「く……くく、見事に振られたなあ、アンタ」
楽しそうな笑い声に振り向くと、そこにはどこか飄々とした男性がいた。
ジーンズにアロハシャツといったいまいちアレな服装に、引き締まった体が似合っている。
「振られた?」
「おう、その奥に逃げちまったちっこい奴。
アンタは誘い方が下手なんだよ、あいつらは警戒心が強いからな
狭い路地だというのに、その男性はすんなりと隣にしゃがみこむ。
そして小鳥の囀りの様な音を口元から鳴らすと、程なくして『彼』がひょっこりと顔をだす。
「あ……でも、こっちこない」
「アンタが怖いんだってよ。ほら、笑えっての。あいつら人の表情しっかり見てるんだからよ」
「ひらひれふ」
ほっぺたを引っ張られる。
それで笑い顔になったのかは判らないけれど・・・
「ひはよっへひまひはね」
「わり、何言ってるか判らん」
てふてふと近づいてくる彼、ことぶち猫。
この伸びた頬で警戒心が薄れたのだろうか。
「貴方に懐いてますね」
「まあな。ほれ、この姉ちゃんも構ってやんな」
男性の手を舐めていた猫が、促されて私を見やる。
が、近寄ってはこない。
「笑えって」
笑う。笑う……笑う。
ニコ。
「にゃーす!」
わら―――もふ!
――――――――<悲愛との付き合い>――――――――
「ぷ、ぷはははは!」
路地から出てすぐ近くにあるベンチ。
そこで男性は爆笑していた。
「何かおかしいですか?」
「いや、何かって……ぶはっ、はは!
いやいや猫といえ子猫だぞ? あそこまでいい様にされるとは―――ぷっ。
くくく……ど、どんくせえにも程があるぜ、アンタ」
どうやらこの人は、私が猫に踏みつけられたり引っ掻かれていたのが可笑しいらしい。
理解できない笑いのポイントだ。
「はー、笑った。一週間分は笑ったなこりゃ。
よし、傷見せろ。笑った侘びに診てやるよ」
そう言って私の返事を待たずに、彼はてきぱきと傷の手当てをしてくれる。
硬くて、大きな手が、優しく動くのがとても不思議だ。
「で、あんな路地裏見たいな所で何してたんだアンタ」
バンソーコーをさすりながら、問いに対する答えを考えてみる。
「猫がいたので……」
「で?」
「…………別に食べようとか思った訳じゃないです」
「聞いてねえよそんな事」
困った。
何も思いつかない。
「あー、なんだ。アンタ暇なのか」
暇。暇かと聞かれればいつも暇だと言えるし、暇ではない気もする。
猫を見つけてフラっと路地に入り込んでしまったのは、暇だったからだろうか。
「では、そういう事にします。暇だったので猫と戯れていたんです」
「なんだそりゃ」
呆れ顔で笑われた。
一生懸命考えたのだけれど、何か間違っていたのだろうか。
「ま、いいや。んじゃあさ、これからオレとデートしねえか?」
「どうよ」
「どうよ、と言いますと?」
「綺麗だー、とか。旨そうだなぁとか。感想はねえのか」
「はあ」
感想。感想……
「視界が青いですね」
「―――水族館はお気に召さなかったようで?」
「何かめぼしいものは見つかったか?」
「はい」
「お、どいつだ? 一着ぐらい買ってやるよ」
「ではあの白くてヒラヒラしているやつを」
「ウェディングドレスじゃねえか! つかなんであるんだよ総合デパートに……」
「まあここなら7桁とかふざけた金額はでねえだろ……」
「ありました」
「あるのかよ! どんな人形だよ!」
「いえ、ほしい人形が」
「ああ、なんだ。で、どれだよ」
「これです。グアムオオコウモリ」
「グア……?」
「別名トクダオオコウモリ。名の通りグアムに生息していた、絶滅種の一つです
ちなみに主食は果実や花の蜜です」
「コメントしづらいなオイ」
「おいしいですか?」
「ん、ここのラーメンは旨いぞ。食べねえのか」
「食欲が無いもので」
「ほれ、スープだけでも飲んでみろよ」
「そこまで言うのでしたら。ん……清涼感があって美味しいですね」
「いや、それ水」
「かーっ、くそ! もうネタ切れだ!」
街を歩き回って数時間。
最初の場所に戻ってくると、彼はベンチへ投げやり気味に座った。
私も、その隣に座る。
肩が触れ合う程に近い。
「もう“でーと”はしないんですか?」
「ああ、つーか時間的にもう店なんて開いてないからな。
飲み屋か、カラオケか―――ってアンタ歌知らないから避けたんだったなカラオケ」
はあ、と疲れ気味に彼が笑う。
それは、その顔は、とても魅力的な男の表情だった。
「―――――」
「あん、どうしたよ」
「あ、いえ。なんでもないです」
思わず、見惚れていた。
「……ま、アンタも疲れたろ。
待ってな、飲み物適当に買ってくるからよ」
彼が少し離れた自動販売機へと向かう。
とたん、周りが静かになった。
今日一日で、隣から彼の声がしないのが寂しく感じてしまう。
――――なーぅ。
そこに別の声が紛れ込む。
声の主を探せば、私が座っているベンチにちょこんと座る白と茶の彼。
「貴方、朝の子?」
猫を見分ける自信は無かったが、大きさや模様から判断するに、この子は今朝の子猫だろう。
あの時には懐かず、私をふみふみした彼が、何故か今はベンチに置いた手を舐めている。
「私が怖かったんじゃないの?」
――――なーぉ。
言葉が理解できているのか、その子は私の言葉に返事を返すと、体を擦り寄らせて膝の上でまるまった。
ほのかな温かみが、じんわりと伝わってくる。
「そう、私を好きになったのね」
あの人を思い出して、できるだけやさしく子猫を撫ぜる。
ごろごろと喉を気持ちよさそうに鳴らしはじめた。
「そう、」
好かれる事に堪らない喜びを感じる。
だから、
「ごめんね」
「適当に買って来たぜ」
彼が二つの缶を持って帰ってきた。
「紅茶とコーヒー、どっちに―――そいつ、どうした」
冷え切った膝を、彼が見やる。
そこには、もう暖かくない子猫の体があった。
「朝の奴か」
頷く。
確証はないが、たぶん間違いはない。
「ついてなかったな」
彼の表情が、色を失う。
悲しみや、同情は見えない。
彼の言葉は、そのまま彼の心象を語っていた。
夜が深まる。
人々は逃げる様が如く足早に帰っていく。
視界に移るのは、誰も居ない道を照らす街灯と、眠ることの無い一部のお店。
隣を見やれば、今日一日を共に過ごした彼の姿。
恋人と寄り添うようかのように。
囚人を監視するように。
同じ速度で、歩く。
……彼も、何処へかと帰るのだろうか?
そう思うと、とたんに胸が苦しくなった。
「……なんだ?」
そんなのは嫌だ。
「お願いがあるの。
私に、私の体に、消えない思い出を」
貫かれる快感。
締め付けられる快感。
熱が頭を焼ききり、穴という穴から水が流れて脱水症状を起こす。
「あ……んぁっ、は、ぁんっ」
心臓は仕事のしすぎで破裂して、肺は能力不足で酸素欠乏を引き起こし、四肢はとうに感覚を失った。
そんなグロテクスで魅力的なまどろみを、突起と突起と下で感じている。
「ぁ、んっ、んぅっ!」
思い出が体にしみこんでいく。
暖かいものがお腹を満たしていく。
嬉しい。
とても嬉しい。
■欲と色欲が満たされていくのが判る。
おいしい。
「あ、はぁ―――もっと」
満たされても、足りない。
どんなにお腹いっぱいに溜まっても、足りない。
いや、そもそもが違う。
私は、どんなにこれを食べても満たされないのだ。
「もっと、もっと、欲しい―――貴方の全てを」
彼の子種、彼の体、彼の汗、彼の声、彼の心、彼の命。
その全てを、食べなければ満たされない。
私の穴が、私の腰が、私の口が、私の手が、私の爪が、私の羽が、私の角が、彼の全てを喰らいたいと叫んでいる。
「ねえ、お願い」
貴方に快楽をあげる。
だから、私に思い出と干からびるまでの命を頂戴。
「あれ?」
貫かれた。
私としては今までに経験の無い場所を。
さらにおかしいのは、それは気持ちよさなんて全くなく、ただ激痛が広がるだけなのだ。
叫んで、血反吐を吐いてしまうくらい。
「なに、コレ」
赤く、トテモ長い、そして鋭い槍が、胸を貫いていた。
血管の様な紋様がその立派な痩躯に這いまわり、とてもグロテクスで、とても綺麗な赤い赤い槍。
「ねえ、私は……こほ……死ぬの?」
胸を貫き、心の臓を突き破った槍は、致命傷らしい。
これくらいで死ぬ筈はないのだが、どうにもそういう事らしい。
彼は、少し残念そうに、頷いた。
「そう」
槍が引き抜かれて、体の中身が溢れ出したけど、おかげで少しだけ動けるようになった。
抱きつき、彼の暖かく引き締まった胸元に顔を埋める。
「好きな人の全てを奪う事しか知らなかったわ」
そういう風に生まれてきたし、そういう風に生きてきた。
それ以外の事は知らないし、興味がなかった。
「だから、好きな人に全てを奪われるのは初めて」
それが彼でよかったと、心底想う。
初めて感じる、快楽ではない幸せだ。
「ありがとう、ランサー」
「教会で晩酌とは、罰当たりな事だな、ランサー」
「あ? おお、こりゃクソ真面目なのが来やがったな。
なんだ、説教しにきたのかアーチャー」
「まさか。差し入れだ」
「ん、お、こりゃすげえ。流石カーチャンのサーヴァントだな」
「誰が誰の母だ。全く……今回は、嫌な役割を受けたそうだな」
「角煮うめえ。って、誰の話よ?」
「お前だ。……全く気にしていない、とは言わせんぞ」
「お前が気にしすぎって気がするが……そうだなあ」
「…………」
「笑顔を見れたのが殺した時だけってのは、男としてちと不甲斐ねえな」
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