけであり、四肢にはいくつもの鉄片が食い込み、左腕からは今も血液が溢れ出ている。
事故や爆撃にでも巻き込まれでもはしない限り、こうはならないであろう、という重傷。
それがたった一人の男によって齎されたものだと、誰が理解できるというのだろうか。
「がっ」
満身創痍。
その言葉をまさしく体言している男は、自らの肉体に突き立つ鉄片を引き抜いていく。
今まで以上に血液は流れ出していき、それは彼から生命力を奪い続ける。
だが、このままでいるわけにはいかなかった。
なぜなら彼は逃走中である。
“敵”から逃げる為には、鉄片の食い込んだ体のままでは動きにくすぎた。
「・・・・・・」
激痛の度に漏れ出していた苦痛を、真一文字に結んだ口で塞き止める。
いや、もはや痛みは二の次。
それを上回る感情を持って、青年はただひたすらに鉄片を引き抜いてゆく。
血液が溢れ、気を失いかけ、それでもただ引き抜き、引き抜き、引き抜き、抉り取る。
「―――っ!」
血液不足や、激痛に耐えうる程の強い感情。
視界を真っ赤に染め上げるのは、怒り。
それは、この重傷を作り上げた“敵”に対するものではなく、自身に対するものであった。
(・・・・・・何故だ?)
静かに、だが引き抜いた鉄片が掌に食い込む程に強く、青年は憤る。
(何故だ?)
朦朧とする意識の中で、しかしはっきりと脳裏に浮かぶ“敵”の姿。
化物揃いの聖杯戦争の中で、人らしく現代兵器を手にし、人の為の夢を持った人間。
だが、その姿は何よりも色濃く、死神が如く青年の意識を蹂躙する。
(何故だ!)
“魔術師殺し”の異名を持った男は、他の参加者を瞬く間に脱落させていった。
その異名の如く、魔術師の常識を悉く排した手段により、裏をかいて貶める。
狙撃、爆破、毒殺。
魔術師を魔術師として死なせず、ただ無慈悲に暗殺してゆく。
魔術とは現代科学に対して脅威であるが故に、だからこその驕りを理解し、その裏をかく。
純粋な魔術師であるほどに“魔術師殺し”の存在は脅威だが、自身はそも魔術師ではない。
教会に属し、代行者として異端を狩る事こそがこの身の本分である。
葬ってきた相手は、魔術師、吸血鬼、異教徒。
中には現代兵器を手にしていた相手もいた。
そう、自身には驕りはなかった。
“魔術師殺し”の情報を調べ上げ、この聖杯戦争中の動向を収集し分析。
確かに、倒し難い敵だ。だが、決して倒せない敵ではない筈だった。
此方の陣地へ誘い込み、有利な状況さえ作り上げれば勝機はある。
問題を挙げるとすれば、その男のサーヴァント。
単体であれば自身のパートナーには敵などいないが、あの二人が連携は強力だった。
下手を打てば此方の策は崩され、一転して不利な状況に追い込まれるだろう。
どうやってあの二人を引き離すか。
その思考が、勝機への道であり、快楽を目覚めさせ、同時に起こしてならぬ者を呼び覚ます切欠となった。
―――そして、“彼”は顕現した。
黒い太陽の下に真っ黒な炎が荒れ狂う。
平常の中に生きていた人間共は当然のように異常に耐えられず、阿鼻叫喚の中で死に至る。
目の前の光景に身動き一つできずにいる中で、それが自らの希望を叶えた結果だと知る。
満ちる直前の聖杯が叶えた、敵を引き離し、人目の無い場所が望ましいという言葉に対する奇跡。
願いにすら満たないただの呟きを、最悪な形で聖杯は聞き取った。
泣き、叫び、絶望の中に死んでいく名前も知らぬ誰か。
親は亡き子供を求めて、子は親を探して怒りと悲しみの声を上げる。
誰もが眼を背けるであろう惨状。
それを、意図的ではないにせよ原因と作り出した青年は、身動き一つせずに見続けている。
自身を稲妻のように打ち立てる強い感情――――快楽という感動を胸に。
それは、青年の為に開かれたオーケストラ会場。
嗚咽や絶叫は聴覚を突き刺し、はじけ飛ぶ肉塊や大地を染める血溜まりは眼球を圧迫する。
炎が生み出す甘美な香りは嗅覚を刺激して、死を何よりも生き生きと伝えていた。
本も、演劇も、映画も、ミュージカルも、此れほどまでに感動を与えてはくれなかった。
此れほど素晴らしい光景は、此れほどまでに素晴らしい刺激は、何をしても得る事はできなかった。
人として、信徒として、誰もが感じる事ができる幸福という感情。
信ずる者が、愛するものが幸せになる事で自身をも幸福にさせる人間であるが故の心。
それに全く共感できずに苦悩した日々を吹き飛ばす程の、快楽。
他人の不幸が、人々の嘆きが、他のどんな娯楽よりも最高の美酒となる。
人が考え出した娯楽など子供だまし、人間そのものが何よりの娯楽であるという確信。
―――そして、青年は至る。自らを人たらしめていた苦悩を超越して。
そして青年の目覚めを引き起こした惨劇は、同時に一つの災害を目覚めさせる。
全身から血液を流した青年の体は、小刻みに震えている。
血液不足による前後不覚ではなく、ただ心に宿る恐怖によって。
爆音にて聴覚を奪われ、閃光で視覚を奪われ、放たれた鉛球は体機能を次々に奪っていった。
互角に戦える筈だった。
条件さえ合えば、勝利を手にする事も可能な筈だった。
だが、青年を変えた惨劇は、対する男の何かをも同時に変えていた。
容赦のない爆撃に、黒煙の中から放たれる銃撃掃射。
戦闘どころではなく、まさしく戦争のような戦い。
青年は“魔術師殺し”の過去を洗い出し、男の戦いを暗殺だと理解していた。
それは正しい判断であり、決定的な所で間違っていたのだ。
男が『守るべき対象』を無くした時にどうなるかという事を、失念していた。
正確な射撃など必要ない。
どの方向にいるかさえ判れば、火薬と鉛球を放り込めばいい。
一人二人は巻き込まれるだろうが、どの道この惨劇で助かる者などいない―――それが、“正義の味方”の戦いだった。
歯を食いしばり、体に爪を立て、無理やりに震えを押さえ込む。
勝敗を決め付けるのはまだ早い。
確かに、あの男は自分の想像を超えていた。
だが、まだこの肉体は動き、自らのサーヴァントに至ってはまず敗北はない。
ならば、逃げ続ければいい。
いかにあの男が凶悪だといえ、サーヴァント相手には太刀打ちできない。
身を隠して時を待ち、令呪を用いて呼び出せばよいのだ。
ただ、この内にある矜持を捨て去ればそれができる。
「・・・・・・」
今まで、戦闘で感情を優先した事はない。
代行として駒になって動き、いずれ台の上から落ちる。
それが異質な自身が唯一できる神への信仰であると信じていた。
それを今、出来る筈がない。
出来るのであれば、聖杯戦争などというものに参加する必要はなかった。
誰に敗北しようと構わない。
だが、あの男だけは、写し鏡のように相似し、故に対極したアレにだけは負ける事は断じて認められない。
この身の内から溢れ出す衝動の正体は今だ判別できない。
同族嫌悪なのか。自身が悪であり、アレが“正義の味方”だからなのか。
それとも、ただあの男に敗北するという事が、自身の存在否定となるからか。
答えは、あの男を倒してからでもよい。
もはや策などなく、勝算は限りなく薄い。
だが、この拳が届かぬのならば後一つ踏み込めばいい。
命を掛けた一撃であれば、あるいは彼奴の心臓を打ち抜けるだろう。
いつの間にか震えは止まっている。
覚悟を決めて立ち上がり――――ストンと、その膝は再び地に落ちた。
「・・・?」
血液を失いすぎたのか。
確かにこの体は満身創痍だが、決定的な致命傷は負ってはいない。
・・・・・・おかしい。
地を濡らした赤が、異常な程に多い。
まるで胸から吹き出たような血の跡が、扇状に眼前へ広がっているではないか。
「ッ、ぶ」
逆流した血液が告げた。
もはや反逆の機会は失われたと。
そして、死神とは常に背後から忍び寄るものだと。
「マスター!」
セイバーがその場に現れた時には、既に勝敗は着いていた。
そこに居たのは自らのマスターと、胸を撃ち抜かれ果てたアーチャーのマスターの姿。
廻りの炎が生み出す濃い影で良くは見えない。
結局、彼女自身はアーチャーのマスターの声どころか顔すら見る事はなかった。
「これで終わったのですね」
ならば後は聖杯を得て、我等の願いを叶えるだけ。
この目を覆わんばかりの惨劇も、奇跡の力さえあればなかった事にできる。
「では、直ぐにでも聖杯を・・・・・・・・・マスター?」
戦いは終わった、それは明らかである。
だが、マスターの瞳は勝利した人間のそれではない。
空ろに黒い太陽を見上げた瞳は、絶望に染まっていた。
「マスター、一体何が・・・・・・っ!?」
脳を直接鷲掴みにされたかのように痛みが走り、視界が狭まる。
体の自由が奪われ、身動き一つできなくなった。
視界には、マスターの輝く令呪の一筋。
『令呪に告げる』
唯の音声ではなく、霊的な力を帯びた絶対命令権。
『この者、我がサーヴァントに命ずる』
耳から聞いて、頭で理解する言葉ではなく、脳に直接働きかける信号。
『聖杯を斬れ』
それはどうあっても理解する事ができない、奇妙な命令だった。
―――ブワッ!
「な・・・・・・っ!」
風の封印が解かれ、黄金の剣が眩く輝く。
それに彼女の意思はなく、ただ命を実行しようとした肉体が事を進めていた。
「やめろ・・・・・・! マスター! 馬鹿な、何のつもりだ!」
必死に意識で体を押し止め、剣を振り上げたままに叫ぶ。
だが、命を下した男にはピクリとも動かず、ただ空虚な視線で空を見上げていた。
「切嗣! 裏切ったな切嗣! いや、こんな事は貴方にとっても無意味な筈だ!
もはや声さえ奪われ、ただ何故だ、と心の中で絶叫を繰り返す。
臨界点を超えた剣は、抵抗むなしく振り下ろされた。
視界が黄金に染まる。
同時に、魔力を使い切った体は存在感を失っていく。
一体何が間違っていたのか。
一体何が変わってしまったのか。
何も理解できないまま、彼女の意識は白い闇の中へ落ちていった。
ここに、一つ物語が終結し、一つの物語の歯車が廻りだした。
失われたモノと生まれたモノが互いに絡み合い、新たな結末を創り出す。
―――あと、一回。
意思無き者が、終わりの始まりを数える。
奇跡の裏に隠れ、それは産声をただ待ち望んでいた。
十年の時を経て、七つの欲望が再び“この世全ての悪”を呼び出さん。
この日、この時より、全てのモノが滅びの為に走り始めた。
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