「もしもし――――その声は・・・・・・藤村先生ですか? お久しぶりです」

ロンドンに移住し、セイバーや士郎との生活を続けて数年経った。
この土地の風習や学院の雰囲気にも慣れ、小さな事柄以外には日々平穏に過ごしていたある日。
故郷から恩師の電話が届いた。

「どうされたんですか? こんな夜に・・・・・・そちらではまだ午前中でしたね。
 士郎なら今日は泊り込みでバイトですけど」

日本では士郎にべったりだった藤村先生だが、此方に来てからはそう顕著に連絡はしてこなかった。
大人の女性なのだから、それくらいの落ち着きは当然―――と言うと士郎は真っ向から否定する。
言って置いて何だがそれはわたしも同意見で、大方ものぐさな性格が原因だろうという所で意識は共通している。
その証拠に、帰国すると此方が嫉妬を覚える程に一日中ベッタリなものだから、弟離れなど遠い話だ。

「はあ、わたしにも用事、ですか。
 ・・・・・・あの、本当にどうされたんでしょうか」

頭の中に思い描いた彼女とは違い、その声にいつもの快活さはない。
平静な顔以上に、笑顔の印象が強いその人からはとても思いつかない様な、生気のない声。
只事ではないと察するのは当然だった。

『――――――』

「え?」

ボソリ、と電話口から聞こえた言葉に、耳を疑った。

「あの、それはどういう・・・・・・?」

聞き返す、が自分の行為に後悔を覚える。
聞き間違いではない事は確かだし、彼女がそういった悪質な冗談を吐く人物では無い事も判っているからだ。
理性が言葉を理解しても、感情がそれを認めたくないだけ。

『――――――』

聞きたくも無いのに、聞き返したから繰り返される言葉。

耳にした言葉が頭の中でぐるぐると廻り、ただただ絶句する事しかできなかった。























【彼女がいなくなる日】





























「しろおおおおおおぅ!」

絶叫が響き渡る。
悲痛で、胸を切り裂かれるようなその声の主が、いつも楽しそうにしていた彼女とはどうしても結びつかない。

「藤ねぇ・・・・・・」

胸にすがりつく彼女を、士郎が優しく抱きとめる。
だが、そうしている彼自身にもそれ以外の反応はできず、ただ呆然と一点を見つめている。

「桜―――」

だれもが悲しみに暮れる部屋の中に、似つかわしくない笑顔。
しかし、モノトーンに彩られたそれは、何よりもこの場に相応しく飾り付けられていた。






その日、その時。
この世界から間桐桜という少女は、いなくなっていた。


















少し昔の話になる。
聖杯戦争から数ヶ月後。
彼女は、衛宮家を訪れないようになっていた。

『最近桜ちゃん来ないわねー』

それ以前と変わらず入り浸っている藤村先生の言葉を、最近から入り浸る様になったわたしは聞いた。

『慎二の世話があるから忙しいんだろ、あいつもまだ退院できてないし』

そして、ここの家主である士郎は、深く考えずに夕食を作る。
桜が来ていた頃に比べ、台所が広く感じるようになったと、彼は偶に呟いていた。

『早く帰ってこないかなー、桜ちゃん。偶には洋食が食べたいわー』

『飯が目的かよ』

彼女を待ち望む声。
だが、例え慎二の体が完治したとしても、彼女が戻ってくる事はないだろう。
その理由を、わたしは知っている。
そう、その理由であるわたしは。

―――彼女の居場所を奪った、わたしは。





















『――――桜』

それでも、同じ学び舎にいる以上は顔を合わせる事もある。

『あ、遠坂、先輩』

『なんだか久しぶりね。部活は行ってないみたいだし、衛宮くんの家にもこないから』

『・・・・・・すいません』

『謝る事なんて何もないわよ』

元々、内向的な子だ。
少し頼りない微笑みは、何時もどおりの彼女に見える。

そんな筈はない。
そんな筈はないのだが、わたしには桜の感情が読み取れない。

『士郎や藤村先生が、寂しがってるわよ。
 ちょっとだけでもいいから、顔を出すだけでもしてあげなさい』

『・・・・・・はい、兄さんの調子が戻ったら、すぐにでもお邪魔させて頂きます』

そう言って、やはり微笑む桜。
小さくなっていく背中を見て、わたしは何ともいえない感情に包まれる。

『桜』

胸につっかえた気持ちが、口を動かす。

『はい、なんでしょうか?』

『―――、』

だが、それ以上の言葉は出てこない。
言わなくてはいけなくて、言ってはいけない言葉が形にならない。

『・・・・・・なんでも、ないわ』

結局、それ以上は何もできない。

『・・・・・・変な先輩』

きょとん、とした顔が、楽しそうな笑みに変わる。
それを、どうしても寂しそうな表情としか受け取ることができず、わたしの心は霧中に消える。

結局の所、わたしは彼女に対してどうする事もできなかったのだ。





















それから一年。
わたし達は時計塔へと入学するべく、ロンドンへと旅立った。

基本敵しかいない世界の中で、有り余る情報の中を全力で立ち振る舞い、慌しい日々を過ごす。
危ない橋を渡ったり、そもそも橋がない崖っぷちを努力と根性で乗り切ったりもした。
そして、時々日本へと帰り、いつ会っても変わらない藤村先生と皆で御飯を食べるのが年に数回の楽しみとなった。

だが、聖杯戦争から一年、そしてわたし達がロンドンへと旅立って数年。
それだけの時間が経っても、桜は一度として衛宮の家へ現れる事はなかった。

そして今―――――わたし達は、二度と彼女に会うことはできなくなった。




















葬儀は、蕭やかに行われている。
すすり泣く者、ただうな垂れている者、様々な人がいたが、概ね静寂を保っていた。

海外から移住してきた間桐家にとって、親類縁者はほぼ存在しない。
ここにいる人たちも、殆どが学校の関係者であり、葬儀自体も密葬の様なものだから、参列した人達は桜の人となりを知る人ばかりのようだ。

「よう、やっぱり来てたか、遠坂」

同じ部活だった美綴綾子もまた、当然そこにいた。

「久しぶりね、綾子。貴方も来てくれてたのね」

「当然だろ、可愛い後輩なんだから」

乾いた笑い。

「いや、しかし判らないものだね、人生ってのは。
 幸が薄そうな子だとは思っていたけど」

そう言って彼女が見上げるのは、モノクロな一枚の写真。

「よく聞く言葉だけど、まだこれが本当だって事が信じられないね。
 性質の悪い冗談なんじゃないかと、今でも思ってる」

「・・・・・・そうね」

そして同時に、冷静な部分はこれが冗談ではない事を理解している。

「・・・・・・泣かないんだね、遠坂」

「え?」

「いや、あの子の事は結構可愛がってたじゃないか、アンタ。
 だから泣き顔の一つは見れると思ってたんだけど。
 その鉄面皮が崩れれば、あの子にもいい供養になるしね」

「・・・・・・貴方はどうなのよ」

「あたし? あたしは―――」

綾子は答えようとして、少し押し黙る。

「どうなんだろうね。
 悲しいのは確かなんだ、泣きたい気持ちだってある。
 藤村先生みたいに号泣できたら、少しは胸の内も晴れるんじゃないかって思うね」

でも、と彼女は話を続けた。

「泣けないんだ、これが。
 思うんだけど、結局あたしは間桐に信頼されてなかったんじゃないかなあって。
 あたしがあの子に抱く気持ち、まあ友情とか師弟愛とかそういうものは、一方通行だったんじゃないかって思うのよ。
 これはあたしに限った話しじゃなくて、誰にでも間桐はそうしてきたんだと思う。
 だからね、この悲しみもさ、結局の所はあたしの独りよがりなんじゃないか、ってさ」

そう言った彼女の表情は、涙が流れていないものの、とても寂しそうで。
綾子は間違いなく、本気で桜の事を心配していた一人だったのだろう。

「ねえ、遠坂。アンタはどうなんだい? あたし以上に間桐を見ていただろ」

・・・・・・見破られていた。
まあそうだろう、この快活にして聡明な彼女が、わたしの視線の先に気付かない筈がない。

「わたしは――――」

彼女の気持ちを聞いて、答えない訳にはいかない。
だけど、わたしの口はどうしても言葉を紡ぐことができなかった。

わたしは、何よりもわたしの気持ちが、わからないでいた。
























誰もが寝静まる、深夜。
わたしは一人、ある邸宅の前に居た。

「やあ、約束どおり一人で来たみたいだね」

軽薄な、いや、どこか力のない声が、敷地内から掛かる。
現れたのは、記憶よりはどこかやつれた、彼女の兄。

「慎二・・・・・・」

「せっかくの二人っきりなんだし、久しぶりに長話といきたいけど。
 まあお互い忙しい身だし、早めに済ませたいようか」

鉄柵が開き、中へと案内される。
整備のされていない、軋んだ音が鳴り響いた。

中庭は、外で見えたよりも荒れていて、わたし達がこの街を去ってから一度も整備していないように見えた。
何もかもが、わたしが知っているものとは違う事を感じさせる。

「悪いけど明かりはつかないんだ。足元に注意してくれよ」

室内は、外以上に暗かった。
カーテンは全て締め切られ、月明かり一つ入らない。
電灯はそも数自体が少なく、灯けたとしても足元の安全は守れそうに無い。

その中を、彼は慣れた足付きで進んで行く。

「慎二、事を成す前に質問があるわ」

「なんだい? って、聞くまでもないけど。
 いいさ、言ってみな」

「桜は―――あの子は、どうして?」

振り向いた慎二の表情は、陰に隠れて見えない。
微かに光に照らされた口元が、引きつった形へと小さく動く。

「聞いただろ、病死だよ。
 状態が悪いから遺体は公開できなかったけど、心配しないでもちゃんと埋葬して、」

「建前はいらないわ」

あくまでも平静に、だが語尾が強くなるのを止められなかった。
ただの病死である筈がない。
警察や病院を“操作”できても、わたしが欺かれる訳がない。

「・・・・・・ま、そりゃそうだろうね。
 遠坂を誤魔化せる訳が無いとは思ってたけど」

抑えきれず向けていたわたしの殺気を正面に受けながら、慎二は軽く肩をすくめた。

「話してもいいけど、それは全部終わった後でだ。
 頼んだ身で偉そうに言わして貰うけど、この地を収める遠坂の長として仕事は果たしてもらうよ」

その言葉を変えるつもりはないようで、慎二は背を向けて再び歩き出す。

『桜が死んで、間桐家の命運は尽きた。
 魔術師の軌跡を処分したいが、僕には出来そうも無いから遠坂に頼みたい』

確かに、そう彼に言われたからわたしはここにいる。
この地を収める者として、それを行う義務がわたしにはあった。

だが、

「それは構わないわ。
 でも、一人で来いっていうのはどういう事かしら」

彼が付け加える様に言った最後の言葉が、理解不明なそれだった。

「あれ、電話口で説明したろ? そこら辺、遠坂だって判ってて来たんじゃないのか」

「わたし一人で十分だったから、そうしただけよ。
 『衛宮がいると都合が悪い』って、どういう意味」

彼の足が止まり、再び此方へ振り向く。
その表情は、哀れむような笑みを浮かべている。

「ああ、何も判ってないんだな、遠坂」

「・・・・・・言っておくけど、今のわたしは気が長くないわよ」

「はいはい。だからさ、言葉どおりなんだよ遠坂。
 ここにはさ、衛宮に見せるには都合が悪い―――刺激が強いものがあるってこと」

それだけを言い放って、話しを切り上げられた。

全く訳が判らない、とは言えなかった。
予感がしていた、この先に良からぬモノがあるだろうという事を。

いや、きっとずっと昔から気づいていた。
ただそれを、前を向く事に必死になって見ないようにしていただけ。




















「さて、ここだ」

二階へと上がり、その一室に存在する隠された扉。
ただの壁にしか見えないそれは、大した操作もなく、あっさりと地下への道を開く。
地下へ続く階段からは、底の見えない暗闇と、鼻が曲がるような腐臭が漂ってくる。

「あんたは?」

「僕は行かないよ。
 着いてっても足手まといになるだけだろうしね」

慎二は、肩を竦めて薄ら笑いをする。

・・・・・・その様子に、違和感を感じた。
この場所は、間桐家にとって最も重要な地点、魔術師がその秘儀を行う工房である。
それを、本人の依頼とはいえこれから処分するのだ。
彼にとって魔術とは、こんなにあっさりと決別できるものだっただろうか。

聖杯戦争の後、士郎は彼が憑き物が落ちたみたいだと語った。
その時、慎二はその拘りも流れ落としたのか。

いや、考えても詮無い事だ。

「じゃあ、やるわよ」

「ああ、任せたよ」

気のない肯定に見送られ、階段を下りる。

先程までの締め切った室内よりも暗く、深い闇がその濃さを増していく。
同時に、腐臭が強さを増していく。
階下に辿り着いた時には、嗅覚は麻痺して使い物にならなくなっていた。

「―――――」

その緑色の間は、自分が知る工房とはかけ離れていた。

空気は淀み、見渡す限り荒れ果て、当然の如く研究道具など一つとしてない。
工房とは魔術師の集中力や魔力を高め、時には基盤となり、時には補助する為にこそある。
研究に研鑽を重ね、根源へと辿り着く為へと日々重ね続ける知識の蓄積。
小差はあれど、そこは魔道の極致へ至る為の修練場である。

だが、ここは違う。
魔術師の技量を高め、知恵を身に着ける、そんな目的は用意されていない。
例えるならば、養殖場だ。
何かを生産し、育てるだめだけの養殖場。
育てられる側に意思なんてなく、ただ束縛されて栄養を与えられるだけの場所。

ここが養殖場ならば、育てられる何かがいる筈だ。
それは一体ナニになり、ダレであったのか。

「――――っ」

食いしばった唇から赤いものが溢れ出す。

こんなものは工房ではない。
こんなものは自分が苦しみながらも歩んできた魔道ではない。

垂れ落ちた血液を何かがビチャビチャと舐め取っている。
吐き気がした。吐き気がしたが、吐くような幼さは今の自身にはなかった。

ずっと胸にあった黒い渦が、ハッキリと形になって暴れまわる。
悲しみであり、怒りであり、嫌悪であり、そのどれでもない。

冷静な部分がこの場の存在意義を読み取り、マキリの秘奥を看破し、この蟲倉を消滅させる数十の方法を編み出す。
一刻も早く、この場所を破壊したかった。
それだけでは飽き足らない、あらん限りの魔術と宝石を持って、目に見える全てを焦土と化したかった。



―――ッゴン



暴走しかけた魔術の自制に気を取られた為か、入り口が閉じられた事に気づいたのは、それが閉め切られた音の後だった。

「・・・・・・やられたわね」

「カカッ! こうもあっさりと火に飛び込むとは、遠坂の血も我等に等しく老いたと見えるわ」














しゃがれた老人の哄笑。
性根が腐っている様なそれに、聞き覚えはない。
だが、その存在に心当たりはあった。

「間桐、臓硯」

「ほう、ワシを知っていたか、遠坂の子よ」

もちろん、聖杯戦争に関わる者として知らない訳がない。

聖杯戦争に置ける創始者の一人にして、現・間桐家に置ける監督役。
既に魔術師としての血が耐えたこの家に、不必要な筈の妖怪。

「ついこの間まで、とっくに死に絶えてると思い込んでたわ」

「そう簡単に死んでなるものか。
 子などとい不確かなモノに執着を譲る遠坂や、聖杯という結果だけに拘りすぎたアインツベルンとは訳が違う。
 我が悲願が果たせるまで、自身を継続するのが真の魔術師というものよ」

そういう生き方がある事は、知っている。
それに対する否定や、肯定をわたしは持っていたが、今この化け物と語り合いする為にここへ来た訳ではない。

「そのまともに廻らない口を閉じなさい、臓硯。
 それとも、その意地汚い執着を今すぐ消されたい?
 わたしにとってアンタの口を開かせるか、アンタを炭屑にしてから調べるかは、面倒なだけで差はないわ」

「ふん、遠坂の家系は尊大な態度だけを色濃く引き継いできたようじゃの。
 それにしても小娘、その口ぶりからすると最初からワシに何かを聞きに来た用に聞こえるが?」

「さっき言ったでしょ、死んでると思ったのはついこの間までだって。
 わたしは最初からこうする為に来たのよ」

「ふむ……先に一つ聞いておくが、ワシが生きていると確信したのは何時か?
 これでも表舞台から身を引いて、外との接触は絶ってきたつもりであったのだが」

しらじらしい……

「あんな“空の棺桶”を葬儀に出しておいて、関わっていないとは言わせないわよ」

藤村先生が泣きじゃくり、士郎が空ろな眼で見つめ続けていたソレに、わたしが気づかない筈はない。
あの、重苦しく、灰色の世界の中心に在ったものは、空の箱だったのだ。

「ククク……カーッカッカッカッカ!
 良くぞ見抜いた小娘!
 あらん限りの偽装は尽くしたつもりだが、その眼はごまかせなんだか!
 見事! 今代の遠坂は最も優れているとは聞いていたが、認めざるをえんようだのう!」

しゃがれた哄笑が響き渡る。

「黙れ」

ただ一言、そう呟く。
それで、とりあえずは不快な哄笑は止まった。

わたしの命令を聞いたという訳ではないだろう。
相手も魔術師だ。
わたしが今展開している術式を視て、余裕の色を無くしただけ。
精密性や、隠蔽などを考えない、爆裂魔術。
開放すれば地下室どころか、この家ごと吹き飛ばせる程度の火力はある。

「アンタはただわたしの質問に答えればいいのよ。
 悪いけど気が立ってるから、遠慮や手加減はできないわ」

「おお……それは怖いのう。しかし答えるまでもない。
 貴様が知りたいのは―――“これ”だろうて!」

地下室が揺れる。
震源地に埃が舞い、そこから何かがせり上がる。

円柱型で、薄緑色の液体で満たされたそれは、言うなれば標本が入ったカプセル。
そして、その中で揺蕩う人影は―――

「……桜」

見紛う筈がない。
目を固く閉じ、顔色は異常な程白いが、その少女は間違いなくわたしが知る少女の姿だった。

「感動の再会だろうて、愛しい愛しい妹が目の前にいるのじゃからな。
 例えそれが、無常にも相手が死体だろうとてな!」

「……っ」

「ほおう、表情が変わったのう。
 まさかお主、桜がまだ生きているとでも期待していたか? うん?」

奥歯が悲鳴を上げる。
臓硯が言っていた様に、わたしは今の今まで淡い期待を拭えないでいた。

「……あたりまえでしょう。
 魔術師の血筋が途絶えた間桐にとって、桜は大事な後継者。
 どういう理由があったとしても、殺す利点はない筈よ」

「ふむ、その通りよ。ワシにとって桜の死に損はあれど、利は無い。
 だがその認識には一つ間違いがあるな」

臓硯の言葉に一つの違和感を覚えつつも、先を促す。

「桜は後継者などというものではない。
 そう、これは“モノ”よ。
 ワシの悲願を叶える為に手中へと収めた道具、ただの実験体じゃ」

……ああ、わたしは何故こんなやつと会話を交わそうとしたのだろうか。
何の納得もできない。
何の理解もできない。
間桐臓硯は狂っており、ただ下種である事だけはブレない怪物。

元は同じ『』へと至ろうとした同士、そして魔術師。
どんなに非人道的だとしても、その行いは理に叶っているとどこかで思っていた。

ここは、この地下室は決して奇跡へと至ろうとするモノではないというのに。

「もういいわ」

「む?」

怒りを押さえ込み、展開しかけていた術式を霧散させる。

「これ以上の情報は無意味よ。ただわたしが不快になって、この後の仕事が雑になるだけ」

そう、桜がもういないのであれば、わたしのやる事に変わりはない。

「この地下室は消させてもらうわ。
 魔術の痕跡だけではなく、物質的に塵さえ残さずに。
 この地の管理者として、血筋が絶え実質的な後継者も失った間桐家に、有用性を認められません。
 特に、間桐臓硯は発言に一貫性がなく、非常に不安定で害にしかならないと認定しました」

そして再び、破壊などという雑な方法ではなく、欠片さえ残さず消滅させられるだけの術式を組み上げる。
テンカウント
瞬間契約レベルの、現在わたしに発動できる最高の魔術を展開。

後はただきっかけを与えれば一瞬でこの地下室を―――桜の遺体ごと消し去る事ができる。

「出てきなさい、臓硯。
 御三家のよしみで、最後の時くらいは看取ってあげます」

「カカッ……恐ろしい小娘じゃて。
 実に感情的じゃが、その術式はまさしく緻密。
 やはり貰うのは姉にしておけばよかったのう」

「そう、それが返答ね」

防御壁を張り、自身の魔術に対する反動の対策を練る。
指向性の無い、完全限定範囲の火炎・暴風の魔術。
ありったけの宝石を持って、この地下室の痕跡を世界から消し去る!

「ほう、ほうほう! やるか、やってしまうか遠坂の子よ!
 桜を見捨て、苦しみ助けを求め続けた悲鳴に耳を閉じ、ついにはその手で息の根を止めるか!」

魔術を放つ直前、その言葉で再び魔術が四散する。

「どういう、意味よ」

「うん? どうした小娘、この臓硯を地下室ごと吹き飛ばすのではなかったのか?」

「答えなさい! 息の根? それは―――」

それは生きている者に対して、使う言葉ではないのか。

「桜は、まだ生きている……?」

暗闇だった意識の底に、糸の様な光明が舞い込む。
いや、冷静になって考えればわかったのだろうが、わたしは相手の用意した釣り糸を見てしまった。

「さて、これを生きているかどうか判断するのは、人によりけりだろうて。
 これは間違いなく死んでいる、が、心の臓は動いておるし、今はこれじゃが呼吸する事もできる」

その糸が、陽炎の様に揺らめいて実体を見せない。

「そこらの医者に診せれば、十中八九は生存と断定されるだろう。
 しかしこれにはもう魔力の欠片すら残っておらぬ。
 ワシ等魔術師にとってすれば、こんなものは動くだけの肉の塊に過ぎんがのう」

老人の呟きが、耳にねっとりと張り付く。

「さて、お主はどう考える?
 生か死か、殺人か破壊か、好きな方でこの肉の塊を壊すがいい」

余りにも容易い二択。
いくら心臓が動いていようが、血液が流れていようが、魔力が無くては人間は生を保てない。
人の形をした無機物が人として動けないように、その体には原動力、つまりは生命力がないのだ。
それが完全に枯渇したというのなら、もはやそれは死体であり、前述した無機物と大差ない。

そう、そんな簡単な事は、魔術師になりたての子供ですら判る事だ。

「どうした、うん? 黙るだけでは妹を葬れんぞ?」

簡単、な、筈なのに。

「…………」

わたしには、どうしてもその答えが出せない。















「ククク…………カーッカッカッカ!
 真に人間らしい、青臭いのう、遠坂の子よ!
 いやいやそれを否定はせん、むしろ喜ばしいかぎりじゃて。
 魔術師としてそこまで成熟しておきながら、その性質は貴重の一言よ!」

「っ……!」

恐ろしい程、今のわたしは隙だらけになっていた。
解のでない問いに、真っ白になっていたわたしの頭は、再び臓硯の挑発で動きだす。
だが、足元がおぼつかないのは隠しようもなかった。

「臓硯……桜の体を渡しなさい、さもなくばっ」

「さもなくば? さもなくばどうするつもりじゃ、小娘!
 桜の体を除いた、この部屋を壊すか?
 この家に在る間桐の秘奥を全て残らず消し炭にするか?
 困るのう。それはとても困る」

かろうじてひねり出した交換条件―――というよりも苦し紛れの一言も、あっさりと流される。
いや、とっさに出てきた言葉にしては悪くない筈だ。
いくら間桐臓硯が狂っていたとしても、魔術師である限りこの家を破壊されるのは痛手になる。

「だったら、姿を現す事ね。
 交渉は、お互いの顔を確認してこそ平等でしょう」

そして出てきた瞬間を、一瞬でなぎ払う。
大きな術を構築していればバレてしまうが、握り締めている宝石を爆発させるだけなら一瞬で済む。
桜の事は、その後ゆっくり考えればよい。

「ふむ、先程から何度も言われてはいたが、お主は何を言っておるんじゃ?」

対して返ってきたのは、呆れているような、そして愉しんでいる様な、姿の見えない声。

「顔を出しなさい、と言っているのよ。
 ここに惜しいものがあるのなら、さっさと姿を―――」

「妙なものよのう。
 さて、遠坂の子は目を病んでいるとでもいうのか。
 ワシはとっくの昔に、お主の目の前にいるというのに」





――――背筋が、泡立つ。






「ま」

まさか、いやまさか。
そんな筈はない。いや、臓硯が話に聞く存在そのままであるなら、そうであってもおかしくはない。
だけど、そう、そうであってほしくはない。

「では、これがお初にお目にかかるという訳じゃな」

閉じていた眼が、軽く震えて、開く。

「ワシこそが聖杯戦争の生き証人、マキリ・ゾォルケン。
・  ・  ・
 いや…………今は間桐桜と名乗った方がよいかのう?」


そうして溶液の中で浮かぶ少女は、見たことのない老人の笑みを顔に貼り付けた。

「…………」

「言葉もないか? まあそうであろうよ。
 しかしこれは仕様がない事でもある。
 何しろ、元々巣にしていた住処の家主がいなくなってしもうたのでな、住人として放って置くわけにもいかなかった」

もう、感情が理性の先を走り出して、思考が追いつかない。
あるのは、目に浮かぶ水分と、胸元を焼く吐き気だけ。

「とはいえ、死んだ体を操るのは難儀なものでな。
 かといってコレはそれなりに大事な実験体、まだ利用価値はある。
 故に乗り換えをしたいのだが―――――さて、もう良いか」

もはや聞き流しているだけの老人の言葉が、色を変える。
瞬間、部屋の隅にあった闇が――――いや、蟲の群れが、わたしの視界を一瞬にして覆った。








「っ……結界よ!」

握っていた宝石を使い、自身を中心に『壁』を作り上げる。
蟲は、傘に当たる雨粒ようにバラバラと壁にぶつかり、破裂しながら張り付いた。

「良い反応だ。
 この一瞬でそれだけの結界を作れるとはのう。
 しかし陣の一つも無しに維持するには少々負担が大きいのではないか?」

黒で塗りつぶされた視界の向こうから、嘲笑混じりの声が届く。
老人の言ったことに間違いはない。
陣を引き、しっかりと固着化させた結界ならこの程度なんでもないが、力任せのこれでは消耗が激しい。
こんな状態では、結界の維持が精一杯で攻撃する余裕もない。

「くっ……アンタの、目的は……!」

「そう、新しい宿主の入手よ。そして実験体の確保。
 これから弄るにはちと育ちすぎだが、双子なら桜の実験結果が流用可能かと思うてのう。
 安心せい、殺すような事も、精神を壊すような事もしはせん。
 じっくりと、少しずつ、優しく教育してやろうではないか」

無数の羽音の中、それ以上に耳障りな哄笑が響く。
だが、もはやそれに怒りを感じる事もなかった。
自身の内にあるのは、この状況を脱する方法の究明と、もはや手が無いことを結論づける冷静な自分。

(まだ、諦めるつもりはないんだけど。念のため先に謝っとくわ。
 ごめん、桜。自分を棚にあげてるって判るけど、あのクソジジイぶん殴れなかった)

キィキィと蟲が壁を削る。
壁と同時に、意識までもが薄れてきた。

(令呪でセイバー召還、に廻す余裕はないわね。
 あの子にも悪い事しちゃうわ。まあ、士郎がいるから大丈夫か。
 ……士郎、アンタがリタイヤしないよう見てあげるつもりだったのに、わたしが先になるなんて思いもしなかったわ)

視界が、ちらちらと白み始める。
いよいよ持って、限界が来たようだ。

(ごめんね、二人とも。愛してるわよ)

その呟きを最後に、結界が消える。
視力を失ったのか、意識が飛んだのか、視界が真っ白に染まった。




























ごうごうと、耳鳴りがする。
真っ白な視界はそのまま、いや、白というより金色の光がわたしの視界を包んでいる。

感覚的には、数秒と経っていない。
もうわたしは臓硯に捕らわれ、実験にさらされた後なのだろうか?

いや、それにしては妙だ。
体は自由に動く。
目は、ただ眩しくで前が見えていないだけのようだ。
そして、このおぞましさだけに埋まった地下室には無い筈の、感じられる暖かいもの。
これは―――

「お待たせしました、凛。サーヴァント・セイバー、今ここに参上致しました」

「セイバー!?」

幻などではない、圧倒的な存在感。
青銀の甲冑、絹糸のような金の髪、そして、黄金に輝く一振りの剣。
見紛う筈はない。
それは最優のサーヴァントにして、尊き騎士の中の騎士。
わたし達と聖杯戦争を生き抜いた、まさしくセイバーその人が目の前に居た。

「馬鹿な、何故サーヴァントが現界しておる!?
 話が違、いや、それ以前の問題じゃ、ありえん!」

セイバーの登場に驚いたのはわたしだけではなく、臓硯もまた同様だった。
いや、あれはサーヴァントというものをよく知っている。
その声には驚愕というより、恐怖が色濃く出ていた。

「そこまでだ妖怪。
 私が現れた以上、マスターには蟲一匹たりとて触れさせはせん」

黄金の剣を地に突き立て、仁王立ちでわたしを庇う最強の守護者。
わたし達の周りを渦巻いて全てを阻む風は、言うまでもなく彼女の宝具である。
彼女の登場によって、不利だった状況は一瞬にして入れ替わった。

「凛、御無事で」

「え、あ、うん。ちょっと消耗したけど、大丈夫よ。
 いや、そうじゃなくて、何でセイバーがここに」

「来ているのは私だけではありません」

その言葉に、心臓が鷲づかみされた様に鳴動した。

セイバーが危機を察知してからここに来るにしては、早過ぎる。令呪を使用した訳でもない。
彼女がここにいる術は判らない。
だが、彼女が瞬間移動でもしてここに来たのではないのなら、もう一人ここに来ていてもおかしくはない。



『ここにはさ、■■に見せるには都合が悪い―――刺激が強いものがあるってこと』



自嘲じみた乾いた笑みが、頭の中でリフレインした。














いつの間にか開いた階段から、暴風の中に入り込む様に足音が響く。
黄金に照らされた室内に紛れ込む、赤い外套。
それは、かつてこの地で自身との戦いに勝利し、今尚その背を追い続ける一人の男。

「士郎……」

見せてはならなかった。
見せたくはなかった。
だからこそ、連れてはこなかったのに。
どうしようもなく、彼はここに来てしまった。

「遠坂、無事だな」

わたしは、返事をしようとして言葉に詰まった。
この後に及んで、どうにか誤魔化せるのではないかだなんて、思ってしまったのだ。
でも手遅れな事は一目瞭然で、吐こうとした言葉と飲み込もうとした言葉で、口がパクパクと開くだけだった。

「ならいい」

士郎は、わたしの答えを聞かずにそう言うと、カプセルへと顔を向けた。

「まさかアーチャーまでもが……いや、違う、衛宮の小倅、か?
 しかしその姿―――ええい、どうなっておる!?」

臓硯の焦燥が高まる。
桜の顔をしたものが、見たことのない表情に歪むのを、士郎は無感情に見下ろしていた。

「カァァァァァッ!」

乾いた絶叫と共に、部屋にある複数の穴のいくつかから影が躍り出る。
蟷螂のような鎌状の足の根元に、何か歪な球体が蠢いたイキモノ。
セイバーよりは組み易しと見たのか、それらが十数体と同時に、士郎へと襲い掛かる!

フリーズアウト ソードバレルフルオープン
停止解凍―――全投影同時層写

小さな呟き、ただそれだけ。
ただそれだけで、数十、いや無数の剣が空間に現れ、

「凛! 伏せて!」

セイバーがわたしに覆いかぶさると同時に、爆音が室内を揺らした。



















「……馬鹿な」

耳鳴りが治り始めて最初に聞こえてきたのは臓硯の唖然とした声だった。

それもそうだろう。
古今東西の聖剣・魔剣・無銘の剣、節操無く目の前に現れたと思ったら、何もかもが吹き飛んだのだ。
もはや驚愕を通り越して呆然とするしかあるまい。

その老人の朦朧とした呟きに耳を貸さず、士郎は剣山の道を悠々と歩き通る。

「士郎、アンタ達……どうして」

ここに来る事は誰にも言わなかったし、覚られない様にもした。
誰も、誰も知らなかった筈なのに。

「慎二から連絡貰ったんだ、遠坂一人だと危ないだろうからって」

「慎二が……?」

妙だ、あいつは臓硯側の人間ではなかったのだろうか。
いや、今はそんな事よりも。

「士郎、これは―――これはね」

「大丈夫だよ遠坂。桜の事は、なんとなく判る。
 アレが誰かはしらないけど」

そうして見やる先には、桜の形をした間桐臓硯の姿。
未だ現実を理解できていないのか、その顔は驚愕に染まったまま動きを見せない。
トレース オン
投影開始

士郎の手に、弓と矢が創られる。
その矢が向けられる先は、言うまでも無く。

「士郎! それはっ」

「どう見ても桜の体、だな。
 でももう、桜はここにはいないんだろう?」

「それは、」

そうだ。それはもう変わらない事実だ。
アレはもう桜ではなく、会話のできる相手でもない。
だが……

「だめよ」

「……遠坂?」

「貴方が撃っちゃ、駄目」

そう、それでも、引き金を引くのが士郎であってはならない。
そうだ、これはもうずっと前に負ってしまった、わたしの罪なのだから。

「ま、いや待て!」

臓硯の悲鳴にも似た言葉を聞きつつ、渾身の力で立ち上がる。
踏み出す足は小鹿の様に震えたが、相手は身動き一つ取れないカプセルの中。
幾ら今のわたしが鈍足であれ、逃げられる事はない。

「一体どうするつもりじゃ! いや、判った、お主の望み通りにしよう。
 もう遠坂家には関わらんし、桜の肉体も返そう!」

カプセルの目の前。
時間をかけてどうにかそこへ辿り着き、片腕を支えてどうにか手を向ける。

「馬鹿な! 貴様に桜は殺せん、そうじゃろう!」

「―――そうね、もうずっと前に理解してたつもりだったけど、まだ目を逸らしたかったみたい。
 だから迷って、止まってしまった」

わたしには彼女を殺す罪を背負う勇気がなかった。
でも、もうそんな事は些細な事だったのだ。
何しろわたしは、既に彼女の全てを奪ってしまったのだから。

「今の『わたし』を手にしたわたしが、ここにきて殺すのが怖いだなんて都合のいい話、ありえないもの。
 ここで迷って止まってしまうくらいなら、わたしは初めから全てを手放すべきだった」

かろうじて残った宝石に、残りカスのような魔力を叩き込む。
常に『』へ至るべく鍛え続けてきたつもりだが、今のわたしにはたった一人の人間を殺す程度の事ぐらいしかできない。
今は、それがとても滑稽。

「だからもう、迷わないわ桜。貴方が残したもの、全部貰ってくわね」

「待て、待て待て待てマテェェェェエエエ!」

放つ一撃。

それで、もうこの部屋には何もなくなった。
老人の妄執も、彼女が受けた惨劇も。
最後に残ったのは、鈍い衝撃音と、焼き焦げた肉の臭いだけだった。








































「よう、遠坂。見送りに来てくれるなんて思ってもいなかったよ」

それから数日、わたしは一人で空港にいた。
ロンドンに帰る訳ではなく、目の前の男一人に様があってここまで来た。

「見送りに来た訳じゃないわ。
 慎二、アンタの話を聞きに来ただけ」

「あれ、まだ僕と話すような事あったけ?
 あの爺さんから全部聞き出したんじゃなかったのか」

「わたしを騙して、あの妖怪までも欺いて、それで何も無いじゃすまされないわよ。
 葬儀の後始末だけしたら、姿眩ますし。
 そもそも、ただの見送りな筈ないじゃない。
 八方手を尽くして探し出したのよ、わたしは」

「まあ、そうだね。そうなるよう仕向けたのは僕だし。
 いやあ、遠坂がここに来なかったらどうしようかと思ってたよ」

そう言って慎二は、昔の姿からは想像できない乾いた笑みを浮かべた。

「さて、飛行機が出るまでまだ時間がある。
 どれから聞きたい?」

「……結局、アンタはどうしたかったのよ。
 臓硯の命令だけじゃないでしょう、一人で来いって言っておきながら士郎達も呼ぶし。
 だいたい、士郎には見せたくないから、っていうのは嘘だったの?」

「いや、僕は少なくとも『見せたくない』なんて事は言ってない筈だ。
 都合が悪い、とはいったけどね。
 あいつ結構短気だし、下手すると間桐の家ごとぶち壊すかと思ってたからさ。
 それに、僕がどうしたかったか、なんてのは既に言ったじゃないか。
 間桐家の魔術の痕跡を消してくれと。僕が自由になる為にね」

間桐臓硯を含めた上で、という事か。

「遠坂が知りたかったのって、こんな事?
 聞くまでもなく想像ついたんじゃないの、遠坂ならさ」

「そうね、まあこっちはただの確認よ」

本命は別にある。
もう一度質問したものでもある、最も大事な疑問。

「桜は、なんで死んだの」

「ああ、そうだろうね。それが聞きたかった筈だ」

慎二は、それを待ってましたと大きく手を広げる。

「遠坂は何だと思ってた?
 実際の所は僕が殺したんだけどさ」

もちろん、臓硯の実験ミス、というのが一番濃厚なセンだ。
あの腐った思考の持ち主が、まともな判断で研究を続けていたとはとうてい―――

「……は?」

「いやはや予想通り! いい顔するね遠坂!
 まあ、これだけじゃ納得できないだろうし、ちゃんと順を追って説明するよ。
 元からそうするつもりだったしね。
 さて……遠坂は聖杯戦争の最後、僕がアレになったのを覚えてるよな?」

反射的に頷く。
まだ頭の整理が追いついてないうちに、慎二は続けて先を話し始めた。

「あれはさ、まあアインツベルンの聖杯を僕に仕込んだからああなった訳だけど。
 具体的に何が起こったかっていうとさ、あの娘の心臓を僕の胸にぶち込んだわけさ、物理的に。
 おかげで僕はあんなモノになって、でも最終的に遠坂達に助けられた訳だけど……」

慎二が、自分の胸の上に軽く手を置く。その下にあるものを指して。

「僕の心臓がぶち抜かれたっていう事実は変わらない訳だ。
 遠坂は気づかなかったみたいだけど、助けられた時は既に胸の下はスッカラカンだったのさ。
 あったのは、同じ機能を持ったエーテルの塊。サーヴァントと同じようなものさ。
 いやいや、遠坂が気づかなかったのも当然さ。
 助けられた直後には聖杯の残存魔力で判別不能。さらにエーテルの塊は僕の心臓の写し身だったからね」

言われて、初めて気づく。
意識して視れば、慎二の胸の下にあるべきものの存在感が薄い。
それこそ、消えかけたサーヴァントの様に。

「遠坂や衛宮には伏せておいたから知らないだろうけど、入院中に僕は何度か死にかけてるんだ。
 当然だね、心臓そのものが無くなりかけてるんだから。
 普通の医者に対処のしようもなければ、原因が掴める筈もない。
 魔力供給が無ければ、僕はそのまま死ぬ所だったんだよ。
 だけど、無駄に看病なんてしてたせいか、それともソレと相性が良かったのか、僕の心臓に気づいた奴がいた。
 判るよね? 妹だからって理由で近くに居た、桜だよ」

あっさりと、彼女の名前が出る。
まるでついさっき会ったかのような気安さで。

「あいつの介護はさ、それは甲斐甲斐しいもんだったよ。
 学校がある時以外は常に病院にいてさ。
 部活も辞めて、人との係わり合いを減らしてまで。まるで今までの繋がり全てを断ち切るみたいにね。
 文句の一つも言わずに僕の言う事を聞いて、楽しくも無いのにヘラヘラ笑って。
 そんな中で、桜は気づいたんだよ。僕の心臓にさ。
 でもさ、あいつ魔力はあっても碌な知識はもって無いんだよ、爺さんの教育の賜物でね。
 だからさ、桜は僕に抱かれたんだよ。
 好きでもない男を生かす為に、魔力供給だけの為に。
 それ以外の方法を知らなかったから」

馬鹿にするような、それでいて愛おしいと言う様な、複雑な声。
それは開き直りなのか、悟りを開いたが故なのか、まくし立てるように告げられる事実は、一貫して揺れない。

「まあ、それが悪かった訳だ。
 あいつの体には爺さんの蟲が仕込まれててさ、それが常に魔力を食ってた。
 魔術を使うどころか、人に魔力やる余裕なんて無かった訳。
 だっていうのに、あいつは僕に魔力を与え続けた。つまりは何度も僕に腰を振った訳だ。
 僕の寿命が延びる代わりに、あいつはどんどん消耗していく。
 ついには衛宮の家にも行かない様になった。
 そりゃそうだ、衛宮の家には優秀な魔術師いる。
 家主の目なら誤魔化せた、そいつだけはどうにもならない」

次々と知る新たな事実が、心臓を貫ぬいていく。
ただ、悲しい出来事で傷ついている訳ではない。
『桜が士郎の家に来なくなったのは、わたしがいるせいで居づらいから』
そんな風にどこまでも自分に優しい考えで何もかもを見逃していた自分が、余りに愚鈍過ぎた。

「で、ついにはぽっくり。
 その日もいつもどおり、最高に悪い顔色で笑いながら僕の面倒を見て、ちょっと仮眠するっていったまま逝ったよ。
 ああ、ぽっくりとは言ったけど安楽死したわけじゃないぜ。
 寝るとは言っても体の中は常時蟲に齧り削られてるんだから、痛みと苦しみでうなされっ放しさ。
 まあ最後の瞬間は痛みもぶっとんだのか、死に顔は案外安らかだったけどね。
 っと、遠坂。何へたり込んでるんだよ、汚いぜ?」

「……ん……で」

「ん、『何で?』かい?
 『何で桜を止めなかったのか』、それとも『何でこんな事を話したのか』、どっちだい?
 まあ、どっちも話すけどね。
 前者の方なら、もちろん僕も桜を止めたよ。
 正直、こんな体でズルズルと生きるつもりは無いし、別に桜を殺したい程に憎らしくは思ってはいなかったしね。
 でもさ、僕が『要らない』とか『必要ない』とか言うと、あいつ死にそうな顔するんだよ。
 もう他に誰もいないから、自分にはこれだけしかできないから、どうか傍に居させて欲しい、ってさ。
 笑える話だろ? 散々犯されて虐待された相手しか、もう縋る人がいないんだと」

まるで泣いてるみたいに、彼は笑う。
余りにも愚かしい故に、どこまでも愛しおしいのだと言う様に。

―――空港に、アナウンスが響き渡る。

「そろそろ行かなくちゃ。
 さて、コレが最後になるな。
 もう一つの方の答えだけど……単純な話さ、覚えていて欲しかったんだ、僕と桜をね。
 どうせなら絶対に消えない様に、心に残る深い傷にして」

ああ、それは間違いなく叶えられた。
この全身を覆う悲しみや、自己に対する怒りは、抉る様に深く刻まれて決して消える事はない。

「僕はこれから適当に世界をぶらついて、誰にも見つからない場所でのたれ死ぬつもりだ。
 余談だけど、空へ飛び立った瞬間、もうこの国に僕の痕跡は全て消える様に手配してある。
 国籍の様な公共的な個人情報だけでなく、学園にある写真一つ残さずにね。
 後は一部の人間の記憶ぐらいだけど、これはまあほうっておけばいずれ消える。
 でも、それでも遠坂だけは忘れられないだろう。
 ずっと、きっと死ぬまでね」

いつの間にか溢れていた涙を、慎二が指で優しく拭う。
とても、柔らかな仕草。

「それじゃあ遠坂、今生の別れだね。
 そうだ、一応衛宮の事、僕からっていうのも変だけど頼んでおくよ。
 なにしろアイツは駄目なやつだからね。
 遠坂ぐらいの奴がいて、ようやくまともな人間に偽装できる」

そう言って彼は、清々しい笑顔であっさりと立ち去った。







以降、間桐慎二と言う存在は、彼の言葉どおり跡形も無く消えてしまった。
士郎は最初の頃心配した様子を見せていたが、やがて何も言わなくなった。
わたしの態度から、きっと何かを感じ取ったのだろうと、今では思う。

わたしは―――彼の居場所を探してみた。
だが、それもすぐ止める事になる。
彼の痕跡隠しは徹底していて、わたし個人の力ではしっぽすら掴むことはできなかったのだ。
つまりはそれが返答。
もう、誰とも関わりあう気もなく、あの時に言っていた様にただ一人でひっそりと死ぬつもりなのだろう。
そうして数年、十数年と過ぎれば、彼の事を思いだす人すら一人も居なくなる。



だが、それでも尚、わたしは忘れないだろう。
忘れる事はできない。
彼と彼女を。




この胸が痛む度に―――わたしは永遠に彼等を思い出す。















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